急行『能登』の廃止をめぐる策略と陰謀

 2010年3月13日付『朝日新聞』朝刊の1面にこーゆー記事が載ってた。

惜別の発車

 13日のJRダイヤ改定で廃止される寝台特急「北陸」と急行「能登」が12日夜、最終運転を迎えた。下り列車が発車した上野駅には最終運転としては過去最大規模の約3千人、上りが発車した金沢駅には約1500人が詰めかけ、列車を見送った。
 北陸は1950年、能登は59年に誕生。利用率はJRが発足した1987年の3割程度に落ち込み廃止が決まった。
(以下、略)

(2010年3月13日付朝日新聞朝刊1面より)

 この記事のうち、「利用率はJRが発足した1987年の3割程度に落ち込み廃止が決まった」という部分を読んで、(『北陸』に関してはともかくとして)『能登』については納得できないモノを感じたのは私だけではないハズだ。というのは、JRが発足した1987年以来、もっと言うと、JRが合理化を進めたここ15年くらい、JRは『能登』の乗客が減るであろうダイヤ改悪を繰り返して来ていたからだ。
 長野新幹線が開通する1997年9月までは、急行『能登』は長野経由で運転されていた。しかも、高崎―直江津間では、横川、軽井沢、小諸、上田、長野、妙高高原、新井、高田の各駅に停車してた。

長野新幹線開業前後の急行『能登』の停車駅比較

長野新幹線開業前(1996年3月)
長野新幹線開業後(1998年3月)
上野行き
福井行き
上野行き
福井行き
福井発
2134
上野発
2358
福井発
2107
上野発
2354
芦原温泉発
2145
赤羽発
011
芦原温泉発
2120
赤羽発
003
加賀温泉発
2157
大宮発
026
加賀温泉発
2132
大宮発
020
小松発
2208
上尾発
036
小松発
2148
上尾発
027
松任発
2222
桶川発
041
松任発
2202
桶川発
031
金沢発
2232
鴻巣発
049
金沢発
2211
鴻巣発
038
津幡発
2242
熊谷発
104
津幡発
2220
熊谷発
051
石動発
2251
高崎発
134
石動発
2230
高崎発
119
高岡発
2302
横川発
204
高岡発
2241
横川発
||
小杉発
2309
軽井沢発
224
小杉発
2247
軽井沢発
||
富山発
2320
小諸発
241
富山発
2256
小諸発
||
滑川発
2332
上田発
254
滑川発
2309
上田発
||
魚津発
2339
長野発
321
魚津発
2315
長野発
||
黒部発
2344
妙高高原発
355
黒部発
2321
妙高高原発
||
入善発
2353
新井発
413
入善発
2330
新井発
||
泊発
2358
高田発
422
泊発
2335
高田発
||
糸魚川発
020
直江津発
435
糸魚川発
2357
直江津発
428
直江津発
053
糸魚川発
502
直江津発
024
糸魚川発
500
高田発
102
泊発
523
高田発
||
泊発
520
新井発
111
入善発
529
新井発
||
入善発
525
妙高高原発
130
黒部発
538
妙高高原発
||
黒部発
535
長野発
232
魚津発
543
長野発
||
魚津発
541
上田発
256
滑川発
550
上田発
||
滑川発
548
小諸発
310
富山発
605
小諸発
||
富山発
604
軽井沢発
335
小杉発
614
軽井沢発
||
小杉発
613
横川発
403
高岡発
621
横川発
||
高岡発
620
高崎着
425
石動発
633
高崎着
410
石動発
632
熊谷着
503
津幡発
643
熊谷着
502
津幡発
642
大宮着
540
金沢発
653
大宮着
540
金沢発
652
赤羽着
553
松任発
701
赤羽着
553
松任発
701
上野着
605
小松発
716
上野着
605
小松発
716

加賀温泉発
726

加賀温泉発
726

芦原温泉発
738

芦原温泉発
738

福井着
750

福井着
750

 1996年9月の3連休に、上野行きの『能登』に乗ったところ、これらの信越線の途中停車駅からもどんどん乗客が乗って来て、ギュウギュウ詰めになったことを今でもよ〜〜〜く覚えている。ところが、北陸新幹線の長野開業により、信越線の横川―軽井沢間は廃止、軽井沢―篠ノ井間が第3セクターの『しなの鉄道』に転換されたため、1997年より急行『能登』は従来の長野経由から長岡経由に変更となった。この時に、上越線と信越線長岡―直江津間の主要駅(例えば、新前橋、渋川、沼田、水上、越後湯沢、石打、塩沢、六日町、小出、小千谷、長岡、柏崎、柿崎など)に停車し、乗客の乗降の取扱いをすればよかったんだろうけど、1982年の上越新幹線開業以後、この手の夜行列車の運行が激減してた上越線ではこの時点ですでにこれらの駅に夜行列車が止まらないのがアタリマエになっており、夜間に駅員を配置しておく経費のことも考えたんだろう、直江津―高崎間はどこの駅でも乗客の乗降を許さないダイヤとなった(運転停車のみ)。この時に、それまで信越線の各停車駅を利用してた利用客の分がまるまる減ったハズだ。
 かつての福井行き急行『能登』には、高崎線の終電を逃した通勤客の救済列車という位置付けもあり、2003年春のダイヤ改正までは、上野を出ると、赤羽、大宮、上尾、桶川、鴻巣、熊谷、高崎...という順序で停まってた。

2003年3月ダイヤ前後の急行『能登』と高崎ゆき最終列車(普通列車)の比較

2002年4月
2003年3月

高崎行き最終

急行『能登』

急行『能登』

高崎行き最終

上野発
2342
2354
上野発
2333
2345
赤羽発
2355
003
赤羽発
2357
大宮発
010
020
大宮発
001
014
上尾発
019
028
上尾発
022
桶川発
024
033
桶川発
027
鴻巣発
032
040
鴻巣発
035
熊谷発
047
052
熊谷発
034
051
高崎着
131
119
高崎着
103
133

 私も何度か利用したことがあるが、平日の夜の自由席車両は、「一杯飲ってたら終電逃しちゃったよ」的オヤジで満員になり、廃止決定直前時の『能登』のように自由席のボックス席4人分をひとりで使うなんてことは、まず出来なかった。自由席に空きが目立つようになるのは熊谷を過ぎた辺りからで、こうした上野―高崎間だけ短区間利用してくれる終電の逃したオヤジたちは、この時の『能登』にとってはイイ客だったと思われる。ところが、2003年春に、急行『能登』の出発時間を20分ほど早め、さらに『能登』の上野出発後に高崎線の最終列車を設定するというダイヤ改正が断行された。もしかしたら、北陸方面まで乗り通すような利用客から「酔っぱらいがうるさくて眠れない」といった苦情が前々からあって、酔っぱらいたちを隔離し(苦笑)、北陸方面まで乗り通すような乗客の安眠が確保できるように配慮した結果なのかもしれないが、この時の改正により、それまで終電を逃すまで一杯飲ってました的な客が一掃され、福井行き急行『能登』の上野―高崎間の利用客が激減してしまったのである。その後、始発駅/終着駅が福井から金沢に変更され、福井まで乗り通すような客も失ってしまった...。
 このように、急行『能登』には「ダイヤ改悪」としか思えないダイヤ変更が繰り返された結果、乗客が減り、廃止に追い込まれた...というのが真相に近い。今や、JRの主要駅でも真夜中に改札駅員を置かないのがアタリマエだし、夜勤の人件費がかさむ割に儲からない夜行列車を止めたくて仕方がないというのがJRのホンネではないだろうか? 需要があるのにいきなり廃止にするワケにもいかないので、じっくり綿密に乗客が減るようなダイヤ改悪を行って、思惑どおりに乗客が減ったところで、廃止。そうやったとしか思えない。また、北陸新幹線の長野―金沢間の工事もいよいよ最終段階となり、富山―呉羽間や梶屋敷―糸魚川―青海間といった在来線と平行する区間は、夜中に列車を完全に止めて工事を行ったほうが効率がイイに決まってる。高崎―長野間建設中には、急行『能登』は長岡経由で迂回運転を行っていたが、直江津―金沢間には適当な迂回ルートも無い。そこで、新幹線工事を急ぐ観点から、車両老朽化を理由に急行『能登』の運転を打ち切った...と考えるのは穿ち過ぎだろうか?
 ...ということで、急行『能登』は「利用率はJRが発足した1987年の3割程度に落ち込み廃止が決まった」んじゃなくて、「乗客が離れるようなダイヤ改悪を重ねられた挙げ句、JRの思惑どおり利用率が落ち込んで廃止が決まった」というのが正しい表現だということがお分かりいただけただろうか?
 

('10.3.30)

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