『MUSIC MAGAZINE』11月号の『'80年代洋楽アルバム100選』から漏れた100アーティスト(枚)
 もう既にいろんな'80年代音楽専門サイトで話題になってる(らしい)し、私自身いろんなサイトの掲示板で話題にしまくっているけど(笑)、今、書店に並んでいる音楽雑誌『MUSIC MAGAZINE』11月号の「'80年代洋楽特集」。これは'80年代の洋楽と並走してきた私のような『ロック世代』(笑)の人間には楽しくて仕方がない企画だった。よくぞ、やってくれた〜!!!...というのが偽らざる気持ちだけど、『MUSIC MAGAZINE』11月号の「'80年代洋楽特集」の「'80年代洋楽アルバム100選」をまじまじ見つめ直すと、何であのアーティストのアルバムが選ばれてないの?...っつう不満が出てくるものである(笑)。そこで、『MUSIC MAGAZINE』11月号の「'80年代洋楽アルバム100選」では無視されたものの、このひとたちのことも忘れないでねッ!っていうことで『「MUSIC MAGAZINE」11月号の「'80年代洋楽アルバム100選」から漏れた100アーティスト(枚)』を選んでみました。ホントはアルバム100選にすべきものなんだろうけど、いまやCD出廻ってないものもあるだろうし、そもそも私自身アルバムのタイトル忘れたものも多いのでアーティスト100選...にしたかったけど、サウンドトラック盤も選んだので『100アーティスト(枚)』っつうマヌケなものになってしまいました。
 ここで注意してほしいのは、ここで選ばれた『100アーティスト(枚)』は、『MUSIC MAGAZINE』11月号の「'80年代洋楽アルバム100選」と同じ考え方で選出してます。あの特集の選出基準は
'80年代のお茶の間を席巻した洋楽カルチャーに強い影響力を持ってたか否か...だと私は捉えております。したがって、どんなに作品内容がよくて後に名盤と呼ばれようが、アメリカやイギリスでセールス上げていようが、'80年代日本での洋楽カルチャーに影響を与えないものは選ばれないし、今現在ほとんどギャグの対象としてしか名前が上がらなくなったひとたちでも、'80年代の洋楽シーンで話題沸騰だった場合には選ばれます。要するに、オレンジ・ジュースやハスカー・ドゥ、ボブ・シーガーやステイタス・クォーは『×』だけど、ジグ・ジグ・スパトニックやミリ・ヴァニリは『◎』っつうことです。よって、ここで名前の上がるアーティストのなかには私自身、アルバム持ってないどころか、曲聴いたことがないのが混じってたりするかもしれません。よーは、'80年代当時よく名前聞いたひとたち100選とと思ってもらったほうが気楽でイイっす(笑)。
 あと、『「MUSIC MAGAZINE」11月号の「'80年代洋楽アルバム100選」から漏れた100アーティスト(枚)』を名乗るからには、その特集で選ばれたアーティストは当然のことながら外れます。「こんなのよりももっとBIGなのが居たぞ!」と文句を言う前に、『MUSIC MAGAZINE』11月号の特集みてください(笑)。
 では、早速いきましょか。アーティスト名に続く番号はあくまでも整理の都合で付けたもので、それ以上の深い意味はないです。
 まずは、『MUSIC MAGAZINE』の特集に何で選ばれてないの?...と不思議に思うBIGなひとたちから。“涙のレター”や“涙のフィーリング”などの『涙』モノの邦題のバラード・ヒットを記録した
REOスピードワゴン(1)がまず、漏れてますね。彼らのアルバムというと、ジャケットがいかがわしい『禁じられた夜』かな。バラード・ヒット連発というとエア・サプライ(2)も忘れられません。♪寝ぼけるな〜寝ぼけるな〜寝ぼけるな〜(笑)。アルバムなら『ロスト・イン・ラヴ』の頃が全盛でしたね。シーナ・イーストン(3)は'80年代の初頭に大人気だった女性アーティスト。'80年代中頃にはプリンスの力借りてワールドワイドでBIGになりましたが、逆に日本では人気が落ちたという...(苦笑)。アルバムなら『モダン・ガール』の頃が日本では全盛期でした。'80年代の初頭にBIGだった女性アーティストっつうとパット・ベネター(4)。グラミー賞の女性ロック・アーティスト部門は長らく彼女の独占でした。日本ではイマイチの人気だったけど、誰もが知る“ハートブレイカー”などのヒットもありました。この曲を含むアルバムが『真夜中の恋人たち』。AC/DC(5)も'80年代のアタマに来日したり人気がありました。アンガス・ヤングの尻見せ写真を何回雑誌でみたことでしょう(笑)。アルバムなら『バック・イン・ブラック』。今は息子のエンリケが頑張ってるスペインの貴公子、フリオ・イグレシアス(6)。“ビギン・ザ・ビキン”で聞ける『空耳』、♪いやいやいやいやいやスケベ〜ウンコとオンナ〜には何度も笑わせていただきました(笑)。フリオと同じくスペイン語圏出身のマイアミ・サウンド・マシーン(7)。彼女たちの曲は当時のディスコでかかりまくってたようですが、今にして思えば、女性シンガー、グロリア・エステファンを売り出すためだけの文字どおり『マシーン』だったわけですね(笑)。アルバムなら『プリミティヴ・ラヴ』。ペット・ショップ・ボーイズ(8)も何故か漏れてます。“ウエスト・エンド・ガールズ”や“哀しみの天使”があんなにヒットしたのに、不可解 アルバムなら『ウエスト・エンド・ガールズ』? ゲイのUKアーティストっつうとブロンスキ・ビートっつうのも居ましたね。こちらも私は好きでした。男2人に女1人のトンプソン・ツインズ(9)もヒット曲を連発してました。アルバムなら『ホールド・ミー・ナウ』の頃が全盛期。オーストラリア出身ながらBIGにのし上がったインエクセス(10)“ニード・ユー・トゥナイト”のイントロやアウトロはカッコ良かったのにね。アルバムなら『キック』? 『MUSIC MAGAZINE』の特集の大放談では「エロもろあるじゃん。ヒッチハイクしてる人を拉致して犯すって感じ(笑)」とまで言われながらアルバム100選からは漏れてしまったZZトップ(11)はここで救済(笑)。あの長いヒゲのオジサンたちの作品なら『イリミネイター』になるのかな。同じく見た感じダンディーだけどスケベな印象も拭えないロバート・パーマー(12)...やっぱ女性だけのバック・バンドを従えた“恋におぼれて”のプロモ・ヴィデオの印象のせいでしょうか?(笑)。アルバムは『リップタイド』ですね。今となっては“ジェシーズ・ガール”の印象だけが強いリック・スプリングフィールド(13)も'80年代を代表した男性ロック・シンガー。アルバムも『ジェシーズ・ガール』?(笑) 今でもシーンにもの凄い影響力を持つロカビリー・トリオ、ストレイ・キャッツ(14)。ここで選ばれたアーティストのなかで唯一富山公演を経験しています(笑)。私は『ビルト・フォー・スピード』以降しか知らないけど。'80年代を代表するアーティストというと、トーキング・ヘッズ(15)...アルバムなら『リメイン・イン・ライト』?..は外せないと思いますが、日本では本体よりもメンバーの課外活動であるトム・トム・クラブのほうがはるかにウケました。一時期街じゅうに“おしゃべり魔女”があふれ返ってたもんな。
 ここからは、どちらかというと'70年代のアーティストっていうイメージが強いものの'、80年代も(なかには今でも)BIGだったアーティストたちを取り上げます。
J・ガイルズ・バンド(16)は'70年代のほうがオモロかった...っていう声をよく聴きますが、日本で一般レベルで存在が認知されたのは、大好きだった憧れのコがヌードモデルになっていた...という、男の悲喜劇を歌った“堕ちた天使”が収録された『フリーズ・フレーム』の頃ではないでしょうか? で、せっかく日本でも人気出たというのに、ヴォーカルのピーター・ウルフを追い出したばっかりに失速...。フリートウッド・マック(17)は『噂』の印象が強いけど、'80年代も『タンゴ・イン・ザ・ナイト』などのヒット・アルバム持ってます。メンバーのソロ活動が活発になった印象はあるけどね。今もスーパースターの地位を守り抜くロッド・スチュワート(18)。あのビートたけしに髪型のマネさせたほどBIGでしたね、当時は。本人登場のCMのせいか『トゥナイト・アイム・ユアーズ』の頃の印象が強いッス。エルトン・ジョン(19)もコンスタンスにアルバムを出してヒットさせてました。が、'80年代の1枚となると...『ブレーキング・ハーツ』??? フィル・コリンズのソロとの違いが解りにくくなったもののジェネシス(20)も『インヴィジブル・タッチ』でようやく日本でもメジャーな存在になりました。今となっては否定されることの多い'80年代のクィーン(21)ですが、ヒゲのオッチャン(フレディ)を散々バカにして喜んでた私としては、シーンに貢献度大と考えます(笑)。『ザ・ゲーム』は唯一の全米No.1獲得作品。ディスコ・フィーバーで'80年代の中頃まで影響力が残ったアース、ウィンド&ファイアー(22)。『天空の女神』は私が洋楽聴き始めた時のヒット・アルバム。あちらこちらで“レッツ・グルーヴ”かかってました(笑)。'82年に解散したものの、女性シンガーの居るロックバンドのあり方を示したブロンディ(23)。今でも彼女たちに憧れてバンド始めたっつうアーティストが絶えません。“コール・ミー”や“夢見るNo.1”などは'80年代を代表する曲。'80年代に唯一残したヒットアルバムが『オートアメリカン』。『8ビート・ギャグ』などの洋楽カルチャーにネタを提供し、今の日本のビジュアル系バンドの始祖ともされるジャパン(24)。デイヴィッド・シルヴィアンは坂本龍一と映画『戦場のメリークリスマス』の曲“禁じられた色彩”をやったりしました。アルバムなら『錻力の太鼓』ですか? オリジナルUKパンクで'80年代も勢いが留まらなかったクラッシュ(25)、ポップ・フィールドでも『コンバット・ロック』から“ロック・ザ・カスバ”が受け入れられました。が、ミック・ジョーンズを追い出したばっかりに...失速...。'80年代に入ってからはジョー・ペリーやブラッド・ウィットフォードを欠いた片肺低空飛行を続けてたエアロスミス(26)も、オリジナル編成に戻って'87年の『パーマネント・ヴァケーション』で大復活。大復活といえば、チープ・トリック(27)も、トム・ピーターソンがバンドに戻った『永遠の愛の炎』で起死回生の大ヒット。アメリカのニューウェイヴ・シーンをトーキング・ヘッズと共に牽引したB-52's(28)。'80年代の中頃には失速しましたが、'89年の『コズミック・シング』で復活しました。ここのヴォーカルのフレッド・シュナイダーってヘンなオジサンらしい(笑)。
 お待たせしました! いよいよ、今やCD入手も困難???な『一発屋系』を扱います(笑)。まずは何といっても
アダム・アント&ジ・アンツ(29)!(笑) このひとたちは1983年当時の音楽雑誌『MUSIC LIFE』の「新春恒例毒舌かるた」で「まだ居たの?」って揶揄されてたから、筋金入り(笑)。インディアンの酋長みたいな格好してたアダム・アントですが、後進に与えた影響も大きいッス(笑)。シュガー・レイやナイン・インチ・ネイルズまでが彼らの曲演ってるんだから。アルバム『アダムの王国』だけで終わっちゃったけど(苦笑)。メンバー全員ヘンな帽子をかぶってたイメージだけが強い(笑)テクノ/ニューウェイヴ系アーティスト、ディーヴォ(30)。アルバム『欲望心理学』...今聴いてもヘンです(笑)。大ヒット曲“ベティ・デイヴィスの瞳”のみの一発屋扱いされても仕方ない女性シンガー、キム・カーンズ(31)。アルバム『私の中のドラマ』持ってます(笑)。実はフランク・ザッパ門下生たちが組んだ凄腕バンドだったミッシング・パーソンズ(32)。今でもテリー・ボジオはスーパードラマー扱いされてますが、当時は奥方だったヴォーカル、デイル・ボジオの『透明ブラジャー』が注目の的だったようです(笑)。私はそんな写真や映像見たことないんだけど、知るひとはみんな話題にしますね(笑)。アルバムタイトルがバンド名のアナグラム(転綴)になってる『スプリング・セッション・M』が代表作。これも“踊るリッツの夜”のヒットのみ...というよりも名前の特異さでいつまでも語り継がれているタコ(33)。日本盤だけ蛸が描かれたジャケットに変更されてました、可哀想...。このひとたちもバンド名のおもしろさで語られそうなMR. ミスター(34)。全米No.1ヒットも2曲(“ブロウクン・ウィングス”、“キリエ”)飛ばしてるのにすっかり『あのひとは今』モードです(笑)。全米No.1になったアルバム『ウェルカム・トゥ・ザ・リアル・ワールド』が代表作。あの人気漫画『北斗の拳』のキャラクターの名前に盗用された(笑)ファルコ(35)、このひとも“ロック・ミー・アマデウス”のみの一発屋のイメージ強いけど、'83年にヒットしたアフター・ザ・ファイアーの“秘密警察”も実はこのひとの曲。もうファルコさんはお亡くなりになりました。「お前はすでに死んでいる」...笑えない...。角川映画の主題歌ばかり歌い、日本だけで人気があったローズマリー・バトラー(36)。“汚れた英雄”、“光の天使”(『幻魔大戦』のテーマ)、“ウィニング・ラン”...この3曲だけだけど(笑)。日本でだけ人気があったというと、アイドル系グループ(笑)。一応バンドだったG.I.オレンジ(37)...このひとたちのCDって今も手に入るんでしょうか? 人気だけは当時モノ凄かったけど。♪さ〜いき〜ま〜じ〜(笑)。ノーランズ(38)やアラベスク(39)といったキャンディ・ポップ組も忘れてはなりません(笑)。このひとたちのCDも入手困難なんでしょうねぇ? アラベスクと同じくドイツ出身なためワキ毛を剃らないことが話題になった紅一点の女性シンガー、ネーナ ・ケルナー率いるネーナ(40)も“ロックバルーンは99”だけの一発屋。これも女性シンガー、パッツィー・ケンジット率いるロック・バンド、エイス・ワンダー(41)。後にはペット・ショップ・ボーイズの力も借りて、音楽的にも充実させたんだけども...今や、オアシスのリアム・ギャラガーの別れた妻が昔やってたバンド扱いです。♪くろすまいは〜。「遅れてきたキャンディ・ポップ」っつう印象が強かったバナナラマ(42)も“ヴィーナス”のヒットでワールドワイドなアーティストに。さらに、ストック/エイトキン/ウォーターマンらの力を借りて'80年代末までは勢い保ちます。雑誌『音楽生活』最新号で「今まで観た最悪ライヴ」特集にも選ばれてる日本武道館での口パクライヴも今は昔。ストック/エイトキン/ウォーターマンといえば『男性版カイリー・ミノーグ』と呼ばれたリック・アストリー(43)。顔と声が一致しないことが話題になってました。♪ねばごなぎぶゆ〜あっぷ!(笑) ストック/エイトキン/ウォーターマン〜ユーロビートといえば忘れちゃいけないのがマイケル・フォーチュナティー(44)。彼の“ギヴ・ミー・アップ”などユーロビート系の曲を次々カヴァーヒットさせてた日本の女性デュオ、Babeの2人は今何処?
 『MUSIC MAGAZINE』という雑誌の性格上、無視されたメタル系アーティストをここでフォロウしときます。カリスマ・ギタリストのリッチー・ブラックモアが次々とメンバーをクビ切りしたことで知られる
レインボー(45)。アルバムはジャケットのインパクトで『アイ・サレンダー』。毎回エディーが登場するオドロオドロしいジャケットが印象的なアイアン・メイデン(46)の代表作『魔力の刻印』かな。コウモリを喰った!とか話題に事欠かなかったオジー・オズボーン(47)は♪バカだも〜ん〜の『空耳』が未だに話題になる『月に吠える』か。『神』と呼ばれたマイケル・シェンカー率いるマイケル・シェンカー・グループ(48)。フライングVのギターを流行らせたひとです。アルバムはやっぱ『神』? そのマイケル・シェンカーの兄、ルドルフ・シェンカーのバンド、スコーピオンズ(49)。ヴォーカルのクラウス・マイネの落武者を思わせる風貌も話題に(笑)。代表作は『蠍魔宮』かな。ヘヴィー・メタルの世界に鋲ついた皮ジャンを持ち込んで広め『メタルのユニホーム』にした(笑)ジューダス・プリースト(50)。アルバム『復讐の叫び』...タイトルからして凄いと思いました、当時(笑)。このひとたちは、日本では“それゆけ!ウィークエンド”だけの一発屋なのかな? カナダ出身のラヴァーボーイ(51)。アルバム『ゲット・ラッキー』、売れました。さらには、映画『ロッキー』シリーズ御用達(笑)のサバイバー(52)。“アイ・オブ・ザ・タイガー”(『ロッキーIII』)や“バーニング・ハート”(『ロッキーIV』)だけの存在かもしれないけど、アルバム『ヴァイタル・サインズ』評判高いです。同じくアメリカン・ハードロックのナイト・レンジャー(53)。シブがき隊の“Zokkon 命”っつう曲のイントロとウリふたつだったことで話題だった“炎の彼方”収録のアルバムが『緊急指令NR』。どうだ! 昔の邦題しっかり覚えてるゾ!(笑) あと、メンバーに横浜銀蠅の嵐が居ることでも話題に(笑)。“カモン・フィール・ザ・ノイズ”のみの一発屋のクワイエット・ライオット(54)。ヴォーカルのケヴィン・ダブロウが他のバンドの悪口言い過ぎたのが原因とされ、ケヴィン・ダブロウはいまもってメタル界ではギャグの対象(おもちゃ)にされとります。『メタル・ヘルス〜ランディ・ローズに捧ぐ』...ランディ・ローズも草葉の陰で泣いている...。股間にパパイヤを仕込んでイチモツを大きく見せかけていたという都市伝説の主(笑)、スティーヴン・パーシーが率いるラット(55)。アブラゼミの鳴き声のような独特のヴォーカルがひとの好き嫌いを分けてました。『情欲の炎』がヒット。股間にモノを仕込むといえば、股間にノコギリの刃を付けてたW.A.S.P.(56)のブラッキー・ローレス(笑)。デビュー曲“Animal (Fxxk Like A Beast)”に、「何つう不謹慎なヤツらが出てきたものだ」って世間は顔をしかめたものでした。トミー・リーの回転ドラムセットが話題だったモトリー・クルー(57)は『ドクター・フィールグッド』が代表作かな。あと「ニッキー・シックスは2人居た」事件など常に話題を提供してくれました。ヴィンス・ニールの自動車事故もね...。そのヴィンス・ニールの起こした自動車事故でドラマーのラズルを失った途端失速したフィンランドのロックン・ロール・バンド、ハノイ・ロックス(58)。今でも根強いファンが居ます。お蔭でマイケル・モンローは日本で営業出来てるし、日本のバンドに与えた影響も大きい。自動車事故でメンバーを失ったバンドといえば、メタリカ(59)。ベースのクリフ・バートンを悼むファンは今でも多いッス。今でこそ大物扱いされるメタリカですが『メタル・ジャスティス』が売れた後の'89年時点でも「騒音も売れてしまえば時代のヒーロー」などと揶揄されてました。“ヒア・アイ・ゴー・アゲイン”など、昔出した自分の曲をリメイクしヒットさせて「一粒で二度おいしい」と揶揄されたホワイトスネイク(60)もデイヴィッド・カヴァーデル以外のメンバーが頻繁に変わるバンド。『サーペンス・アルバス〜白蛇の紋章』が頂点の1枚。北欧メタルを代表するヨーロッパ(61)は、スポーツ・ニュース番組のBGMでしつこいくらいに使われた曲“ファイナル・カウントダウン”のキーボード・リフの印象がもの凄く強いです。代表作は勿論『ファイナル・カウントダウン』。他に、演奏がヘタクソなことが話題だったケバいバンド、ポイズンっつうのが居ましたね。「メイク取ったら誰か判らない」とか「ライヴ・アルバムは絶対出ない!」(結果的には出たけど...笑)とかギャグの対象になってました。2nd『初めての***AHH!』リリース時に日本のレコード会社の社員が彼らのプロモーションのために「ズンポイ」ってバンド組んだことも話題になってた(笑)。あと、ギター・ヒーロー、慇懃無礼・マルムスティーン(笑)とか、メタル系の話を始めると話題は尽きません。
 当時のTVのCMで曲が使われたりして話題になってたアーティストといえば、筆頭が
マッドネス(62)。ホンダ『CITY』で“シティ・イン・シティ”に合わせてのムカデダンスは流行りました(笑)。音楽的にはスカ/ツートーンを流行らせた重要なバンドなんだけど、みんなお笑いバンドと思ってるようです(笑)。先に名前を挙げたシーナ・イーストンもそうだったけど、ノエヴィア化粧品のCMソングで使われてたのがバリー・マニロウ(63)の“君はLookin' Hot”。彼の場合は“レッツ・ハング・オン”、“君は恋フレンド”などのヒットソングがちゃんとあったからCMソングっつう文脈での紹介は要らないんだけどね。宝酒造のCMだったと思うけど“アメリカン・ポップ”がヒットした男2名、女2名のコーラスグループ、マンハッタン・トランスファー(64)。今も健在ですよね。たまに営業しに日本に来る(笑)。プリンス・ファミリーの一員である女性パーカッショニスト/シンガー、シーラ・E(65)は、石川秀美の“もっと接近しましょ”という曲とソックリな“グラマラス・ライフ”の存在だけでも十分なんですが(笑)、松下(だったっけ?)のTVかヴィデオ機器のCMで中村雅俊と共演。シンバル蹴り上げて「効イタ?」って訊くCMのインパクトだけでいまだに日本で営業できてます(笑)。彼女を崇拝する女性ドラマーも多いし(ジッタリン・ジンの入江ちゃんとか)、『リズム&ドラム・マガジン』の表紙をいまだに飾ってます。タカラ・缶チューハイかなにかのCMに白い衣装着て出てた女の子3人組・エクスポゼ(66)。使われた曲は“恋のダンスパラダイス”。バブリーな'80年代末期に来日してディスコめぐりしてました。照明落ちたトゥーリアとか(笑)。小林麻美が“雨音はショパンの調べ”をカヴァー・ヒットさせたため、日本でのみ一時期人気が盛り上がったガゼボ(67)。唯一のヒット曲は勿論、“アイ・ライク・ショパン”(笑)。
 '80年代に人気のあった女性シンガーというと、フリートウッド・マックのメンバーでもあった
スティーヴィー・ニックス(68)。4枚のソロ・アルバムをヒットさせ、カエルの鳴き声みたいな独特の声と、気の強い性格でもって『姐御』として慕われてました。一番売れたのは1stソロ『麗しのベラ・ドンナ』。“アイ・ラヴ・ロックン・ロール”をヒットさせたジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツっつうのも居ました。私自身結構思い出あるアーティストだけど、洋楽カルチャーに与えた影響は小さいと思うので落選です(苦笑)。元・プリプリの中山加奈子は影響受けてたみたいだけどね(笑)。'70年代には『10代の天才少女』としてデビューしたケイト・ブッシュは(69)、'82年には異常ともいえる72トラック録音作をリリースし『紙一重』アーティストになります(笑)。次の『愛のかたち』は分かりやすい作品。これこそ傑作!!! “夢見るトレイシー”だけの一発屋なんだろうけど、“ブレイクアウェイ”をコピーするアマバンドがいたり、アナログが'01年になっても復刻されたり、いまだに影響が残ってるトレイシー・ウルマン(70)。コメディアンあがりのイモ姉ちゃんでしたけど。「マドンナに対するUKからの返答」っつうキャッチコピーでデビューしたヌード・モデルあがりの巨乳ネェチャンがサマンサ・フォックス(71)。3rdまでは売れました(笑)。私事で恐縮ですが、富山ローカルのラジオ番組の聴取者参加カラオケ番組で彼女の最大のヒット曲“タッチ・ミー”歌ったという素晴らしい過去が私にはあります(笑)。♪あ〜ん、たっちみぃ〜。代表アルバムは勿論『タッチ・ミー』。GO-GO's時代も人気あったけどソロに転向してヒット曲を連発したベリンダ・カーライル(72)。『ヘヴン・オン・アース』が大ヒット。私はGO-GO's時代よりもソロのほうが好きです(笑)。都会派シンガー/ソングライターのスザンヌ・ヴェガ(73)、児童虐待を扱った“ルカ”が大ヒットしました。この曲を収めた『孤独〜ソリチュード・スタンディング』は当時から評判高かったッス。結果的に『誘惑のマルティカ』1枚だけのアーティストっぽくなってしまったマルティカ(74)。大ヒットした“トイ・ソルジャー”は日本語ヴァージョンも作ってくれたし、キャロル・キングの“空が落ちてくる”のカヴァーも当たった。そんな彼女は今いずこ...? ちなみに、日本のレコード会社が企画した「“トイ・ソルジャー”日本語ヴァージョンの歌詞募集」企画に私は応募しました。見事ボツ喰らったけど。っつうか、よっぽどイイ歌詞がなかったみたいで、レコード会社は結局プロの作詞家に日本語の歌詞依頼しやがんの! ファンをナメるんじゃあないゼ!
 日本語で歌ってしまった...といえば、
フーターズ(75)の“ジョニー・B.”の日本語ヴァージョン。そのあまりの『内山田洋とクールファイブ』ぶりが話題に。彼らはちょっとルーツ系入った面白いバンドだったんだけどねぇ...。個人的には1stの『眠れぬ夜』が好きです。ブライアン・アダムズっぽいロック・シンガーかと思ってたら、'80年代末にはすっかりバラード・シンガーっぽくなっちゃったリチャード・マークス(76)。“ライト・ヒア・ウェイティング”が悪い! イイ曲なのは認めるけど。デブー作...もといデビュー作『南から来た男』と“ニューヨーク・シティ・セレナーデ”のヒットで一躍人気シンガーになったクリストファー・クロス(77)。彼は声の爽やかさと、風貌のムサさのギャップが犯罪的なくらい大きかった。アメリカ版小椋 圭(笑)。2ndはアメリカよりも日本のほうが売れた。なにしろオリコンの邦楽洋楽合同チャートで1位獲ったもん。なのに、これ以降急激に失速...。クリストファー・クロス同様、ルックスの悪さをギャグの対象にされてたジョー・ジャクソン(78)。音楽スタイルをコロコロ変える実験的アーティストだったけど、一番売れたのは都会をイメージした楽曲に挑んだ『ナイト・アンド・デイ』。次のジャジーな作品も良かったけど。今は『Sony Classic』所属のクラシック・アーティストです(笑)。今も精力的な活動続けるエルヴィス・コステロ(79)。このひともアルバム出すごとに、ダリル・ホールが参加したり、ポール・マッカートニーと曲書いたりと話題を提供してくれました。日本のレコード会社も“コステロ音頭”などフザケた邦題をつけて協力してた(苦笑)。故人的には、アルバムでいうと『パンチ・ザ・クロック』の頃に一番思い入れあります。元・ジェネレージョンXのシンガー、ビリー・アイドル(80)。『反逆のアイドル』あたりが強烈かな。「'90年代は彼のためにあるかもしれない」などと1st『TTD』リリース時には大絶賛されたテレンス・トレント・ダービー(81)、余計なことに自分自身で「天才である!」って公言しまくり、あまりのビッグマウスぶりに周囲の反感を徐々に買ってしまいました。なにしろ音楽雑誌の読者欄に「インタヴュー読んでテレンス・トレント・ダービーっつう奴が嫌いになりました」って読者からの投稿が載ってたぐらいだからね。2ndリリース時にはおもいっきりメディアから袋叩きに遭い、ペシャンコにされてしまいました...。『MTV』時代の'80年代男性シンガーっていうと忘れちゃいけないのが、アル・ヤンコビック(82)!!! このヒット曲パロディ専門家はいろいろ笑わせてくれましたね。マイケル・ジャクソンの“今夜はビート・イット”のパロディの“今夜もイート・イット”とか(笑)。プロモ・ヴィデオもソックリにパロってさ(笑)。他にも、ポリスやマドンナも犠牲になりました(笑)。
 今も移り変わりが特に激しいUKシーン。'80年代もいろんなバンドが生まれては消えました。'80年代中盤のビッグ・イヴェント『ライヴ・エイド』を仕切ったボブ・ゲルドフ率いる
ブームタウン・ラッツ(83)。“哀愁のマンデイ”だけのバンドっていえばそれまでだけど(苦笑)。ロバート・スミスが自身の美意識を解放し独自の音楽世界を築いたキュアー(84)。21世紀の今も生き延びてます。「ロバスミは志摩あつこの『8ビート・ギャグ』のネタにされてさんざんもてあそばれたことを未だにを恨んでて、それが原因で日本に来ない」という噂。『キス・ミー・キス・ミー・キス・ミー』あたりが'80年代の代表作でしょうか? そのロバスミが一時期かけもちしてたスージー&ザ・バンシーズ(85)はピストルズの親衛隊だったスージー・スーが率いるポジパン・バンド。彼女が後の女性ヴォーカリストに与えた影響は大きいッス。最近ではガービッジのシャーリィ・マンソンが彼女のフォロワー。今でも健在ながら2人組になってしまったXTC(86)は当時からマニア受けの高いヒネリの効いたポップ・ソング演るグループ。私が彼らの存在知ったのは渋谷陽一さんのラジオ番組でした(笑)。『スカイラーキング』が評判イイよね。唇のカワユいイアン・マッカロクをフロントに立てたエコー&ザ・バニーメン(87)。当時の日本でもギャルたちを中心に絶大なる人気を誇ってました。代表作は『ポーキュパイン(やまあらし)』? “愛に抱かれた夜”1曲だけの一発屋に近いものがあるカッティング・クルー(88)ですが、私は“愛に抱かれた夜”は'80年代を代表する名曲だと思ってるので、ここにも入選。♪I〜、 I just die in your arms tonight〜! 今やすっかり演歌歌手してる長山洋子がアイドル歌手時代に“反逆のヒーロー”を取り上げたことも話題になってたジョニー・ヘイツ・ジャズ(89)。バンド名の由来「友達のジョニー君がジャズ嫌いだから」っつうのも話題になってた(笑)。英国のバンドにもかかわらず、フーターズっぽいアメリカ的なサウンドを出していた3人組がアウトフィールド(90)。『プレイ・ディープ』から“ユア・ラヴ”がヒットしたころ、ヴォーカルがスティングっぽいのも話題になってた。日本では2ndからの“遥かなる想い”のほうがウケがよかったね。U.K.バンドでは取り上げたいのまだたくさんあります。ヘンなカモメ頭が話題だったフロック・オブ・シーガルズとか(笑)。このひとたちも“アイ・ラン”1曲だけですね(笑)。'87年くらいには「ヒット曲が1曲しかないのにワールド・ツアーした馬鹿」呼ばわりされてました(笑)。アルバムの邦題は『テレコミュニケーション』だったっけ? トレヴァー・ホーン人脈のアート・オブ・ノイズとか、ビートたけしのソックリさんが居たチャイナ・クライシス(笑)とか、他にもヘアカット100、PiL、UB40、アズテック・カメラ、トーク・トーク、フィクス、サイケデリック・ファーズ、ジ・アラーム、OMD、カルト、シスターズ・オブ・マーシー...取り上げはじめるときりがないです...。
 映画のサウンドトラック盤も、例の『MUSIC MAGAZINE』の特集で選ばれてるからここでも選ぼ。ダイアン・レインの出世作映画
『ストリート・オブ・ファイアー』(91)のサントラ盤っつうと、何といってもファイアー・インクの“今夜は青春”(のちに“今夜はAngel”に改題)。後に杉浦幸主演のTVドラマ『ヤヌスの鏡』の主題歌として日本語カヴァーが使われた曲です(歌ったのは椎名恵さん)。あと、もう亡くなってしまったダン・ハートマンが歌った“あなたを夢みて”も好きだったねぇ。♪あいきゃんどり〜むば〜とゆ〜。もう1枚映画のサントラ盤を選ぶとすると『トップガン』(92)ですな。ケニー・ロギンズの“デンジャー・ゾーン”や、ベルリンの“愛は吐息のように”がヒットしました。ケニー・ロギンズは映画『フットルース』の主題歌も歌いすっかり『映画主題歌仕事人』になってしまい、これを境にアーティストとしてはダメになってた...。ベルリンもなかなか良いアーティストだったんのに、映画で当たったため、『トップガン』でのみ語られるグループになっちゃいました...(涙)。
 ガキンチョ系といえば、
ニュー・エディション(93)。ボビー・ブラウンやジョニー・ギル、ベル・ビヴ・デヴォー...'80年代末から'90年代にかけてのR&B界の主翼をになうアーティストたちを生んだをボーイズ・グループだったけど、デビュー当時はまだ変声期前のカワユい声で歌う男の子たちでした。『クール・イット・ナウ』の頃のハナシね。さらにガキンチョ系といえば、のちの『ラテンの貴公子』と呼ばれるリッキー・マーティンが在籍したことで知られるメヌードとか、他にもジェッツなんてのも居たな(笑)。「弱冠16歳の天才ギタリスト登場!」とシーンの話題をさらった『チャリ坊』ことチャーリー・セクストン(94)。“ビーツ・ソー・ロンリー”がヒットしたころ、『チャリ坊』はミーハー・ギャルどもの嬌声を集めてたものだった けど、アルバム『ピクチャーズ・フォー・プレジャー』1枚に消えたに等しい状態。今は...??? これまた弱冠16歳にて作詞・作曲を手掛ける天才シンガー/ソングライターってウリで登場した女のコ、デビー・ギブソン(95)。『アウト・オブ・ザ・ブルー』が16歳の才能の証。デビー・ギブソンが登場した頃に同じく当時のシーンをにぎわし「ティーン・シンガー・ブーム」をつくり出したティファニー(96)。“ふたりの世界”とか流行ったもんね。アルバム『ティファニー』も大ヒット。当時、この2人はなにかとライヴァル視されてましたけど、私はデビギブ派でした(笑)。'80年代の末になって英国からデビューした双児のゴス兄弟を中心にした男性3人組のアイドル、BROS(97)。“フェイマス”がヒット。日本でも人気出ました。そして『1980年代のバックストリート・ボーイズ』こと、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック(99)。当時メチャクチャ人気あったのよ〜。クリスマス・アルバム出したり、日本でも地上波のTVでライヴの模様を流す特番組まれたりさ。ま、日本でのピークは'90年に入ってからの『ステップ・バイ・ステップ』かもしれないけど。『ハンギン・タフ』が'80年代の彼らの代表作。
 最後に'90年代的色彩が強いアーティストを2組。
R. E. M.(99)は'80年代もそこそこヒット作出してたんだけど、世間的には頂点は'92年の『オートマティック・フォー・ザ・ピープル』と思われてるみたいですね。カレッジ・チャート村からとび出した最初のヒーローが彼ら。マイケル・スタイプもまだ毛があった(笑)。ヒット曲“スタンド”収録のワーナー移籍第1弾の『グリーン』がいいかな。そしてホントの最後は...ストーン・ローゼズ(100)。彼らこそ'90年代アーティストのように語られることが多いけど、デビュー作『石と薔薇』が出たのも、伝説の初来日公演演ったのも1989年のこと。ストーン・ローゼズの伝説はみんな'80年代に作り上げられたものなんだから。
 というふうに、『MUSIC MAGAZINE』11月号の特集から漏れたうち、忘れないで欲しい100アーティスト(作品)を挙げていきました。しつこいようだけど、あくまでも遊びですから。「何であのアーティストの名前がないんだ!?」と怒るひとはまず、苦情を言う前に『MUSIC MAGAZINE』11月号の特集見て下さい(笑)。それでも、「何であのアーティストの名前がないんだ!?」と憤るようでしたら、御自身で「オレならこういうアーティストを選ぶ!」っていうような私案を考えてみては如何でしょうか? きっと楽しいと思いますよ。では〜♪

(2001.10.29)

 この企画をUPしてからも、次々とアタマのなかに'80年代洋楽アーティストの名前があふれてくる状態になってしまいました(笑)。で、大切なアーティストの名前が数組抜けてることに気が付いたので、数組の差し換えをしました。選ばれたアーティスト、おめでとう! いちど選ばれたのに外されたアーティスト、ゴメンナサイ...m(_ _)m。

(2001.10.31)

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