なんとも胡散臭いクラプトン人気
エリック・クラプトンのベスト・アルバムが、日本だけで150万枚の売り上げを記録したそうだ。「ハァ〜ッ...」と思わずタメ息が出てしまうが、私はこのクラプトンのベスト盤を買った150万人の仲間には入っていない(ちなみに私が持ってるクラプトンのアルバムは『ラッシュ』のサウンドトラック盤と『ピルグリム』だけ...クリームの『クリームの素晴しき世界』もあるケド)。何故、クラプトンのベスト盤を私は買わないかというと、1960年代のヤードバーズ〜クリーム時代からず〜っと活躍し続け、トップ・アーティストの座に君臨するクラプトンの歴史をたった1枚のCD聴いただけで『知ってるつもり』になるのもクラプトンに対して失礼なハナシだし、そもそも今の日本での異様なまでのクラプトン人気に対してかなりの胡散臭さを感じて、気持ち悪くて仕方がないからだ。
先程、『1960年代のヤードバーズ〜クリーム時代からず〜っと活躍し続け、トップ・アーティストの座に君臨するクラプトン』と書いたが、実際のところ、日本においてはここ最近でこそ名実ともに大物扱いだが、'80年代のクラプトンは『大物』との名ばかりが先行し、実が伴わないカルい存在だった。私が洋楽を聴き始めたのはアルバムでいうとちょうど『マネー・アンド・ジガレッツ』がリリースされた頃で、当時このアルバムは『オリコン』の総合チャート(洋邦合同)で最高10位くらいに喰い込むくらいのセールスを記録していた。こう書くと「'80年代もクラプトン、人気あったじゃないか」と思うかもしれないが、アルバムは売れるけど、ラジオは相手にしないアーティストだったんだよ、この当時は。ラジオ局の洋楽チャートでトップ10入りすることは無く、一般の洋楽ファンは全く相手にしていなかった。『3大ギタリスト』のうちの1人ということでギター・キッズがアルバムを買ってたんだろうけどさ...。ちょうど今で言うとイングヴェイ・マルムスティーンみたいな売れ方をしてたといえば、解り易いかもしれない。インギーも『オリコン』の総合チャートで洋楽アーティストとしては異例ともいえる1位を獲ってるというのに、ラジオでは縁遠い存在だ。'80年代の日本でのクラプトンはまさしく『インギー』だった。
次のアルバム『ビハインド・ザ・サン』がリリースされた1985年も、クラプトンの日本での扱いは似たようなもので、当時日本でも人気爆発だったフィル・コリンズがこのアルバムをプロデュースしたという話題も、なんの後押しにもならなかった。このアルバム収録の“フォーエヴァー・マン”は今のクラプトン・ファンには名曲扱いされているのか、TVの『ミュージック・フェア』で近藤マッチや宇崎竜童がこの曲を歌ってるのを見たことがあるが、当時シングル・カットされたにもかかわらずラジオ局の洋楽チャートとは完全に無縁だった。
そんなクラプトンの日本での状況が変わったのは、MTVアンプラグドとか、クラミー賞受賞とか、息子さんが亡くなったこと...があった'90年代から。何かにつけて『権威づけ』をありがたがる日本人にとっては、グラミー受賞は『箔づけ』になっただろうし、息子さんが亡くなったことは、何かにつけてヒーローに『悲劇的ドラマ』を求めたがる日本人にとってピッタリだったんだろう。こうしてクラプトンはここ日本で『名実ともに大物』になった...のだと思う。あと、忘れてはならないのが、'80年代にいかに『世間』が無理解だろうともクラプトンのアルバムを買っていたギター・キッズたちが、ギョーカイでそれなりの地位を獲得し、クラプトンをプッシュできる権限を獲得したことも大きい。
と、いうふうに、昔の日本での『不遇』なクラプトンを知ってるだけに、今のクラプトン人気に、とても気持ち悪い、居心地の悪いモノを感じてしまう。
(2000.3.19)