霧島連山...1999.12.30~2000.1.3(車中2泊、山中2泊3日)

 前回の山行...上州・子持山...の際の移動を『青春18きっぷ』を使ったため、駅での連絡待ち時間が長く、ホームやら人の出入りが激しい待合室やらに長時間居たせいで、見事カゼひきになってしまった!!! 「年末年始は霧島に行く!」と前もって決めていたのに、それを目前にカゼをひくとは最悪...。そもそも上州・子持山に行ったのも、年末年始に霧島に行く際に『青春18きっぷ』を使ったら数回分余ることが判っていたので、それをあらかじめ消費しておくための山行...という意味合いが強かった。それでカゼひいてりゃ世話ないゼ!
 ということで、カゼひいてるのを『ルル』で無理やり抑えながら、会社が年末年始休みに入った12月30日、朝一番の上り普通列車で富山を出発。これなら普通列車の乗り継ぎでその日のうちに中津まで行けるハズだった。しかし! この日は福井県内で霧が発生しており、列車が徐行運転したお蔭で1時間くらい遅れて長浜についた。もうこの時点で普通列車の乗り継ぎでこの日のうちに九州内に着くのは不可能になってしまった。小倉から延岡までは正規に運賃払って特急に乗るつもりで、きっぷも押さえてあったので何がなんでもこの日のうちに小倉に着かねばならない。1時間分の遅れを解消するには新幹線を使うしかない。よって、駅間の運賃・新幹線料金が一番安そうな徳山─小郡間で新幹線を利用し、何とか小倉23:50発『ドリームにちりん』に間に合った。
 『ドリームにちりん』の車内で睡眠をとり、延岡で下車。延岡から再び『青春18きっぷ』を使用し、宮崎で、都城から先は『急行えびの2号』として運転される快速列車に乗る。この日・12月31日の『青春18きっぷ』利用区間は延岡─都城間だけだが、この区間の普通運賃が2420円だから、ちゃんと元が取れている(11300÷5...のほうが安い...笑)。
 都城から『急行えびの2号』となり、吉都線を走る列車を無人の高原駅で降りた私は、駅前から霧島東神社へ向けて歩き出した。この日はよく晴れ、高千穂峰をはじめとする霧島連峰が一望出来た。国道223号線を道なりに歩いて行くと、脇を路線バスがすり抜けて行った...。ウソだろ? 山と渓谷社が出している『分県登山ガイド宮崎県の山』に「バス路線は無い」とシッカリ書いてあるじゃん! ま、『分県登山ガイド宮崎県の山』では御池からのコースを紹介しており、確かに載ってるとおり、御池までのバス路線はない。ところが途中の祓川まで、小林からのバスが走っており、祓川から御池まで歩いても30分もかからないことを考えると、この記述は不親切極まりない! だまされた! そのまま国道を歩いていると、祓川で折り返した小林ゆきのバスがやって来るのを見て、余計意気消沈...。高原駅から祓川のバス停まで、ほぼ1時間の歩き。バス停のベンチで休憩してから霧島東神社への参道に入った。
 九州自然歩道にも指定されているこの霧島東神社への参道、御池経由の車道が整備されたため歩くひとは皆無に近いのだろう、雑草が繁っており、ところどころ崩れた石畳がここが参道であることを何とか教えてくれている。地域住民はこの参道使わないのか? 参道でやぶこぎした後ようやく御池からの車道に出る。ここから地形図記載の参道の続き...と思われる踏み跡に入っていったら、道が途切れ、霧島東神社の駐車場の真下に来た。仕方がないのでここ斜面を登り霧島東神社に直接出た。大晦日ということもあり、初詣の準備中の神社の境内を抜け、登山道に入る。すぐに登山帳があり、そこに記入してから山道に入った。
 神社から55分で『←高千穂峰3.0 km | 霧島東神社2.0 km→』標識があるところに着き、ここで休憩。最初の1時間は傾斜も緩く、ノラリクラリという感じで楽に歩いて行けたが、途中から傾斜がつき始め、地元商工会青年部の登山を記念した碑が建つところ(『←高千穂峰2.2 km | 霧島東神社2.8 km→』標識あり)まで休憩から歩き始め37分でダウン。さらに森林を抜け始めてハシゴなんかが現われ、麓の御池の全貌が見渡せるようになった辺りで休憩(ここまでのピッチ、18分)。というふうに夜行列車で来た疲れか、それともカゼひいてるのを『ルル』で無理やり抑えているからか、明らかにペースダウン。次のワンピッチ(30分)で何とか二子石までたどり着いた。二子石からは霧島連峰や御池がよく見えた。二子石から一旦鞍部に下って、御池小学校コースと皇子原コースを見送りながらいよいよ高千穂峰への最後の登りにかかる。火山のため、岩が崩れて出来たザレ上の道は登山底の靴底が噛んでくれず歩きにくく、高千穂峰頂上にはためく日の丸が「頂上近し!」の錯覚をこちらに与えるため、こっちが思う以上に頂上まで時間がかかった。15:01、高千穂峰頂上着。頂上には日の丸の他、天の逆鉾など、天孫降臨の神話の舞台にふさわしい史跡が揃ってた。ここの頂上小屋は宿泊客減少のため、2000年の1月3日をもって休業になるそうだ。皮肉にもこれを聞きつけた登山客が、記念すべきニュー・ミレニアムをここで迎えるため多く登ってくる。前からこんなに登山者が来てくれれば、閉じることにはならなかったのに...。高千穂峰の西隣にある御鉢の火口の北半分を廻ってから歩きにくい道を足元に気をつけながら慎重に下りると、やがて森林帯に入り、石畳が敷かれた自然探究路に道が変わり、すぐに霧島神社古宮址に出た。16:26に高千穂河原ビジターセンター着。高千穂河原と呼ばれるここら辺一帯にはレストハウスや駐車場があり、霧島観光の東の拠点となっている。ここのキャンプサイトの受付を済ませようと、駐車場の管理人さんに届け出ようとしたら、8時以降にビジターセンターに来てくれと言われたので、先にテントを張って、夕食を済ませたが8時まで程遠いので、横になってたら寝てしまった(笑)。目が覚めるとちょうど8時なので、ビジターセンターへキャンプの届け出をしに行った。昼間は暖かい九州でも、流石に夜は寒い!!!
 翌朝、目覚め、朝食を摂り、テントを片付けて高千穂河原の駐車場に出て見てビックリ!!! 昨晩、スカスカだった駐車場がギッシリ車で埋っており、路駐も数知れず!!! 高千穂峰や中岳の頂上で初日の出を拝もうとする登山者...に限らずふだん登山に無縁の人たちも含め、私が寝てる間に押し寄せた結果のようだ。
 7:25、まだ薄暗いなか地形図に記載されている県境に近いルートを行こうと思って歩き出すとすぐにルートは不明に。仕方なく、ビジターセンターまで戻って、建物の脇を入る遊歩道に入る。この遊歩道は『自然研究路』なる名が付いていて、途中『モミジコース』と『ツツジコース』という名の2つのコースが分かれていく。高千穂峰の山体にそれまで隠されていた太陽が7:59、ようやく全貌をあらわにした。2000年の初日の出だ。それにしても九州は日の出が遅いね。サマータイム導入に反対するのも解るよ。『自然研究路』の終点から道は登山道らしくなり、いよいよ中岳の登りにかかる。中岳で初日の出を見た家族連れなどが次々と下りてくる。登りの途中で休憩した後、15分ほどで中岳頂上に着いた。中岳頂上には誰もおらず、初日の出を見るため大勢のひとが居たことがウソのよう。私の後からひとり軽装の観光客が登ってきて、中岳頂上で休むことなく先を急いでいった。中岳頂上から鞍部に下り、新燃岳の登りにかかる。5年ほど前には火山活動で登山禁止措置が取られていたこの山、去年にも火山活動が観測されたりしたが、今のところ問題無く登山できる。新燃岳の登りの途中、先の観光客がハアハア息を切らせながら、「後、どれだけ歩かなきゃならないんですかねェ〜? ボクはもうダメです」と訊いてきた。適当に答えておいたが(オイオイ)、彼がバテるのは、あの歩き方ではしょうがない...って感じ。だって、下りにかかると「下りだ! 楽だ!」って感じで走ってみたり、登山のリズム(歩くペース)を崩すことばかりやってんだもん...。
 9:22、新燃岳頂上に到着。新燃岳の頂上からは火口湖の青色が確認できた。新燃岳の火口壁を歩いていると、私の逆コースを取ってえびの高原から縦走する人たちの第1陣とクロス。外国のかたも居たりして、雪が少なく冬でも気軽に山歩きが出来る霧島の自然の希少性を改めて実感。新燃岳からの下りにようやく今回霧島で始めて雪を見る。日陰でわずかに凍って残るのみで、実質無きに等しい。ツツジのなかを下っていると大人数のパーティーとすれ違ったりした。
 獅子戸岳の頂上で休んだ後、韓国岳に向けて歩き出す。地形図上の・1,398 mを越えたところでちょうど地形図が『日向小林』から『韓国岳』に切り替わるため、『韓国岳』の地図を取り出そうとウエストバッグを探ったところ...タラリ〜ン...カメラが無い!...ということに気付いた!!! 獅子戸岳の頂上で写真を撮ったのであそこに忘れてきたことがすぐに解った。「急いで取りに戻らねば」と獅子戸岳に向かって、今来たばかりの道を戻る。すぐに先ほどから何回も遭ってる観光客のかたに「あれェ〜、もう登んないの?」と訊かれ、「忘れ物取りに獅子戸に戻る」と話したところ、「大変だねェ〜」と、先程までこちらが「無事にえびの高原まで歩き通せるのか?」と心配してた相手に、逆に心配されてしまった...。獅子戸岳の頂上への登りが本格化したところでザックの重みに耐えかね、ザックを放り出し(デポし)空身で獅子戸岳の頂上へ急ぐ。獅子戸岳の頂上に戻ると、私は多分血相変えて飛び込んできたんだろう、そこで休んでいた登山者が「ハハ〜ン、カメラやろ」とすぐに声をかけてきた。もしかしたら持ち去られた後かもと思っていたが、カメラは私の手元に無事戻ってきた。あ〜あ、『山と渓谷』の『ひろいました』のコーナーに写真入りで載らなくて良かった(笑)。カメラを無事に取り戻し、放り出したザックも回収して再び韓国岳へ向かう。獅子戸岳まで余計に往復し、さらにカメラを取り戻すためなりふり構わず体力を消耗させたため、韓国岳の登りはしんど〜。火口にたっぷりと水をたたえた大浪池が覗き込めるようになると頂上は近い。13:41、韓国岳の頂上に着く。頂上にはえびの高原から登ってきた多くの登山者が居て、「韓国岳の火口は御鉢巡りができるか」とか「御鉢の底まで下りることが出来るか」を語り合っていた。本来なら、錦江湾や桜島も見えるそうだが、天気が良すぎて水蒸気蒸発が活発すぎてモヤがかかったような感じで見えなかった。が、近くの甑岳や今まで歩いてきた高千穂峰や新燃岳などはハッキリ見えた。


韓国岳から見た新燃岳(手前)と高千穂峰(奥)。

 韓国岳の頂上で、ひとりの青年が「これから高千穂まで行こうと思うんだけど...」と言って、他の登山者からアドヴァイスをもらっていた。この青年、地図さえ持っていないようだったが、そもそもこの時間(14:00)から高千穂河原まで日没前に歩き通すのも難しいのに...彼は無事、高千穂河原に着いたのだろうか? そう言いながら彼に頂上で写真を撮ってもらって彼の出発を遅らせた私は鬼ですね(笑)。
 本来、韓国岳からえびの高原へ下りた後、時間が余る予定で、それを利用して甑岳へ行こうと考えていたが、獅子戸岳頂上のカメラ置き去りが響いて、甑岳へ行く時間が無くなってしまった。えびの高原へ下りるとすぐにキャンプ村に直行~! このキャンプ村、温泉があり、夕食後入りに行ったら、この日に韓国岳から高千穂河原まで縦走(私の逆コース)してきたという男の人と一緒になった。どうやら新燃岳の下りですれちがった大パーティーのひとみたいだった。
 温泉に入った後、寝てたら、いつのまにか雨が降っていたようで、1月1日に行けなった分、2日に廻した甑岳登山を中止。テントのなかで雨が止むのを待つ。雨が小降りになり、キャンプ村退去時間が迫ってきたので、テントを片付けてキャンプ村退去し、えびの高原ビジターセンターなどで見て廻る。やがて雨は上がり、遊歩道のベンチで帰りのバスまでの時間を潰す。12:07のバスでえびの高原を離れ、小林駅に向かう。
 小林からは普通列車で(勿論『青春18きっぷ』使用)吉松に出て、ここから八代までは『急行えびの4号』に乗り、後は普通列車の乗り継ぎで博多へ。博多から臨時夜行快速『ふるさとライナー九州』で京都へ(車中泊)。後は普通列車乗り継ぎで1月3日の14:30に富山駅に戻った。

【行動記録】1999年12月30日(木)〜2000年1月3日(月) 車中2泊/山中2泊3日
12月31日(金)
高原駅859─954祓川バス停1004─1028//1036─1041霧島東神社
霧島東神社1041─1136//1146─1223//1233─1251//1306─1336二子石
二子石1346─1416//1426─1501高千穂峰1521─1626高千穂河原ビジターセンター

1月1日(土)
高千穂河原ビジターセンター725─825//835─850中岳855─922新燃岳
新燃岳932─1014獅子戸岳1024─『忘れ物発覚!!!』1103─1133獅子戸岳
獅子戸岳1133─1141//1152─1248//1303─1341韓国岳1401─1519えびの高原キャンプ村

【1:25,000地形図】高原、日向小林、高千穂峰、韓国岳

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