森 祇晶・横浜ベイスターズ監督解任について思ったこと
いささか古い話題になってしまうんだろうけど、横浜ベイスターズの森
祇晶監督が9月26日に解任された。西武ライオンズの監督を務めた1986年から1994年の9年の間に8回もリーグ優勝を成し遂げ、うち6度も日本シリーズで優勝し『名将』の名を欲しいままにしていた森監督が石持て追われるようにベイスターズを去ることになった。このことについては、「ベイスターズのチームカラーに森監督の色が馴染まなかった」とか「ベイスターズ球団が森監督に非協力的だった」とか、いろんなひとが森さんがベイスターズの監督としてはダメだった理由を挙げてるけど、私はそんなことはどうでもいい。
私が森
祇晶を(現役時代は知らないが、ヤクルトスワローズのコーチ時代から)見て来て思うのは、「このひとは、ライオンズの黄金時代に辞めるべきだった」。
森さんは、ジャイアンツ時代「V9戦士」として活躍。1961年に初めて日本一を経験してから、1963年、そして1965年〜73年の「V9」...と、選手として日本シリーズに出場した時は必ず優勝してた。
「V10」を阻まれた1974年に現役引退した森さんは、1978年のヤクルトスワローズの日本一に広岡達朗監督下のコーチとして貢献。1982年と翌1983年の西武ライオンズの日本一にも広岡達朗監督下の名参謀役として貢献。んで、1986年から1992年までの7年間に6度の日本一を遂げた時の森さんは、日本シリーズ出場20連勝というとてつもない記録を達成してたワケだ。ホントはここで森さんはライオンズの監督を辞めるべきだった。「日本シリーズ無敵の森」という伝説が生まれたハズなのに...。
なのに、ライオンズの監督を続けたばっかりに、1993年に野村克也率いるスワローズに敗れ、さらに1994年には長嶋ジャイアンツにも敗れてしまった。「日本シリーズ無敵伝説」は夢と消えた...。一度負けたら、もう『無敵』ではないのだ。
1994年を最後にライオンズの監督を勇退した森さんはNHKの野球解説者になった。「無敵伝説」は消えても、世間では森さんを「名将」と崇めてたので、この実績の御威光をタテに、ずっと解説者でやっていけたハズだった。
なのに、ベイスターズの監督に就任しちゃったりして、今季はぶっちぎりの最下位。「無敵伝説」どころか、「名将」の地位すらアヤしくなってきた。ヘタにベイスターズの監督なんか引き受けなきゃ、まだ「名将」のままで居られたのに...。
阪神タイガースで監督やってダメだった野村克也もそうだけど、歳とって今の感性についていけないクセに、「名将」とおだてられるがままに監督を引き受けたばっかりに、自ら「名将」の名にドロを塗るヤツが多すぎる。これはプロ野球界のなかに限ったことではなく、歳とってから「駄作」を出して自らの栄誉に傷つけるミュージシャン、多選の果てに「愚策」を施し地域を衰退に追い込む自治体首長など、いろんな分野にそういうケースが見受けられる。ひとはそれを「老害」って呼ぶらしいけど(笑)。
森さんには1992年で監督勇退してもらって、「日本シリーズ無敵」のままで居て欲しかった。そのほうがよっぽど存在としてレアだったんだよ。
一度負けたら、もう『無敵』ではない。
ヘビの絵に足を描き足したら、それはもう「ヘビの絵」ではない。
(2002.10.3)