星野仙一、タイガース監督就任への期待について
何を今さら...な話題で恐縮ですけど、関西の名門球団・阪神タイガースの監督に昨シーズンまで中日ドラゴンズの指揮をとってた星野仙一(以下、仙さん)が就任しました。もうすでにタテ縞ユニフォームに袖を通した姿も一般に披露済みだし、今行われてるオープン戦での指揮もすでに採ってる。だから今さら何を言おうが、長らくドラゴンズの顔として君臨してきた仙さんのタイガース監督は覆らないし、覆らす気も無い(笑)。'85年(くしくもタイガースの優勝した年!)に『週刊文春』で『燃える男・星野仙一がゆく!』という野球コラムを連載してるのを読んでから仙さんのファンになり、応援してきた身とすればやっぱり仙さんのタイガース監督の就任は衝撃的ニュースでした。仙さんはドラコンズ一筋の『一穴主義』(←この表現、なんとかならんか?...笑)を貫くと考えてたからね。
で、いまやすっかり新しいタイガースの顔として皆に馴染まれてる(まだ、違和感抜けないひと、居る?)仙さんですけど、この新しいタイガース監督に寄せられるタイガース・ファンの期待には大変に大きなものがあります。「熱血漢・星野だからタイガースを変えられる」とか何とか。ま、最初から期待も出来ないような者にチームの再建を託すわけないけど(苦笑)。で、みんなが「仙さんなら、タイガースを変えられる」と期待する根拠としてドラゴンズ第1期政権時代(1987〜1992)のチーム改革を挙げるわけですよ。なかでもドラゴンズ監督就任そうそう(1986年オフ)に牛島・上川・桑田・平沼の4選手を放出し、ロッテオリオンズから『三冠王』落合博満を獲得したことは仙さんが思いきった改革の出来るひとであると看做す大きな根拠になってます。この事例を挙げて「あれだけの大物を獲得してチームの大改革をしたひとだから、タイガースでもやってくれるに違いない!」って、スポーツ新聞の記事にさえ書かれてますけど、この「落合⇔牛島ら」の世紀の1:4トレードの話が出る度に、私は「おいおいちょっと待ってくれよ」って言いたくなります。「いったいいつの話してるんだよ」って。
仙さんが世紀の1:4トレードを仕掛けたのは15年も前の話。当時は仙さんはまだ30代! 今の仙さんは50代だけど、昔やったような大胆な改革の決断を今も出来るかっていうと...かなり疑問が残るな。歳とって鈍るのは何も運動能力だけじゃない。大胆な決断能力も確実に歳とともに衰えてゆく。今の仙さんにそこまで大胆なチーム改革出来るかは...かなり疑問があります。
ドラゴンズ第1期政権時代の仙さんのチーム改革は凄かったですよ。谷沢には引退勧告。大島を日本ハムファイターズに追放(代わりにドラゴンズに来た田中富生は役に立たなかった...笑)。平野と小野(西武ライオンズ)を交換し、中尾と西本(讀賣ジャイアンツ)の同一リーグトレードまでまとめ上げる。あっという間にドラゴンズは、まったく別のチームになりましたよ(苦笑)。それに比べると明らかにドラゴンズ第2期政権時代(1996〜2001)は仕掛けが少ない。仁村らと前田幸ら(千葉ロッテマリーンズ)の交換トレードと、大豊・矢野と関川・久慈(阪神タイガース...余談だがこのトレードで明らかにタイガースは戦力ダウンした)のトレードくらいしか思い浮かばない。トレードのインパクトから言っても小粒だし...。歳とって仙さんの行動力が落ちたように見えるんだけど、私には。
そもそも、牛島・上川・桑田・平沼らを放出できたのは、勝手知ったるドラゴンズだからであって、「外様」扱いされるタイガースでここまでの大手術が出来るかどうか...かなり疑問があります。
チーム再建に野村克也前監督がタイガースに招かれたのは1998年のオフのことですが、この人選はかなり納得出来ました。なにしろ万年Bクラスのヤクルトスワローズを優勝常連チーム(1992,
93, 95,
97)に変えたばかりでしたからね。ところが仙さんがドラゴンズを優勝させたのは1989年と1999年。しかも、落合獲得など10年も前の話をこちらが一方的に未だにひきずって仙さんのことを「チーム改革者」と見なしてるだけの話で、今も仙さんが「改革者か?」と訊かれるとかなり疑問があります。
勘違いして欲しくないのは、この文では「仙さんではタイガーズ再建が出来ない」って言ってるワケではないですよ。「仙さんが来たからにはタイガースは間違いなく再建される」といったような過度の期待や思い込みはやめて欲しい...って言いたいわけ。タイガース・ファンの皆さん、あまり仙さんの肩に重圧かけないで下さい(笑)。
だって、仙さんのファンとしては、トラキチに生卵で襲撃されて逃げまどう仙さんの姿なんて見たくないじゃん(苦笑)。
('02.3.12)