日本百名山全山達成最年少記録って、凄いことのか?

新潟・柏崎の小6少女、日本百名山の全山踏破達成

 日本百名山に挑んでいた、新潟県柏崎市の小学6年生、大倉由衣(ゆえ)さん(12)が24日、北アルプスの「黒部五郎岳」(2,840メートル)の頂上に立ち、全山踏破を達成した。最年少での達成とみられている。
 由衣さんは「大変だったけど、最年少の記録はとてもうれしい」と喜んだ。
 この日の空は快晴。午前7時に祖父、父親、兄の4人で山小屋を出発、同9時10分ごろ山頂に着いた。
 由衣さんは「紅葉がきれいだった。ずっと急いで登っていたけど、今日は楽しめました」。父親の雅之さんはほっとした様子で「娘の最大の目標を達成できました」と話していた。

 『アサヒ・コム』 2005年09月24日19時37分 掲載分より

 ...という記事が、朝日新聞だけに限らず、讀賣新聞などの紙面をにぎわしてました。が、私がこの記事をみて思ったのは、「これってホントに快挙なの? 凄い記録なの?」ってことです。確かに、小学校6年生の女の子がたった3年間で日本百名山を全山登破したのは、偉いとは思います。だけど、この子が自分の意志で日本百名山に全部登りたいと思っても、自分ひとりだけの意志だけじゃ達成不可能じゃないですか? 北は北海道・利尻岳から南は屋久島まで移動する交通費も自分の稼いだお金で払ったワケじゃないだろうし、歩いたコースも自分ひとりで決めたワケじゃないだろう。ルート・ファインディングも付き添いのオトナ達が面倒見てたんでしょう。すなわち、家族や周囲のオトナ達の絶対的なアシストが無いと達成不可能だったと考えられるワケです。だから、快挙とは思いません。逆に、娘の目標にそこまで協力した周囲のオトナ達に「よくぞ、そこまで!!!」といったような別の意味の感慨は持ちますが...。
 上の記事を読んでいて一番釈然としなかったのが、由衣さんのコメントのなかの「ずっと急いで登っていたけど、今日は楽しめました」ってくだり。言葉尻を捉えるようでなんですが、ウラを返せば、いつも急かされて歩いて、全然楽しくなかった...っていうふうにも読み取れます。イジワルな見方をすれば、オトナ達に無理強いされてムリヤリ歩かされてたんじゃないのお???...と思っちゃいますが...(苦笑)。
 そういや、天才卓球少女・福原 愛ちゃん...彼女のことも、昔はどこが凄いのか、どうしてみんなが騒ぐのかが分かりませんでしたね。彼女も昔は「親にやらされてる」感じが強かったですから。卓球が強いのも、彼女の同年代の子の大多数が卓球に興味もなければやったこともない、卓球で強くなりたいという願望すら持ってない...という環境。そういう相手と試合をやれば勝つに決まってる。だけど、福原 愛の場合は、「親にやらされてる」感じから脱却し、ホントのアスリートに成長したところが凄いと思うので、昔の「愛ちゃん」は評価しませんが、今の彼女は評価出来ると思います。
 そういう観点から今回の日本百名山全山達成最年少記録をみると、彼女の同年代の子のなかに「日本百名山大全山達成最年少記録を達成したい!」という願望を強く持っていたとしても、周囲のオトナ達が無理解な場合、達成しようがない...という意味においては、本人のヤル気されあれば日頃の練習や努力があればなんとかなりそうな「天才卓球少女への道」よりももっと険しいとすら感じます。
 話は変わりますが、こういう話題をいちいちニュースに取り上げるマスコミにも疑問を感じます。最年少記録が意味を持つのは、スポーツや、「歌会始」に最年少入賞とかの芸術分野、ノ−ベル賞最年少受賞とかの科学・研究分野だけなんじゃないですか? 本人の才能・努力のみが評価される。廻りのオトナからの刷り込みにあまり影響受けない分野だけ。したがって、今回の日本百名山全山達成最年少記録よりも、「第4回
このミス大賞」で特別奨励賞を受賞した中学1年生の水田美意子さんのほうがよっぽど快挙だと思います(笑)。
 で、由衣さんの場合も、福原 愛ちゃん同様、周囲のオトナ達のお膳立てがなくなり、自分ひとりで道を切り開いていく時に真価が問われることになるでしょう。10年後になっても彼女が登山界にインパクトを与えられるような活動を続けていることをお祈り申し上げます。
 私には今、生後1ヶ月の女の子が居ます。たぶん、小学校中学年くらいに成長したあたりからいろいろ山歩きに連れていくことになるでしょう。が、間違っても「日本百名山全山達成最年少記録」の更新を狙わせたりはしませんから(爆笑〜!!!)。

('05.9.25)

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