Clock Without Hands

 ええっと、私の腕時計の電池は10月くらいからず〜っと電池が切れてました。正確には「切れかかってた」んですけど。私の使ってる腕時計は『山ヤ』にありがちな高度計(気圧計)付きのアナログ/ディジタル共存型。アナログの文字盤の下のほうにディジタル・ディスプレイが付いているってヤツです。このディジタル・ディスプレイはモード切り替えによって高度計の画面が出たり、気圧計の画面が出たり、ストップウォッチ画面になったり、アラーム設定画面になったりします。勿論、時間表示も出来ます。
 で、電池が切れ(かけ)たお蔭で、まず、アナログが止まりました。時計の針の動きが一切無くなりました。ディジタルのほうはというと、有効なモードは時間表示だけになりました。高度計やら気圧計やらストップウォッチやらのオマケ機能は全部停止。時間表示も電池切れを表すため、点滅しました。で、この状態で2ヶ月放っといた(笑)。私は腕時計がこーゆー状態にもかかわらず、登山にも出掛けたし、ライヴにも出掛けたし、あちらこちら出歩きました(笑)。要は時間さえ判ればいいんだから(笑)。
 ところで、先ほどから「腕時計」って表記してきましたけど、そもそも私は5年以上腕時計を腕にはめたことがありません。1996年の9月に利尻岳に登山に行った際、腕時計のリストバンドが外れてからそれっきり。外れたリストバンドも直してないし、あの日以来腕時計は懐中時計みたいな扱いをしています。何故直さないのか...それは勿論、時計屋に持ってくのが面倒だったこともあるんですけど(笑)、昔読んだ島田荘司の短編集のなかで名探偵・御手洗潔がこのようなことを言ってたこともアタマのなかにあったからです。「『今何時か』」という時間のことだけしか教えてくれない機械に左手首を預けておくのは勿体無い。腕時計を嵌めていて、知ることは『如何に自分が時間の奴隷であるか』っていうことだけ。そんなもののために左手首を明け渡す必要は無い」...。こう言うからには勿論、名探偵・御手洗潔も腕時計をしてないんですけど、御手洗潔は続けて「『今日の天気はどうなるのか』とか、『目の前に居る男が詐欺師か否か』とかもっといろんな情報を教えてくれるんだったら喜んで左腕を明け渡しましょう」などとも言ってました(笑)。
 で、ま、一般のひとたち、腕時計をしてることにより自分が時間の奴隷であると感じたことがあるか否かは解りませんけど、私のような『山ヤ』、しかも単独行者だったりすると時間の奴隷になったような気持ちを持つことが多々あります。というのは、単独行者にはペース配分決めるひとが居ない(っつうか、自分自身なんだけど...笑)ため、客観的にペースをきめる尺度として時間を使います。少なくとも私はそうです。60分歩いたら休憩とか。私は単独行が長いから、もっぱら時間で行動管理してますけど。こんな単独行の山歩きの時に腕時計してたらどうなるか...何度も腕時計見ますねぇ...。60分歩いたら休憩...とかって決めて歩いてる時、苦しくなってくる後半30分くらいは殆ど1分おきくらいに腕時計見てたんじゃないかなぁ...(苦笑)。まさに時間に縛られた奴隷です。だから昔から山歩きの際には腕時計してなくて、胸ポケットやズボンのポケットに入れてたんだけど、これはこれで紛失リスクが大きいものだから、たまたま例の利尻岳登山の際には腕時計してて、で、切れちゃったんだよねぇ...。
 で、リストバンドが外れた腕時計を爾来5年間、懐中時計がわりに使ってたんだけど、さほど不便に思ったことはないねぇ。特に、携帯電話持つようになってからは懐中時計を2つも持ってることに等しいワケで、日常生活を送るうえで不便だったことはまったくありません。そういえば、先の名探偵・御手洗潔もこのようなことを言ってました。「腕時計しなくても、世の中には時計があふれてる。どこに行っても時計だらけ。唯一時計が無いのは銀座のバーだけで、ここは客に長居を気付かれたくないので、わざと時計を置かない」って(笑)。
 で、電池切れで点滅してた時計、12月24日に富山駅行った際に、コーヒーカウンターの隣にある時計屋で電池入れてもらいました。今はまともに動いてます(笑)。勿論、リストバンドは直さず、今も懐中時計がわりですけど(笑)。
 さあ、みなんなも左手首を『時間の奴隷』から解放しよう!(笑)

 標題の『Clock Without Hands』とはナンシー・グリフィスの新作タイトルですけど、これに引っ掛けて『Hands Without Clock』な話題でした(笑)。

 ...こう書くと「『Hand Without Watches』だろ!」っていう親切なメールくれるひとが居るので、敢えて『Clock Without Hands』のまんまにしました(笑)。

('02.1.6)

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