屋久島・宮之浦岳

'00.3.23~3.28(車中2泊・鹿児島1泊・山中2泊3日)

 長年の懸案だった屋久島の宮之浦岳登山をしてきましたッ〜!!!
 私が屋久島登山の計画を最初に立てた頃は、まだ世界遺産登録の前で、キャンプは島内どこでも張り放題...といった感じだったが、『カネ』と『ヒマ』が無くて決行できずにモタモタしているうちに、今ではそれも出来なくなってしまった。日程に余裕があればまだしも、限られた山小屋での宿泊を前提にした登山計画は立てにくいものである。私は登山とは『登ってナンボ』だと思ってるので、次のような計画を立てた。

(0日目) 富山━京都━(寝台特急『富士』)━
(1日目) ━(寝台特急『富士』)━小倉━(新幹線)━博多━西鹿児島━鹿児島─
─北埠頭〜宮之浦─オーシャンビューキャンプ場
(2日目) 宮之浦=永田─永田歩道─鹿之沢小屋
(3日目) 鹿之沢小屋─永田岳─焼野三叉路─宮之浦岳─焼野三叉路─
─新高塚小屋─縄文杉─ウィルソン株─白谷山荘
(4日目) 白谷山荘─三本杉─楠川温泉=宮之浦〜北埠頭─鹿児島━西鹿児島━
━博多━(新幹線)━新大阪━(急行きたぐに)━
(5日目)━(急行きたぐに)━富山

 このように、海辺の永田集落から2,000 m近い標高差を登りきるハードなコースである。計画の実行は春分の日前後の3連休頃に予定していたのだが、あいにく天気予報が悪かったので中止。天気が良さそうな週末に有給2日プラスして電撃的に決行することにした。そして、その日は案外早く来た!!! 3月22日に週間天気予報を見て、次の週末(3月25, 26日)の天気が良いことを確認。3月23日から27日にかけて計画を実行に移すことを決定した。
 3月23日、会社から帰ってからすぐに出発。寝台特急『富士』で九州入り。小倉から新幹線で博多へ移動し、『つばめ3号』を捕まえる予定だったが、関門トンネルでの機関車付け替えに手間取ったのか門司の出発が遅れ、そのため小倉からは予定より1本遅い新幹線に乗ることになった...。博多ではなんとか『つばめ3号』に間に合ったが、今度はその『つばめ3号』が八代より先の鹿児島線の単線区間に差し掛かると対向列車の時間待ちで遅れ始め、西鹿児島駅(以下、西駅)には定刻より14分遅れで到着。この日鹿児島方面のJR線は指宿枕崎線での人身事故の影響か、はたまた強風のせいかは知らないが、ダイヤが乱れまくっていた。西駅から鹿児島駅に移動し、鹿児島港北埠頭まで歩いていき、屋久島ゆきのフェリー...というかジェットフォイル『トッピー』に乗るつもりだったのに...。鹿児島駅方面の日豊線の列車が来ないので、たまらず西駅の構内を出て駅前でタクシーを拾い、鹿児島港北埠頭へ向かう。タクシーの運チャンが「今日の風だとフェリー欠航かも...」と縁起でもないことを言う。だが、実際鹿児島港北埠頭に着いてから私が目にした現実は、やっぱり『欠航』...。この日もう1便ある『トッピー』はキャンセル待ちのひとが大勢居るし、屋久島に着くのは宮之浦港じゃなく安房港で(それも18:05着)、着いてから先のアテがないし、そもそもホントに出航するのか???という疑問があったので、この日のうちの屋久島上陸は断念。鹿児島市内で宿を捜すことにする。バスで北埠頭から西駅に戻る。西駅周辺でホテルを捜す...ということもなく、西駅西口から『1泊4,800円』の看板が目立つビジネスホテルに泊まることした。もし、あなたが西駅西口に立つことがあったらすぐ解るはずだ...「あれがヒロくんの泊まったホテルか」って(笑)。
 ホテルの部屋で計画の組み直し。会社をもう1日欠勤し、日程を1日ずつスライドできれば簡単なことだが、そうやすやすと会社を休むワケにもいかないので残り実質2泊3日で頂上を踏んで来られるコースを考えなければいけない。結局...

3月25日(2日目) 西鹿児島━水族館口─北埠頭〜宮之浦=ヤクスギランド─
─淀川小屋
3月26日(3日目) 淀川小屋─小花之江河─花之江河─宮之浦岳─焼野三叉路─
─新高塚小屋─縄文杉─ウィルソン株─白谷山荘
3月27日(4日目) 白谷山荘─三本杉─楠川温泉=宮之浦〜北埠頭─鹿児島━
━西鹿児島━博多━(新幹線)━新大阪━(急行きたぐに)━
3月28日(5日目)━(急行きたぐに)━富山

 ...というコースに予定変更。3日目のコースは行動時間が半日を超えるハードコースになってしまうが、もし体力的にキビしかったら高塚小屋で宿泊すればいいってことで。
 翌25日の朝、西駅西口のホテルを6:30にチェック・アウト。西駅前から市電に乗り、水族館口で下車。北埠頭に向かう。その途中、私が泊まったところよりも宿泊料が安いホテルを発見...。で、北埠頭に着くと、『トッピー』は予定どおり7:30に運航とのことで、ひと安心。
 『トッピー』に持ち込める荷物は1人2個、15kgまで...ということなので、日程変更により要らなくなったテントや食糧、衣類などをコインロッカーに預け、荷物を軽量化。『トッピー』でいよいよ鹿児島港を離れ、種子島経由で屋久島へ。途中、開門岳が良く見えた。屋久島・宮之浦港には予定時刻の10:05から数分遅れて入港。遂に屋久島に上陸を果たした。


屋久島・宮之浦港とジェットフォイル『トッピー』

 宮之浦港付近のバス停を見ても、『ヤクスギランド行』の表示が無い。島のメイン・ストリートへ行けばバス停があるかも...と思い、島のメイン・ストリートへ向かう途中、中高年登山者2人と出会う。静岡県富士市から来たというこのお2人、もう宮之浦岳に登って来たそうで、コースは淀川→宮之浦岳→新高塚。これから私が行くコースと同じなので、いろいろコース状況について教えてもらった。このお2人が登った時、天気は雨で、最悪だったらしい。コースにはところどころ雪が残っていて、新高塚小屋の周りは『田んぼ』のようだったそうだ。旧高塚小屋はあんまり泊まりたくなさそうな小屋で、大株歩道は道に迷ったひとが出たくらい迷いやすいから気をつけろ...などなどいろいろアドヴァイスをいただいた。お2人に、私の『淀川から白谷まで1日で行く』計画を話すと「そりゃあムリやでェ〜」とやはり言われてしまった(笑)。
 島のメイン・ストリートに出て、宮之浦港入口バス停を見ても『ヤクスギランド』行の表示が無い。こりゃおかしいと思いつつも、メイン・ストリートを安房のほうへ歩いて行き、高校前バス停で見てもやはり『ヤクスギランド』行の表示が無い。事前に屋久島交通にヤクスギランドのバスについて問い合わせをしたら、8時台と12時台の2本運転という返事があった。どうも12時50分台に走る『合同庁舎行』がヤクスギランド行のようだった。1時間以上も高校前バス停で待っているのもアホらしいので、宮之浦に戻ることにした。
 律令時代から続く由緒ある益救(やく)神社を訪ねると、人影はまばら。2人だけの世界に浸りたいカップルしか居なかった。益救神社から宮之浦港入口バス停に移動。ここのそばには土産物屋の『屋久島観光センター』があり、ここの公衆電話でもう一度、屋久島交通にヤクスギランドのバスについて問い合わせする。間違いなく運転すると言われ、ひと安心。宮之浦港入口バス停の海側には児童文学の大家、椋鳩十の文学碑が建っていた。
 こうしてバスを待つこと数十分、ようやくヤクスギランド行のバスが来て、これに乗り込んだ。
 ヤクスギランド到着は14:14(私の時計で...私の時計は3分くらい早い)。ヤクスギランドのバスには私のほか3人しか乗っていなかったが、すべて『奥岳』を目指す登山者。ヤクスギランドを見て廻る時間は無いので、林道を歩き出す。山深い林道のハズなのに観光バスやタクシーがバンバン行き交う。観光バスは『歩かずに見られる屋久杉のなかで最大』とされる紀元杉まで、タクシーは私がこれから向かう淀川小屋入口まで入っているようだ。『紀元杉まで0.7km』の標識で1本取った後、すぐに紀元杉に着く。紀元杉の廻りには観光バスが停まり、観光客が多数居た。が、この奥の川上杉にはクルマで来られるというのに誰も居らず、登山客を載せたタクシーがたまに通っていくだけだった。川上杉から10分ちょっとで淀川小屋入口に着く。ここからはクルマも入れない本格的な登山道だ。淀川小屋入口から淀川小屋までの間に3つ尾根を乗っ越すことになる。途中、ヤクシカの鳴く声が聞こえたが、その姿は見えず。淀川小屋にほど近いところで大学生のパーティーが休んでる。「小屋が近いのに、何で?」と訊くと、「気象通報採ってたので...」との答え。そういやもう16:20を廻ってる。16:32、淀川(よどごう)小屋着。小屋の前ではどこかの高校生のパーティーが引率の先生と伴に夕食の準備中。小屋には土曜日ということもあって、多くのひとが来ていた。本格的登山シーズン前だというのにこの状態。小屋の前の別棟トイレはすでに『悲惨な状況』...。じゃあ、本格シーズンに入ると...??? 北側の『蚕棚』の上段が空いていたのでそこに陣を取る。私の横には先ほど気象通報採ってた大学生パーティーが陣取った。夕食を済ませると早々に就寝。翌日にはハードな日程が待っている。
 翌26日は、目覚まし時計を鳴り響かせて3:00起床。他の登山者の皆さんには申し訳なかったッ!!! 朝食を済ませて4:30に出発。勿論、まだ陽は昇っておらず、ヘッドランプで足元を照らしながらの行動。小屋を出発してから48分経ったころ、ヘッドランプの電池が切れた。ガイドブックで『展望台』と紹介されているところだろうか? 開けたところで、月灯りを頼りに、電池交換。その後、朝の寒さのため鼻水がズル〜ッ!!!...と思ってたら、鼻血(笑)。屋久島に来た興奮からか、この日のハードなスケジュールを考えて一種興奮状態になったためか(笑)。辺りが白み始めた5:56、小花之江河着。


夜明け前の花之江河

 小花之江河から約10分で花之江河(はなのえごう)に着く。両方とも高層湿原で植物の宝庫とされているが、時期が早いので見どころは少ない。やがて黒味岳分岐に着く。先を急いでいるけど、黒味からの展望は天下一品という評判なので頂上へ向かう。屋久島は至るところで水が流れてる水が豊かな島だ。お蔭でいつも山を歩く時には水筒を水で満たしているのだけど、今回は半分以下の水量で荷物の軽量化を謀ることが出来たが、その豊富な屋久島の水、こういった高いところでは凍っており、登山道も至るところで凍結していて歩きにくいことこのうえない。かといって、アイゼンつけるほどあっちこっち凍ってるワケでもなく、アイゼンつけたら脱着回数が多くて時間を喰うだろう。もともとアイゼンの用意がない私は、凍ってるところを注意深く見極めながら歩き、黒味(くろみ)岳の頂上に着いた。が、そこは立っていたら飛ばされそうなほどの強い風が吹き、一面ガスで覆われて展望が一切無かった。たまにガスの切れ目から、今歩いてきた花之江河が見え隠れしていたが...。たまらず頂上直下の岩場の蔭で風を凌ぐ。黒味岳からもとの分岐に戻り、宮之浦岳へ向かう。投石湿原の標識(ここもシーズンが早く、湿原...という感じはしない)と緊急時に宿泊可能(...だけど、泊まりたくはない...笑)な投石岩屋をとおり、『←宮之浦岳2.1km│花之江河1.9km→』の標識に着く。ここで休んだ後(この日3本目)、歩き出してすぐに遭難碑があった。
 天気は相変わらず風が強く、ガスったり晴れたり...。やがて『宮之浦岳まで最後の水場』を過ぎ、翁岳までの踏み跡の分岐を通り、栗生岳を越えて、宮之浦岳頂上直下にたどり着く。頂上に人影があるのが見えた。9:22、宮之浦岳頂上着。私が頂上に着いてしばらくすると、夫婦の登山者が焼野から登って来た。この2人、携帯電話を取り出して、掛け始めた。「こんなとこから掛かるハズねェよ」と思っていたらちゃんとつながった!!! 携帯電話、恐るべし!!! やがて子供連れの3人パーティーも焼野から登って来た。私が来る前から頂上に居た男性単独行者は、レンタカーで淀川入口まで来て、今朝5時に出発してここまで来たそうだ。黒味岳を往復している間に私は抜かれたことになる。この男性、これからレンタカーのある淀川入口まで下って、今日の『トッピー』最終便で島を離れるそうだ。なんともせわしない日程である。
 相変わらず風が強く、ガスの切れ間にごくたまに展望が開けるだけの宮之浦岳頂上を20分で辞し、焼野三叉路への下りにかかる。さすが北面ということもあって、残雪が多い。ヤクザサで下が隠れたりしたところにタンマリ隠れてたりして厄介。途中何名か登山者とすれ違い、18分で焼野三叉路に出た。雪と氷で歩きにくい道をゆくと『平石』標識に着く。地形図上の1692m峰が奇態を誇っていた。平石岩屋は標識から14分のところにあった。地形図上の・1675mで休憩した後、歩き出してすぐに坊主岩に着く。誰が見ても坊主岩...といった感じの奇岩だ(笑)。


奇態を誇る坊主岩

 ここらに下るとさすがにもう、雪も氷も道から消えている。やがて『第2展望台』を過ぎ、『第1展望台』に着く。『第1展望台』から頂上がガスに覆われた、宮之浦岳が皮肉にも良く見えた。


第1展望台から見た宮之浦岳

 『第1展望台』から下りきると新高塚小屋に出る。ここ数日晴れてたせいか、小屋前の広場は『田んぼ』ではなくなっていたが、やはりぬかるみが酷い。時間は11:45。ここで昼食。最初の考えでは、宮之浦岳まで休憩込みで5時間、旧高塚小屋まで同じく5時間、白谷山荘まで同じく5時間...4:30発で行動時間が15時間で、白谷山荘着は19:30...と考えていたが、ここまでで7時間ちょっと。あと1時間で旧高塚小屋に着くことを考えると予定よりかなり早く日程を消化していることが分かる。かなり余裕が出てきた。
 インスタントラーメンの昼食を済ませ、12:20に新高塚小屋を発つ。今回の山行、道のぬかるみが酷かったのはここらだけ。「新高塚小屋はまだですか?」と訊いてきた学生風2人組とすれ違う。「小屋はまだですか?」と訊いてくるほど余裕のない時間帯じゃなかろうって(笑)。旧高塚小屋の前では大学のワンゲル・パーティーが多数休憩取っていた。彼らはみんな今日は新高塚小屋で泊まるようだ。ブロック造りの旧高塚小屋を過ぎ、いよいよ大株歩道にさしかかる。真新しい休憩舎を過ぎ少し歩くと、縄文杉に着いた。


これが樹齢7,200年といわれる縄文杉の下1/3。この上にまだまだ続く。

 樹齢7,200年ともいわれる縄文杉には根の踏みつけを防ぐため、『清水の舞台』を思わせる(笑)実に大がかりな階段と踊り場が造られていた。世界遺産に登録されてからというもの、ここまで登ってくる観光客が大勢居るから保護のため仕方無いとはいえ、興醒めの感は拭えない。縄文杉はやはりデカかった...。
 縄文杉から下ると、夫婦杉、大王杉、そしてウィルソン株...と、観光ガイドブックに載っているような巨大杉が次々と現われた。事前に『迷いやすい』と聞いていたが、どこをどうやったら迷うのか聞いてみたいほど、大株歩道は分かりやすい道だった。ウィルソン株ではガイドに連れられた観光客の一団が休憩中。宮之浦岳頂上とは違い、山腹以下の天気は晴れで、暑いくてかなわず、上を脱いでTシャツ姿になる。


ウィルソン株

 ウィルソン株から大きな翁杉を経て、やがて大株歩道入口につく。『入口』といっても逆から来たので、私にとっては出口だが(笑)。ここからはかつて屋久島からの木材切り出しに使われた森林軌道跡を行く。線路は枕木と共に取り外されずに残っていて、歩き易いようにところどころ軌道の真ン中に板が渡してある。この道を歩いていると思わず♪線路は続くよどこまでも〜と歌いだしたくなる。そんな気持ちのいい道だ。ところどころ沢を渡る橋が落ちていてそこでは道は軌道を外れるが、必ず軌道上に戻って続きを歩くようになっている。土砂災害に遭ったところはそのまんま線路が飴のように曲がった状態で放ったらかしに置かれているので、鉄道土砂災害ファン(笑)は是非、屋久島へ渡ったほうがいい(笑)。


延々と線路が続く

 仁王杉を過ぎ、やがて三代杉に着く。これは倒れた杉から芽が出て成長した杉がまた倒れてそこからまた芽が出て今健在なのは3代目という不死身のような杉である。ここでガイドに率いられた大人数の登山パーティーが休憩してたのだが、お菓子などのおすそ分けを戴いた。感謝。聞けば長岡を中心とする新潟県中越地方から来たかたたちのようで、私が富山からだというと「奇遇だねェ〜」ってことで盛り上がった。この大所帯パーティー、昨日は淀川入口から宮之浦岳往復、この日は荒川入口から縄文杉往復、宿泊はホテルの『リッチな山旅』だそうで、昨日の宮之浦岳頂上は360度の大展望だったそうだ。ちょっと悔しい気もしたが『1ヶ月に35日間雨が降る』といわれる多雨の屋久島だから、雨に遭わなかったことをまずはラッキーと思わなければ。大所帯パーティーは荒川入口へ出発。残された私は楠川歩道入口から辻峠へ、最後の登りにかかる。ここで『長い付き合い』だった軌道跡ともお別れ。
 楠川歩道入口を15:57発。予定より随分と早く日程を消化している。辻峠まで標高差が250m。最後にこういう登りが待っているところがイヤラしいが、これさえ乗り切れば後はもう下るだけ。辻の岩屋を過ぎると、すぐに辻峠に出た。後は藩政時代の名残りという石が敷かれた道を下る。17:01、どこか企業の保養施設を思わせる造りの白谷山荘に着いた。日没後のヘッドランプを使っての行動も覚悟していただけに、陽があるうちに小屋にたどり着けてよかった。やはり、不要な物をコインロッカーに置いて荷物の軽量化をはかったせいだろう。
 淀川小屋からの行程のほうが楽だから、ここを使って登るひとは少ないだろう...という予想に反し、小屋には大勢の登山者が居た。引率の先生と高校生のパーティー、大学生パーティーが居る図式も昨日の淀川小屋と一緒。やはりここを拠点とすると行程が長くなるので翌日に備えてもう就寝中の登山者も居た。遅く着いたので空いているスペースが少なかったが、なんとか寝る場所を確保した。夕食準備中だったか、もう19:00近い頃、2人の登山者が到着。時間から考えると『トッピー』の宮之浦着最終便で屋久島に来て、白谷広場までタクシーを使い、それから登山道を歩いてきたようだった。彼らにはもう寝るスペースが無く、高校生パーティーが占拠している『蚕棚』の部屋の下段を使わせてもらうことになった。『早発ち早着き』が原則の登山において、彼らの行動はあまり誉められることではないが、私も思うように行動がはかどらなければこうなっていたハズなので(笑)、この2人を責められません...。
 翌27日は4:30起床で、6:01出発。西日本だけあって、6:00でも薄暗い。高校生パーティーはヘッドランプを灯け早々に出発していった。白谷広場への分岐でそのまま楠川歩道にコースを取り、歩いてると、ヤクシカと遭遇!!! 『人2万、猿2万、鹿2万』といわれる屋久島なのにここまでサルもシカも見掛けなかったので、ようやく出てきたか!...という感じだった。サルは別に見たいとは思わんが、シカさんには遭いたいと思ってた。シカはこちらがカメラを取り出しても逃げる素振りは見せず、じぃ〜っとこちらをうかがっていた。
 シカとの遭遇の後、そのまま登山道を歩くと、白谷広場からの林道を横切り、小屋から1時間で三本杉に着いた。三本杉から35分でコンクリート簡易舗装の林道に出て、やがて楠川歩道の入口を通る。この日は楠川温泉で入浴する予定。楠川温泉は9:00からの営業で、あまり早く着いても意味が無いので、林道脇に簡易貯水タンクがあるところでインスタントコーヒー作って休み、時間調整。
 9:17、楠川温泉着。建物からしてひなびた感じの沸かし湯で山の汗を流した。楠川温泉そばの、湯ノ川温泉バス停でバスを待つ。学休日運休の便は春休みのためやっぱり来ず、11:05発のバスで宮之浦港入口へ。宮之浦港入口付近の商店で食糧を買いだししてから港に向かい、12:15発の『トッピー』に乗船。帰りは乗り物の遅れなどのトラブルは無く、スムーズに富山に戻って来れた。
 今回、日程の都合上、端折ってしまった永田岳を登りにもう一度来たいですね。そしてもっとゆっくり島のなかを廻ってみたいッス。

【行動記録】2000年3月23日(木)〜3月28日(火) 車中2泊/鹿児島1泊/山中2泊3日
3月25日(土)
宮之浦フェリー待合所1032─1040宮之浦港入口バス停1255=(1414)ヤクスギランド
ヤクスギランド1414─1514//1524─紀元杉1534─淀川入口1557─1632淀川小屋

3月26日(日)
淀川小屋430─518//522─537//547─小花之江河556─花之江河607─黒味分岐624
─652黒味岳頂上702─投石岩屋750─806//816─遭難碑818─翁岳分岐847─
─922宮之浦岳942─焼野三叉路1000─平石岩屋1031─1045//1055─坊主岩横1109─
─1145新高塚小屋1220─高塚小屋1306─1311縄文杉1326─1421ウィルソン株
ウィルソン株1432─大株歩道入口1448─1538三代杉
三代杉1553─楠川歩道入口1557─辻峠1642─1701白谷山荘

3月27日(月)
白谷山荘601─701三本杉711─楠川歩道入口755─806//836─917楠川温泉
楠川温泉1024─1027湯ノ川温泉入口1105=1116宮之浦港入口
宮之浦港入口1144─1152宮之浦フェリー待合所

【1:25,000地形図】尾之間、栗生、宮之浦岳、屋久宮之浦

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