ひとが怒るべき時に怒らない理由

 雑誌『噂の眞相』9月号見てたら、同誌の名物コラム「タレント文化人 筆刀両断!」(佐高 信)に面白いことが書いてあった。
 この佐高 信によるコラムは、毎月毎月いろんなタレント文化人を取り上げ、叩きまくるコーナーなんだけど、今月槍玉にあがったのが塩野七生サン。佐高さんが塩野七生をどういう切り口で叩き斬ったかは、
『噂の眞相』9月号を読んでいただくとして、佐高さんが塩野七生を叩くにあたって、次のような塩野サンの発言を紹介してる。塩野七生と五木寛之との対談『おとなの二人の午後』(世界文化社)からの引用だそうです。

 「たとえ悪口を言われても気にしないのは、ユリウス・カエサルを書いていたときに、なんでこの男がね、部下や敵に怒らないんだろうって考えたの。なにしろ、怒らないわけよ。許すんですね」(中略)
 「それは徹底して自分のほうが優越してると思ってたからなの。やはり、完全に自分のほうがすぐれていると思えばね、他者に対して怒らないのではないかと。怒るってことは、対等だと思うからですよね」

 は〜はっは〜♪ この塩野七生サンの発言を見て「なるほど! 我が意を得たり!!!」とミョーに納得したんですよ、私は(笑)。
 このホームページを毎日閲覧されてるかたは御存知だと思うけど、この8月のアタマ頃にこのホームページの
BBS掲示板『TEST FOR ECHO』が荒らしに遭いました。ところが、私・ヒロくんが荒らしに対して取った態度といえば、「荒らしに遭ってるのに何だかうれしそう」とか、「心が広いなぁ」などと言われてるほど寛大なモノでした。何故、荒らしにあってるのに、私が怒らなかったのか??? 上の塩野七生サンの発言見たら解るでしょ? わはは〜♪
 ところで、このホームページの人気コーナー(笑)『GRACE UNDER PRESSURE』の8月8日分を御覧いただくとお分かりのとおり、私は「ある人物」が取った行動について「荒らしに遭う何十倍も不愉快!!!」などと激怒し、不快感を露にしとりますが、塩野サンの論理で言うと、この時私が怒りをぶつけた人物には「自分と対等な扱い」をしてたことになります。
 同じような非礼なふるまいをしたにもかかわらず、「怒りをぶつけられたひと」と、「そうでないひと」が居ます。どちらが人間としてマトモに扱ってもらったかと言うと、言うまでもなく「怒りをぶつけられたひと」のほうです。
 ということで、荒らしクンを人間としてマトモに扱わなかった私は『彼』に対し随分失礼なことをしてたんだなぁ...と反省したりなんかして(笑)。「オイ、この夏厨め! 掲示板を荒らすなッ!!!」って怒ってあげればよかったかなぁ(笑)。

(2002.8.25)

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