『政界の暴れん坊』の異名をとる元・衆議院議員のハマコーこと、浜田幸一が、滑川市政経同友会、滑川商工会議所青年部などの招きで講演会を行なうというので、茶々入れるつもりで、10月14日、雲一つない秋晴れのもと、滑川市民会館に私は足を運んできた。
会場の滑川市民会館は滑川市役所に隣接したホール。開演時間の2時半に合わせ、15分前に会場に行ったら、「入場無料」っつうのが効いてたのか、ヒマなじーちゃん・ばーちゃんたちで既に席は埋まってた。したがって、ハマコーの講演はずっと立見で聴くハメに...。ライヴに通ってると、いつも最高齢の部類に入ってしまう私だが(笑)、今回に限っては一番若い...とは言わないまでも、若年層の仲間入り。それくらい聴衆の年齢は高い。私は演壇に向かって右側の出入口付近で、ハマコーの登場を待っていた。
開演に先立ち、まずは滑川市の助役、続いて主催の滑川市政経同友会代表が壇上より挨拶。この滑川市政経同友会代表の挨拶途中、私の目の前の出入口の扉が開き数名の人物が入ってきた。ハマコー御一行だ。私のほんの50
cm前にあのハマコーが居た(笑)。廻りのじーちゃん・ばーちゃんたちもハマコーに気付き、立ち上がって握手を求めたりしてた。やがて会場を埋める人々すべてがハマコーの存在に気付き、歓声と拍手が沸き上がる。壇上ではまだ、政経同友会代表サンの挨拶が続いてるのにそっちのけ(笑)。政経同友会代表サンは話を切り上げて壇から降り、いよいよハマコーの講演が定刻どおり始まった。
開演に先立ち、ハマコーはこう言った。「ここで聞いた内容はここで忘れてしまって、外に持ち帰らないでください」...。そう言われたけど、こうしてネット上に流してる私は悪いヤツだ(笑)。「今日、ここに居るひとで、『ハマコーの顔見に来ただけ』というひとは手を挙げて!」 そう言われて数名が手を挙げる。そしたら「今すぐ帰ってください!」だって(笑)。実は、私も手を挙げたんだけど、帰りませんでした(笑)。
市の助役と政経同友会代表は壇上から挨拶したけど、ハマコーは壇に上がることは最後まで無く、聴衆と同じ床に足をつけての講演。身ぶり手ぶりも激しく、あちらこちら動きながらの講演で、マイクも一切使用しない。声の大きさと迫力には定評あるから(笑)。
最初の話題は税金の使い道について。会場に居たばーさんから1万円札を借りたハマコー、1万円税金を払ったら、どういう用途に廻されるか説明した。2千円分は社会補償費、2千円分は国債費...といった具合に。説明が終わったところで、1万円札を持ち主のばーさんに返したんだけど、その時に「借りたカネはホントは利子付けて返さなきゃいけないんだけど、借金取りに追われてる身なのでこれで勘弁して欲しい」と、自分の締めてたネクタイを外してばーさんにプレゼントしてた。
ここで、ハマコーの講演内容を一部暴露(笑)。「みなさん、『人』という字を書いてみて下さい。(宙に『人』という字を書かせる) みんな『支えられるほう』から先に書くけど、『支えるほう』が居るからこそ社会は成り立つんですッ!!! ところが日教組は子供たちに『支えられるほう』から先に書くように教えてるッ! これから『人』という字を書く時は『支えるほう』から先に書いて下さいッ!!! 書きにくいけど(笑)」/「予算委員長を2回勤めてもう少しで大臣に手が届く時に『共産党は殺人者』って言っちゃった...。ホントのことを言ったばっかりにオレは大臣になれなかったんだ!」/「この会場に建設業のかた、いらっしゃいますか? (手を挙げさせるが誰も応えない) 誰も居ないの? さては今日は『談合の日』だなッ!!!」/「何で阪神大震災のときに高速道路が横転したか解りますか? 工事を引き受けた大手ゼネコンは100億円の工事を受けたらマージン取って、80億円の仕事として下請けに出す。仕事もらった下請けも何とか利益出さなきゃいけないから、高速道路作る際ホントは100m柱埋めなきゃいけないところを80mしか埋めなかった。だから横揺れには強かったけど、縦揺れには弱かった」/「隣の石川県の蜃気楼みたいなヤツ(森 喜朗)が総理になった。ずうたいばっかり大きくてノミの心臓だからオレは『蜃気楼』って名付けてやった!」/「田中真紀子という男か女か解んないようなひと」/「菅 直人というカイワレ食べてみせただけのひと、好きな女と『ただ一緒の部屋に居ただけです』...そんなワケねえだろッ!!!」/「オレが(千葉県)知事になったら、『煙突税』ってのを作る。『労働力供給税』ってのも取る。江戸川を渡る人間数えてやる。(東京に働きに出てたひとが寝に家に)帰ってきたら『寝床税』っていうのを取るのもいいかもしれない」/「昔、国会本会議場で英字新聞読んでるヤツが居たから、『ここは日本だッ! 日本語の新聞読めッ!』って怒鳴ってやった。そしたらその英字新聞読んでるヤツ、宮沢喜一だった...。だからオレは大臣になれなかったんだ...」/「昔、自民党本部が火事になった時、酔っぱらったヤツが居たから殴ってやった。(ここでもう会場からクスクスと笑いが起こる) 殴ったの誰かと思ってよ〜く見たら、住 栄作(元・法務相で富山県選出)っていうひとだった。いつか謝ろうって思ってるうちに亡くなってしまった。そのうち息子さん(住 博司)が跡継いだけど、このひとも亡くなってしまったみたいで...。この場を借りてお詫び申し上げます(ぺこり)」
ハマコーは何度も「日本一悪い(政治家)ハマコー」というセリフを繰り返し使ってた。あまりにも何度も繰り返すものだから、『日本一悪い政治家』と思われてることこそ彼の拠り所なんだな...って思った。『日本一悪い』ってことが「存在意義」で、彼の「鎧」にもなってる。もしも誰もハマコーのことを『日本一悪い政治家』と思わないようになった時、彼の居場所は無くなる....そう感じた。勿論、そうはならないように「日本一悪い(政治家)ハマコー」と言うセリフを繰り返し用い、みんなに「ハマコーは日本一悪い政治家」って刷り込みを与えてるんだけどね(笑)。講演中、ハマコーは「TVで机ふり廻してる映像ばかり流されるものだから、大学生になる孫から『我々家族のことも考えてください!』って叱られてる」とボヤいてたけど、TVが机ふり廻してる映像ばかり流してくれるお蔭で、いつまでもハマコーは『政界の暴れん坊』で居られるんだから、TV様々(笑)。
講演が終わりに差し掛かると、ハマコーは「お父さん、お母さん、そして友達に感謝の意を込めて」と、1曲歌を披露した。ハマコーが政治家引退してタレントとしてTVに出まくった頃よく歌ってた♪は〜るを愛するひ・と・は〜(“四季の歌”)ではなく(笑)、“お母さん”という曲を歌い、聴衆の拍手を集めてた。歌のあと、滑川の『ミスほたる』のネーチャンから花束贈呈されたハマコー、「この花束は、この会場に居る最高齢のお母さんに差し上げたい」と、会場に居た最高齢の女性(85歳)にもらったばかりの花束をそっくり差し出した。そうして聴衆の拍手を浴びながらハマコーは颯爽と会場を後にしたのだった。
ハマコーが去った後、ふたたび政経同友会代表サンの挨拶が始まったけど、じーさん・ばーさんたちは代表サンの挨拶聴かずに席を立ち、帰路に着き始める。どこまでも哀れな政経同友会代表の挨拶なり...。
ハマコーの『政界の暴れん坊』の異名どおりの言いたい放題トークはそれなりに楽しめたけど、115分の講演会ずっと立ちっ放しは相当ツラかった。ライヴで115分立ちっ放しはあまり疲れを感じないのになぁ...。
【SET LIST】...'01.10.14
滑川市民会館
. 100分に亘るトーク
1. お母さん