鬼束ちひろの新曲“infection”のPR活動自粛について
9月21日付『九州スポーツ』みたら、「鬼束ちひろの新曲“infection”のPR活動自粛」という記事が載ってました。歌詞に♪爆破して飛び散った心の破片が〜破片が〜破片がそこら中で〜というくだりがあって、米テロ事件の被害者に配慮してのPR活動自粛措置だそう。鬼サンも、泣く子とアメリカさんには勝てなかったワケです(笑)。
『行くと悔い(1991)ある湾岸戦争』から早くも10年経ちますが、あの時、英・BBCがマッシヴ・アタックを『マッシヴ』に改名させたり、バングルスの“Walk
Like An
Egyptian”やブロンディの“Atomic”などぜんぜん戦争にカンケーないような歌まで放送禁止措置にしました。これらを見て我々は「なにもそこまで」と思い、笑ったものでした。ところが日本もいつの間にか窮屈な国の仲間入りをしつつあるようです。
被害者のかたに配慮して活動自粛ってのは、解りますよ。でも、そういうのは黙ってやるべきものではないでしょうか? 「被害者のかたに配慮して」ってわざわざ記事にしてもらう必要はないと思うのですが如何でしょう? ちょうどチャリティーに似てます。「オレは1,000,000円を恵まれない子供たちに寄付してやった」って公言すると偽善っぽい匂いが漂ってしまいますが、同じ1,000,000円でも黙って寄付したほうが立派な行為したように表面上は見えるのと同じです。同じ行為しても、公言してやるのと、黙ってやるのとでは、黙ってやるほうが立派に見えます。これはこれで、考えようによっては理不尽なハナシですが(笑)。今回の『鬼サン』の場合は、『鬼サン』の意に反して周囲が発表してしまったのかもしれませんが(って言っても、オフィシャル・サイト上で発表してるからそれは無いか...笑)。
そういえば、同じ『九州スポーツ』に載ってたデーブ・スペクターのコラムで、「先週の『金曜ロードショー』はテロ事件に配慮して、急遽『ダイハード3』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に変更してたけど、映画の最後にアラブ人テロリスト集団が出てきて銃撃するシーンがあった。これじゃあ、何のために差し換えたのか分からない。笑うに笑えないお粗末ぶり」というようなことを書いて日本テレビの姿勢を揶揄してた。結局、心が籠ってない配慮、ポーズだけの自粛ってすぐに底が割れるってことだよネ(苦笑)。
('01.9.21)