「若者」ってオマエが言うな!
TVのニュース(主にローカル・ニュース)を見てると、とても気に障ることがあります。どうみても大学卒業してから数年しか経ってないようなニイチャンやネエチャンのひよっこアナウンサーが、「○○フェスティヴァルは大勢の若者や家族連れでにぎわいました」といったニュース原稿を読んでる...こんなシーンを目にする度に私は、TVに映るひよっこアナウンサーに向ってこのように悪態をついてしまいます。「『若者』ってオマエが言うな! オマエこそ若者だろ?」って。
「若者」という言葉を使うひとは、すでに若者でなくなってる証拠...これは私の前々からの持論です。「若者」という言葉は、ある一定の枠のなかにあるもののことを指すのに、枠の外にある者が使うものであって、その枠のなかに収まり切れてるひとたちは、自分たちのことを決してそうは呼ばない特殊な言葉なのです(笑)。早い話、なんの気恥ずかしさもなく、「若者」という言葉を口にすることが出来るひとは、もう「若者」ではない!(きっぱり)
そんな「若者」という言葉を、若者に喋らせるニュース原稿というものは実に罪深い存在だと、私は思うのです。
ニュース番組で使われる文句や表現を吟味してくと、ニュース原稿にはキャラクター設定があることが分ってきます。原稿読むアナウンサーが男だろうが女だろうが、若かろうが年寄りだろうが、そんなもの関係なし。アナウンサーは、このキャラクター設定にしたがって原稿を読まなければならない...という暗黙の了解があるように思えます。この手のニュース原稿に「若者」や「お年寄り」、「子供たち」や「主婦」、「家族連れ」や「学生」はよく出て来きますが、「中年男性」っつうのが、殆ど出て来ません。このように、「中年男性」を対象化しない(笑)のは、ニュース原稿が40代の男性の視点で書かれているから...と、私は睨んでます。つまり、アナウンサーが20代の女性だろうが、ニュース原稿を読む時は「40代の良識あるオヤジ」に「変身」しなければならないのです(笑)。
勿論、ニュースの公共性、公平性、中立性を考えると、ニュースに特定の世代に肩入れする表現は馴染まないのは、私にも分かります。ニュースの公共性を考えた最大公約数的キャラが「40代の良識あるオヤジ」なのでしょう。だけど、若者に「若者」と喋らすようなファッショなニュースは要らない!!!
で、私がこの項で何を言いたいのかというと、読み手の人格やキャラクタ−を無視するニュース原稿というものが、私は大嫌い! 気持ちが悪い!!!
(2003.6.2)