桜のドライヴ?
いえ、錯乱のドライヴ...。
この4月にいよいよウィーザーの3rdがリリースされる。プロデューサーは1stアルバムを手掛けたリック・オケイセック。このリック・オケイセック、今のロック・ファンには「ウィーザーのプロデューサー」としてしか認知されていないんだけど、'80年代にはエレポップ・バンド、カーズの全ての楽曲を手掛ける『稀代のポップ・ソングライター』として誰もが認める存在だった。今のロック・ファンにとって、カーズは「ウィーザーのプロデューサーがかつてやってたバンド」に過ぎないのかもしれないけど、'80年代の音楽にリアルタイムで接してきて、カーズが大好きだった者にとっては、ウィーザーこそ「カーズのリック・オケイセックがプロデュースしてやったバンド」に過ぎない!ともいえる。実際の話、私はウィーザーのデビュー盤を日本盤リリース直後に買ってるけど、プロデューサーがリック・オケイセックだから買ってたりする。それほど'80年代の音楽を聴いて育った者にとってはカーズ、そしてリック・オケイセックは偉大な存在なのだよ。
アメリカのボストン...『学生の街』と呼ばれるこの街...出身のカーズのメンバーは、リック・オケイセック(vo.,
g.)、グレッグ・ホークス(key., vo.)、ベンジャミン・オール(vo.,
b.)、エリオット・イーストン(g.,
vo.)、そしてデイヴィッド・ロビンソン(ds.)の5人組。デビューから解散まで不動のラインアップ。惜しいことに、去年ベンジャミンが癌で死去したため、もうオリジナル・ラインアップでの再結成は不可能になってしまったけど...。ま、リックには再結成する気はサラサラなさそうだけどね。
ここで、彼らの足跡をたどってみると...。
The Cars |
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(import : Elektra 135-2) |
Candy-O |
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(import : Elektra
5E-507-2) |
Panorama |
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(import : Elektra
5E-514-2) |
Shake It Up |
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(国内盤 : イーストウエスト
20P2-2243) |
Heartbeat City |
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(国内盤 : イーストウエスト
AMCY-3015) |
The Cars Greatest Hits |
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(国内盤 : イーストウエスト
18P2-3131) |
Door To Door |
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(国内盤 : イーストウエスト
18P2-2687) |
Just What I Needed: The Cars Anthology |
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(国内盤 : ワーナー
WPCR-620〜1) |
この他『錯乱のドライヴ(デラックス・エディション)っていうのが出てる。(国内盤 : イーストウエスト AMCY6018〜9) デビュー作に、デモ・バージョン&ライヴ・ヴァージョンを収めたスペシャル・ディスクがオマケで付く2枚組。 |
カーズって、現役時代は『オシャレな都会派ポップ・バンド』扱いされてたけど、今の耳で聴くと'70年代の作品のサウンドがダサくてビックリ!する(笑)。こういうエレクトロニックを駆使した音楽って日進月歩が激しいからねェ〜...。'81年の『シェイク・イット・アップ』からは今の耳でも聴きに耐えうるサウンド・プロダクションになってるケド...。初期の3枚が日本盤は廃盤ということがそれをよ〜く物語っていると思うよ(笑)。デビュー作はマニア向けのオマケ付きの2枚組で出てるけど。
カーズ・サウンドの魅力を語ると、リック・オケイセック独自のポップ感覚でしょう。あと、どこかスットボケ気味なリック独特のヴォーカルも(笑)。リックの声聴けばカーズって分かるモン(笑)。
そんなカーズのアルバムをどれか1枚聴くとしたら、'80年代者の私としては迷い無く『ハートビート・シティ』を挙げる。もう1枚聴くとしたら『錯乱のドライヴ』ね。カーズのバンドとしてのピークは世界的なアルバム・セールスで測るとやっぱり『ハートビート・シティ』がリリースされた'84年になるんだろうけど、ここ日本では、なんとまあ実は'70年代が人気のピークだったりする! 音楽雑誌『rockin'
on』最新号の'01年5月号で編集長・山崎洋一郎に「バーン・コーポレーションのバカヤロウ!!」と書かれる原因になった(笑)音楽雑誌『音楽生活』vol.
3では、黄金期の『MUSIC
LIFE』の表紙一覧図を載せてるんだけど、これ見て初めてカーズが『MUSIC
LIFE』の表紙になってたことを知りました。日本では'70年代にピークを迎えてたワケですね、カーズは。
'80年代にカーズの音楽に触れで彼らのファンになった者にとっては、カーズに対する世間の冷たさが我慢ならなかった! '84年度の第1回MTV大賞を受賞したのは他でもなく彼らの“You
Might
Think”のヴィデオ・クリップだったのに、日本では全然話題にならず...。このヴィデオのなかでリック・オケイセックはハエになったりハリになったり(時計のね)頑張ってたのにさあ...。今と違って『ベストヒットUSA』など洋楽クリップ番組が全盛だった頃。それなのに「第1回MTV大賞。カーズなんかが取っちゃってさあ...」っていう空気であしらわれてた気がする。さらに、もっと酷かったのが'85年のライヴ・エイドだ! カーズも出ると事前に情報を得てたカーズ・ファンの私は、彼らのライヴ・パフォーマンス見たさに夜通しTVの前に陣取ってた。なのに、カーズのパフォーマンスは全編カットだ! カーズ・ファンの心情を無視し、「今日このライヴ・エイドであのビートルズが再結成されるかもしれません♪」と盛んに煽り、ひとりでハシャギまくっていた南こうせつ! この日以来、南こうせつは嫌いだッ!!! ここで私が何を言いたいかというと、日本では'80年代カーズは不当な評価を受けてたってこと。でも、今となってはウィーザーのルーツ的ニュアンスで'80年代カーズも正当に評価されてるけどね。
バンド解散後、リックはソロ活動を本格化させたワケだけど、創作家としては'80年代の冴えもキレも輝きもみられず、『クイック・チェンジ・ワールド』なるどーしようもない作品(ヒロくん・選'93年度『金返せ!アルバム』)をリリースするなど散々...。そこでリックはプロデューサー業に転身したり、マドンナの家来になったり(マドンナの『Maverick』レーベルにA&R(新人アーティストのスカウト役)として雇われた)してたワケだけど、リックはやっぱりただならぬ感性の持ち主だったと世間を唸らせたのが、先ほどからしつこいほど触れてるウィーザーの1st(ジャケ写左)のプロデューサーとしての仕事。確かにウィーザーには「ギターをシンセに置き換えたらモロにカーズ」って曲あるしね。で、カーズと同じく、どこかすっとぼけた風味があるし(笑)。他にもリックは、バッド・レリジョン(ジャケ写右)やNADA
SURFの作品のプロデュースを手掛けてます。
プロデューサーとして名を上げるのも結構だけど、'80年代のリックの輝きを知ってる者としては、ミュージシャン、ソングライター、そしてアーティストとしての復活を望みたいなあ。これって私だけ?(笑)
(2001.4.1)