−2005年
映画 TOP10− by
Sweeperさん 1位 亀も空を飛ぶ (1位以外は順位なし) 2005年に公開されたもの、もしくはその2005年のものではないけど感銘を受けてそのベスト10にのせたいと思うものをピックアップしました。 例によってベストワンはこれ、とまあ指し示せるけど、2位と3位の違いというのはあまり意味が無いので、2位以降は順不同とさせていただきます。 その1位というのでも随分迷うのですが、 イラン映画「亀も空を飛ぶ」 です。 1位 亀も空を飛ぶ マシニスト スーパーサイズ・ミー エレニの旅 宇宙戦争 ヒットラー 最後の12日間 NOTHING<ナッシング> ある子供 ポビーとディンガン ミリオン・ダラー・ベイビー (received
'06.1.21) Sweeperさんのプロフィール...ウクレレ前田さんのブログ『裏声喫茶』の常連さん。5年続けて『なんでもTOP10』に参加いただき、こっちのほうでもすっかり常連さんです(笑)。どうもありがとう!
マシニスト
スーパーサイズ・ミー
エレニの旅
宇宙戦争
ヒットラー 最後の12日間
NOTHING<ナッシング>
ある子供
ポビーとディンガン
ミリオン・ダラー・ベイビー
クルド人問題という枠に入りきらないドキュメンタリーのような映像を実際に起きているであろう悲しい話の積み上げがこの映画の力点です。単に感動した云々というのではなく社会性、普遍性をもった素晴らしい1本です。
これは心が痛い映画だ。既に暴力を受けた痛みをその後もじっと抑えている映画だ。
この話の中では悲惨な状況の中でも精一杯生きている子どもたちのあどけなさや戦争や人の死に慣れている両面性に何とも言えないやるせなさを感じてしまう。そんな状況でも子どもたちは力強く生きているけど、それは生きる為の虚勢なのか?
骸骨のような背中が語る
浮き出た肋骨が語る
亡霊のようなこけた顔
この人は生きているのだろうか?
1年間不眠の男は見ているだけで痛い存在だ。
30kgも体重を落としての役はそれだけで圧倒する。
物語もその体同様この世に無いような世界に入り込んで行く。迷宮に入りこんで出るべき道の選択をうまく出来たのだろうか?いつのまにか観ている側もフラフラになっている主人公と同化して現実と架空の境がわからなくなっていく。 目を覚ませ!いや1年間寝ていない男は起きているはずだ。。。
この深層心理をえぐるかのようなクラシカルな響きの映画音楽もなかなか良かった、サントラ欲しいなあ。
噂の体当たり実験ドキュメンタリー、マクドナルドのメニューを1日3食1ヶ月食べ続けたらどういう影響が出るか?という過激な試み。
マスコミ、TV、政治家、経済界など、知ってて言わないところをかるくポンとやってのけるのだから凄い。
映画は結構ポップでマイケル・ムーアが好きであればこのタッチは難なく受け入れられるはず。被験者が語っているように、医者の指導無しでこれを実践するのは危険とのこと、映画でも20日過ぎたあたりから「実験をやめないと体が、特に肝機能が麻痺する」と警告するくだりがあるが急に「摂取」したからというのでなく最近急激に増えている超肥満な人は、もうオカシイのでは?という疑問にも映画は例をあげて(その人は恐らくは日常の多めの食事の他に毎日凄い量の清涼飲料水を飲んでいた)その疑問にも答えている。
ファーストフード業界は売上至上主義の為に子供を早くからTVCMや店の中のアトラクションなどで洗脳してファーストフード漬けにしてしまい多くの肥満とそれに伴う病気を作っている。その罪は大きいと繰り返し語られている。
ただ、この映画を観てマクドナルドのハンバーガーを食べたくなくなった、という抑止力になっていないところが気になるところだ。人によっては「極端な偏食をした人の変わったドキュメンタリー」というように思われてしまう。 スローフードな偏食(する人の方が1日3食より圧倒的に多い)でもこんな風になる、という切り口の方が効果的だったのかな?とも思ったりした。いずれにしても、ファーストフードってちっとも体に良くないってことだけは非常によくわかる。
かつて、日本マクドナルド社長の故藤田氏が「日本人もハンバーガーをいっぱい食べれれば金髪になる」云々のことを思い出してしまい、なんとキテレツな発言だったんだと改めて考えてしまった次第
テオ・アンゲロプロス監督作品、ギリシア映画ということで、池澤夏樹氏が字幕を担当。重く辛い映画だ。
やや観念的とも思われているテオ・アンゲロプロス監督映画にしてはかなりストレートな物語なのかもしれない。
20世紀のギリシアが経験したであろう救いようの無い悲劇の上塗り。エレニが主役だとしたら音楽は第2の主役。喜怒哀楽(というか殆どが「哀」だけかもしれないけど)を音楽によって表現されていた。長回し(寄ったり引いたりもしている)の撮影が多いがそんな映像は構図がしっかりしていてまるで美しい絵画のようなシーンが多い。
「ドクトル・ジバゴ」に匹敵する引き離される悲劇だ(二つとも何故かロシア革命が関係しているけど)。
S・スピルバーグ監督、Tクルーズ主演、恐かった。 夢に出てきそうだ。
これ、SFというよりホラーな感覚がいっぱい。逃げられない恐怖、圧倒的なものに手も足も出ない状態、もう逃げるしかないじゃん、逃げろ逃げろ。映画館のドルビーサラウンドがそうした恐怖を増幅させる。かなり心臓によくない。
スピルバーグは結構残虐なシーンが多く、まあ「ジョーズ」もそうだったけど、「ジェラシックパーク」や「プライベートライアン」もリアルだったけど、今までで一番非情で残虐なシーンが多いと思う。この上記のメジャーな人がこんなにも人が多く残虐な目に合うシーンが多い映画に出ていいのだろうか?ただ、この映画、個人的には多いに興味があるし、叙情も無くリアルだったしここまでよく撮ったものだ。
あのブルノー・ガンツがヒットラーを演じる、意外と違和感がない。
ヒットラーが英雄でも素晴らしいひとであるとかいう描写は一切ない。秘書をした人の視点で映画が構成されているけど「外界」で何が起こっているのかということもしっかりと押さえてあり、その「外界」とヒットラー本人やその周りの人たちとの対比がこの映画の見所にもなっている。割と知られた最後なのかよく知られていない最後なのか分らないけど映画で描かれている最後のヒットラーは「最後まで挽回するという妄想に取りつかれて他人の意見は取り入れない左手の震えの止まらない相談するひともいない孤独な初老の人」だった。映画を見ているより何かドキュメンタリー実写版を見ているかのようなリアルさがある。
ヴィンチェンゾ・ナタリ監督作品、ヴィンチェンゾ・ナタリというとあの「CUBE」の作者だ。
今回の映画はまたシュールな世界に入ってしまう映画だ。この映画、全く何も知らないで観に行ったのだけどそれが幸いしたのか先入観抜きで主人公達と同じような感覚を感じてしまった。敢えて言うと「行っちゃう」映画だ。よく観ると、「CUBE」で出ていた二人が主人公だったりすることがわかってくる。また映画の物語性とかの概念を壊してしまった映画だ。
これは辛い映画だ。去年、「誰も知らない」に大きく心を揺さぶられたけど、この映画も違った意味での子どものあり方を考えさせられる。刹那的な行き方しか知らない子ども、といっても大きな子どもだ。彼のことを責めるのは容易いけど、僕らは彼を責める事が出来そうに無い。子どもではなく大人が持っている身勝手さを彼が体現しているからだろう。
音楽が全く無い、そんなせいか、ドキュメンタリーな世界を見ている気がするし、ドラマである事を忘れてしまう。
彼は果たして救われるのだろうか?観た人がそれぞれ彼のその後を考えなくてはならない。
「ある子供」と両極に位置するような映画だ。
子どもの純粋さ、に動かされるシンプルな映画だ。
ポビーとディンガンは本当にいたのだろうか?
信じる子ども、その子どもを信じること、またはその「嘘」でもいいから信じてあげる優しさなのか?それとも本当にその「存在」を認められたのか?
最後はとても幸せな気分になれます、映画の最後のように開かれた心であれば。
いい映画だ。いつまでも余韻が残る映画だ。
ただ、前作「ミスティック・リバー」同様、重いテーマだ。
ボクシングを扱った映画なのにとても静かな映画だ。
親子でもない、30過ぎの女ボクサーと老トレーナーの信頼関係。
血縁でもない、実の親子でもない、家族に見放された、二人の「家族の再生」がされていく。
この二人の実の家族との比較がされることでそれが鮮明になっていく。
頑なに教えない老トレーナーがつけたゲール語のリング名はなかなかあかされない、
いつになったら教える(分る)のだろうか? 映画はそれを明かす場面をもっとも素晴らしいところに持ってくる。
C・イーストウッドが(初めて)というくらい本気な演技を見せる。M・フリーマンのが語るサブストーリーだけでもジンワリとくるのに、映画のナレーションで達観した語りを入れてその表情も演技であることを超越していた。この「2老人」の達観した姿、あれはもう演技ではないかもしれない。