−2002年
Personal Top 10 Of the Year − by
ヅェラルド・ブラさん ・アイルランド代表チームならびにロイ・キーン (ランキング順不同) もちろんホントはベストアルバム10としたいとこだったんスが、10枚アルバムを選ぶという行為はかなり難儀でして。そこまで聞き込んだアルバムが選ぶほどないというのが正直なところだったりするからで、なら曲単位でとも思ったが、それならアルバムと一緒にしてしまうか…。イヤ待てよ、どうせならサッカーとか映画とか美女とか自分の関心のあるものは全部まとめてベスト10にしちまった方がオモロいんちゃう? 【アイルランド代表チームならびにロイ・キーン】 【伊東美咲】 【Rubin Steiner “Wunderbar
Drei”】 【Teenage Fanclub “Four
Thousand Seven Hundred and Sixty-Six Seconds”】 【トリプルX】 【Nils Petter Molvaer
“np3”】 【荒野のダッチワイフ】 【探検隊シリーズ復活!】 【WWF(現WWE)SMACK DOWN TOUR
JAPAN】 【フィリップ・トゥルシェ】 それでは皆様良いお年を! Song of the
Year:クレイジーケンバンド "まっぴらロック" (received
'02.12.29) ヅェラルド・ブラさんのプロフィール...ティーンエイジ・ファンクラブのコピーバンド『板東ワゴネスQ』のメンバー。ベースのジェラルド・ラヴ役。ホームページ『板東ワゴネスQ』管理人。
・伊東美咲
・Rubin Steiner“Wunderbar Drei”
・Teenage Fanclub“Four Thousand Seven Hundred and Sixty-Six
Seconds”(写真)
・トリプルX
・Nils Petter Molvaer“np3”
・荒野のダッチワイフ
・探検隊シリーズ復活!
・WWF(現WWE)SMACK DOWN TOUR JAPAN
・フィリップ・トゥルシェ
まあそういう軽いノリでこういう形にしました。
やはり今年の最大イベントは個人的にも社会的にもFIFAワールドカップ
KOREA JAPAN
TM(長いね、しかし)であったのは否めない。もちろん日本代表チームをここで挙げたいのはヤマヤマなのだが、個人的により心を動かされたのは対独逸戦を生観戦できた愛蘭チームであった。愛蘭サポとカシマのスタジアムの雰囲気との相乗効果で俄かとはいえ本場の空気を味わうことができたわけだが、試合内容も独逸先制、愛蘭終了間際に同点とうってつけのものであったのはご存知のとおり。確固たる敗者の美学を持っているのは故ジョー・ストラマーにも通じるものがある
ロイについてはいろいろなことがありすぎた一年だった。なかでもこのW杯期間中の一件は我々にとってやはりまだ、喉にひっかった小骨のように残っている。こういう諍い事というのは第三者に真相は決してわからないし、またそれでいいのだとも思う。それぞれの言い分が共に当事者にとっては正義であるからゆえここまでややこしくなってしまうのであり、傍観者はどちらの肩を持つかを選ぶしかない。マッカーシーは優秀な監督だったが、オレはロイの兄貴(年下だけど)に付いて行く。毒を食らわば皿までとも言う(笑)。
そりゃ、いわゆる鼻フック系美女かもしれないよ(笑)。しかもかなりデカイときてるし。でもねえ、フェイスはもちろんのこと、長〜い四肢含めたシルエットからしてとにかく美しいんですよ。下心抜きの話でね。もうそこにいてくれるだけでいいっていう。オレは生まれてすみませんだけど、キミは生まれてくれてありがとうって言うかね(笑)。「華がある」って言葉は安易に使っちゃいけないんじゃないかと痛感しますわな。まあ正直唄は下手だし芝居もまだナンなんだけど、役者ってのは存在感も大事だからね。井川遥みたいに小ぢんまりと女優として「いっちょあがり」になって欲しくないよなあ。かといってバカ売れしちゃうのもファンとしては複雑ではある。メディアに消費され使い捨てにされるだけだから。特に美形女性タレントはその特性ゆえそういった宿命を抱えているわけで。同じモデル系背高美女として川原亜矢子的ポジションに落ち着くのって意外とアリなのではないだろうか?
まあ全く余計なお世話なんですけどね。
ようやくここで音楽関係が(笑)。
名前からしてうっかりドイツ人かと思いきや、フランソワ・ランデエなるフランス人の打ち込みユニット。AIRなんかもそうだけど、同じ打ち込み系でもおフランスものは英国産とは毛色の異なる、耳当たりの良さに隠れた底意地の悪さが魅力(・∀・)。JAZZやHip
Hopはもちろん、本人がピチカートやコーネリアス、ボアダムズ(!)の影響を公言しているだけあって一筋縄の行かなさ加減はDJ
Shadow級でもある。個人的には「ヤラレた!」感も強くてジェラシー込みで一票。
本来こういうベスト盤とか編集盤はこういう“年間ベスト”では外すべきなのかもしれないが、新曲3曲入りということで免除願います。まあ内容についてはあえて言うまでもないんですが、こうやって録音年代もソングライターもバラバラなはずなのに一枚通して聴いて全く違和感がないのは、やはり奇跡的ではないかと。キャラの押し出しが弱いバンドがロック界では正当に評価されないのは今に始まったことではないけど、OASISあたりは確実に凌駕してると思います、ソング・ライティングに関しては。
また新曲の出来の良さも特筆モノ。単なる収録時間の穴埋めではないのは明白で“Howdy!”で感じた曲のパンチの弱さも払拭されてるのが個人的には嬉しい。枯れる一方ではないよという気概も感じた。特にレイモンド、アンタまだまだ成長してるよ!
“映画秘宝”誌プッシュとはいいつつも、(それゆえにか?)またTVCFの印象からして「まあどうせアメコミマッチョ野郎の映画だろ」と3割引の期待を込めて劇場に向かったのだが、幸か不幸か“エピソード2”もメじゃない大スペクタクル映画でうれしい誤算でありました。息つくヒマのない派手な展開の連続、チンピラテロリストの敵のアジトが若干ドクター・イーヴル的おマヌケ感ありとはいえ、プラハの美しい街並みや雪山をアメリカンXスポーツ・スパイが縦横無尽に駆け抜けるのは最近の007シリーズなんてひれ伏す面白さ主役のヴィン・ディーゼルはスポーツ万能、政治家の愛車をカッパらい陸橋からダイブ!なんていう自分の無茶な行為をビデオ化しネットで販売してシノギを得てる街のゴロツキだが、そんな無鉄砲さと肉体能力を国家に見込まれ諜報員となる。超人的なフィジカルはともかく、歴代ボンドに比べるとオツム使いと女扱いが苦手そうなのはオレたちボンクラ共にも親近感がWAK
WAKだ。そんな陽気で表裏のない直情一本型のヒーローと対照的なのがヨーロッパの暗黒退廃臭ムンムンのヒロイン役のアーシア・アルジェント(かなりイイ女)。本来水と油のはずの二人が共存してしまっても納得してしまうのは力技の演出ゆえか。大体イタリア女のアーシアがロシア人女スパイ役ってのもかなり力技DA・YO・NE?同じアジアじゃん、つってルビー・モレノが日本女性の役やってるようなものでSHOW?(違うか)
以下のセリフ(大意)がこの映画のすべてを言い表しているかもしれない。
上司のサミュエル・L・ジャクソン曰く
「目には目を。バカにバカを」
ノルウェイのジャズトランペッターのアルバム。乱暴に言えば、これ以前の作品も含めて「電化Miles
Davis meets
エレクトロニカ」といった感じのサウンド。こう書いてしまうといささか陳腐な感じだが、オーセンティックなジャズの経験値も高そうな人なので、巷に跋扈する「なんちゃってフューチャー・ジャズ」とは似て非なる深さと奥行きを持っている。生演奏と打ち込みのブレンド加減が絶妙で、まさに北欧の荒涼たる風景をも想起させる冷たい感触のサウンドは、良質な探偵小説やフィルム・ノワールから受けるスリリングな感覚にも似ている。
“JAZZLAND”レーベル周辺含めてノルウェイ・ジャズは今かなり刺激的。ポップ・シーンでも“Motorpsycho”あたりは「ポスト“Tahiti
80”最右翼」とか云われてるんで、機会があればこの北欧の小国の音楽にもっと触れてみたい。そういやちょっと前にはスウェーデンブームがありましたけどね(苦笑)。
実は8月に東京のJAZZフェスのため来日しているのだが、真夏のスタジアムの開放的雰囲気とこの人のクールでハードボイルドなサウンドとはどう考えてもミスマッチでスルーしてしまった。小バコで強めの酒をあおりながら味わいたいっスよ。この手の音は。関係者には、横浜のMOTION
BLUE
辺りでの再来日公演を強く促したい所存である(笑)。
シナリオ集持ってるのに名画座での上映を見逃し続けてきたので待望のDVD化。ある意味前述の「トリプルX」とは180度異なる位相にある映画(笑)。ルパン三世ファースト・シリーズ(最高傑作“魔術師と呼ばれた男”)や“殺しの烙印”、“野良猫ロック”などの脚本を手がけた日本映画界の伝説的人物、故大和屋竺の監督作品。無駄なシーン・セリフはひとつもなく、複雑難解なプロットゆえ一度見ただけでは置いてけぼりを喰らう。主人公の殺し屋の置かれた妄想と現実のカオスが、そのまま見ている者に騙し絵のような錯覚を起こさせ、どこからが映画内の現実なのか殺し屋の妄想なのかがわからなくなっていく。それを増幅するのが、お笑い一歩寸前にギリギリ留まる極めてニヒルでハードボイルドなセリフの数々と(ex.「三時まぢかになると俺の身体中のゼンマイは巻き上がってギシギシわめくんだぜ」)、山下洋輔カルテットによるコルトレーンもかくやというフリーキーなJAZZ演奏による劇伴音楽。この映像体験はドラッギーですらある。
当時この作品がピンク映画の一本として公開されたことにも驚きを禁じえないが、この映画に限らず、ひいては映画や音楽に限らず60年代後半から70年代のサブカルチャーの持つ普遍的かつ破天荒なパワーやグルーヴの源は何なのだろうか?この謎を解くこともライフワークのひとつとなりそうだ。
30台前半の同世代の方なら知らぬはずのない、テレ朝水曜スペシャル「川口浩探検隊シリーズ」が装いも新たに「藤岡弘探検隊シリーズ」として帰ってきた。といってもナレーション(“ガッチャマン”の総裁Xの人ね)とかBGMやSEはまったく変わっていないのでノスタルジアのツボを刺激しまくり。いやあ、忙しくてまだ録画のサワリしか見てないんですけどね、実は(笑)。とりあえず番宣見ても、蛇に絡まれたり川に落ちたりのお約束のハプニングも健在で楽しみですわ。
個人的にも小学6年生当時、その風貌から「ゴリラ」という異名を持つ級友O君を主役に学芸会でこの探検隊シリーズをパロって「猿人発見!」コント(それなりにウケてた、と思う)の台本を書いた経歴を持つワタクシにとっては、「やっぱ放送作家でも目指すべきだったな」という悔恨含めて感慨深いです。まあそういうスピリットは「ガキ使」の板尾コントあたりに継承されているということで良しとしよう(笑)。
確かこの番組は、川口前隊長が夭逝したこともあるが、当時のテレ朝の「ヤラセ」スキャンダルが根幹にあって打ち切りとなったと記憶している。翻って「電波少年」に始まり「ガチンコ!」だの「あいのり」のように「ヤラセ」をもっともらしく見せる術に長けた現在のTV界の風潮を鑑みれば、当時の「ヤラセ」など可愛く見える時代。これは果たして喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか。
しかし「首狩族」って言葉は今の放送コードじゃ消音対象となったらしい。なんだかなあ。
思えばずいぶん昔のように感じるが今年の3月だったんだよなあ。アメリカン・プロレスの時の流れは速い。かなり乱暴に総括しちゃうと、“2ちゃんねる”的コミュニティーが奇跡的な磁場を起こしたひと時でしたね。わかっている奴だけわかっていればいい、このグルーヴに付いてこれない不粋な奴は来ないでいいよ、という。まあそういう一種の選民意識が鼻に付くという意見も充分わかりますが。
年明け早々またやって来るんだけれど、あの日あの時の異様なヒートぶりはワン・アンド・オンリーではないかというわけでそっちはスルー。
いや確かにボブ・サップもイイ!ですよ。ただですね、パワーやテクニックはともかくあのぐらいキャラが立った連中が毎週毎週連続格闘ドラマ(たまにコント)をやってるわけですよ、WWEって団体は。というか個人的にはWWEって「全員集合!!」なんで、そのテイストを嗅ぎ取っちゃった人にはそれ以上でもそれ以下でもないってのがホントのとこなんだけど(笑)。そういう意味で「いかりや長介」であるオーナーと、「荒井注」兼「志村けん」であるあのハゲ親父が不在の今のWWEってのは…(以下省略)
最後の最後はホント迷った。しかし、この1年だけでなく約4年に渡って良くも悪くもハラハラドキドキ楽しませてくれた、この愛すべきフランス人を選ばせてもらおう。まあ最後まで迷ったその一人とは「ユニバG」の大神源太会長なんだけど。いくらなんでも詐欺師と較べちゃトゥルシェにゃ悪いか(笑)。
思い起こすのは対トルコ戦。その選手起用と采配が未だコアなファンの間で論議になっているけれど、その是非についてはあまり興味はない。こういう予想だにしないことを「やらかす=やりたがる」奴だということだけは充分わかっていたので。ただ、なんでこのトルコ戦、しかも決勝トーナメント1回戦というやり直しの利かないタイミングでそれをやるワケ!という怨みはまだ残る。もちろん本人が認めているように博打であった以上、逆の結果もありえたわけで、そうなればトゥルシェ万歳!となっていたんだろうけれど。結果論は不毛だ。
そうそう、このトルコ戦、試合終了後すぐに吐いたんだよねえ。個人的にこの時期いろいろあって体力的にハードだったのは確かだが、今思うとそれだけではないような。
戦術論的なことは専門外なので触れないが、何度見ても日本代表の選手たちはそれまでの予選3戦で見せていたアグレッシヴさがなかった。「キモチ入ってないヨ!」ってラモス的精神論には走りたくないけれど、個々人のプレーにどこか萎縮したもの、迷いを感じた。その理由は選手達自身が対戦相手のトルコというチームにではなく、このトゥルシェの「ご乱心」に面食らってしまい、それまでのいい流れを立て直せぬまま煮え切らなさばかり残った90分だったという気がするのだ。そこからトゥルシェを批判するのは簡単なんだけれど、仮にもここまで4年間そんな男と実際付き合ってきた選手達には、その程度のハプニングに迷わされないふてぶてしいメンタリティを身に着けていて欲しかったというのもまた事実。「オイオイ、オッサンまたかよ〜」ってな調子でやり過ごせるだけの精神的強さをね。そういう意味でもトゥルシェは自身の反面教師的行動を通じて日本人選手にサッカーの技術面よりも、精神面での鍛錬を一貫して要求していたのではとも思える。「海外に出ろ!経験を積め!」と口を酸っぱくしていた持論も、確かに欧州や南米のクラブチームにはこの種の「腕は立つけど理不尽魔王」な監督は多いわけで、技術的習得よりもそういう海千山千とも渉り合うメンタル・タフネスの成長を求めていたのではないかと。その経験値は試合のあらゆる局面での応用が利くはずだし、ひいてはそれが単なる一プレイヤーとしてだけではなく人間的深みの形成に繋がるわけで。脳内ファンタジーですけどね。
結局試合に負けたという事実よりも、戸惑いながら戦う選手達の迷走ぶりが、あたかも自分自身のメンタリティの弱さを映す鏡のように錯覚してしまったから嘔吐してしまったのでは…って感傷的に過ぎますかね?
しかし「代表監督をしていて最も良かったと感じた時は」との問いに、試合そのものではなく「皆で一緒に練習や食事をして互いの絆を感じたこと」なんてことをサラッと言うからこのオッサンは憎めないんだよな(泣笑)。