−2007年
惜別球人 TOP10− by
ヒロくん(師匠) (1)
古田敦也 (東京ヤクルトスワローズ) 2007年に、自らの意志で現役を引退したプロ野球選手、または自由契約になり他球団から声がかからず現役引退に追い込まれたプロ野球選手のTOP10です。 (1)
引退後もイロイロとメディアに登場して、それほど「惜別」って感じはしませんが(苦笑)、現役引退と同時に監督としても退任。師である野村克也以来20ン年ぶりのプレイング・マネージャー、結果的には「失敗」と評価されても仕方がない結果に終わりました。プレイング・マネージャーをやらなければ、もうちょっと現役でやれたと思うのですが...。日本のプロ野球初のストライキの時の選手会長だったり、捕手として2人目の2,000本安打達成など、球史に残る名選手のひとりです。 他にも、鈴木
健(東京ヤクルトスワローズ)、河本育之(東北楽天ゴールデンイーグルス)、デニー友利、渡辺博幸(以上、中日ドラゴンズ)も現役を引退もしくは自由契約になりました。渡辺については、ナマのプレイを観たことがあるのにランク外にしてゴメンナサイ...。いずれの皆様も、長い間御苦労様でした。 ('08.12.11/12.14) ヒロくん(師匠)のプロフィール...3年前まで独身だったのに、あっという間に2人の娘の父親になってしまったこのサイトの管理人。
(2) 黒木知宏 (千葉ロッテマリーンズ)
(3) 吉井理人 (千葉ロッテマリーンズ)
(4) 関川浩一 (東北楽天ゴールデンイーグルス)
(5) 河原純一 (西武ライオンズ)
(6) 田中幸雄 (北海道日本ハムファイターズ)
(7) 佐々岡真司 (広島東洋カープ)
(8) 高津臣吾 (東京ヤクルトスワローズ)
(9) 水口栄二 (オリックスバッファローズ)
(10) 吉田豊彦
(東北楽天ゴールデンイーグルス)
(2)
球史に残る18連敗を喫した『暗黒時代』のエース。チームが強くなった途端、故障続きで、何とか再起を図ろうとしましたが、それは叶わず...。
(3)
今、ファイターズのピッチング・コーチをやってるため、あまり「惜別」って感じがしませんが(苦笑)、バファローズの抑えの切り札→スワローズでの先発投手としての活躍→メジャーでの活躍...と、忘れられない選手のひとりです。
(4)
矢野輝弘との捕手同士の交換トレードでドラゴンズに移籍し、1999年のリーグ優勝に貢献しましたが、その後は出番が減りました。
(5)
ソープ嬢と入籍し、ネット界では『泡サマ』の異名で親しまれていた彼。抑えとして起用されて幾度か『炎上』を重ね、ジャイアンツからライオンズに移籍しましたが、ライオンズでの復活はなりませんでした。1年の『浪人』の末、結局、ドラゴンズにテスト入団しましたが、『2009年なんでもTOP10』のこのコーナーに登場することがないよう祈ってます(苦笑)。
(6)
ファイターズ一筋で2,000本安打を記録。番長・清原と同期のスラッガーだけど、一般的知名度では清原に全然及ばない。しかーーーし、番長と違って、「打点王」のタイトルを獲ったことがあるタイトル・ホルダーであり、もっと評価されてしかるべきと私は思うんだけど...(苦笑)。彼の背番号『6』の後継者は中田
翔。「田中」→「中田」って、球団はちょっと狙い過ぎじゃないですか?(笑)
(7)
カープ投手陣を長い間引っ張っていた大黒柱的存在。抑えと先発をやってたけど、抑え専門でやってたら350セーブはいってたろうし、先発専門でやってたら200勝はいってたでしょう。名球会メンバーに匹敵する仕事はしてます。
(8)
野村監督時代のスワローズ黄金期の抑えの切り札であり、球団の大の功労者ですが、メジャー行って『出戻』らなければ戦力外通告を受けるような屈辱的扱いは受けなかったでしょう。
(9)
またひとり、近鉄バファローズのレギュラー・メンバーがひとりユニホームを脱ぎました。近鉄バファローズという球団の存在も、どんどん『歴史上の出来事』になっていきますね。
(10)
彼の引退により、南海ホークス時代を知るひとは、残りは大道(現・讀賣ジャイアンツ)ただ1人だけになりました。福岡ダイエーホークスでエース級の活躍をしてた頃が一番記憶に残ってますが、力が衰えてから中継ぎとしてタイガース→バファローズ→ゴールデンイーグルス...と球団を渡り歩いた仕事人。