南信・風越山と鬼面山...2000.4.29~30(1泊2日)

 

 前回の米山登山で痛めた左ヒザは、2日後には痛みを感じないまでに回復。医者にかかって診てもらったところ「レントゲンを見る限りにおいては悪いところはない」と言われ、一件落着...と言いたいところだが、念のため山歩きを控えて様子見してた。米山で決定的に足を痛めるまで3週連続で雪や氷のあるところを歩いたのがヒザに悪かったんだ...と思い込んでる私は『雪の無い登山』をしようと、ヒザを痛めてから中3週開いた4月29日と30日の週末、南信方面の山へ出掛けた。私は信州大学OBだから、信州は庭みたいなもの(?)。今回、登ったのは、松本在住時から登りたい...と思っていた飯田の風越山と林道を使った新ルートが開拓された(?)伊那山地の鬼面山。
 私が松本市民だった頃購読していた『信濃毎日新聞』の1993年12月20日付に、風越山の南麓の猿庫(さるくら)の泉からの登山道が整備中と紹介されていた。この記事を切り抜いて今日まで持っていたのだが(笑)、今回はこの道をたどってみることにした。朝6時に車で富山を出発。国道41号、257号、坂下、妻籠、大平経由で猿庫の泉入口に11時に到着。妻籠や飯田などの信州南部ではちょうどこの頃がサクラの満開・散り初めの時期のようだった。車を駐めて案内板を見ると、猿庫の泉からの登山道は整備が済んだようで、尾根どおしのメインルートとつながっている表示がされていた。猿庫の泉から風越山に登り、メインルートを使って白山神社里宮に下山して、山麓を廻って猿庫の泉に戻り車を回収するつもりで歩き出す。先に山麓を廻って、白山神社里宮から登る逆コースもよいが、そうなると下山が沢コースになる。もう11時だし、帰りが遅くなると沢沿いのコースは危ない。明るいうちに沢沿いのコースを済ませてしまったほうがよいだろう...と考えて、先に円悟沢コースを歩くことにした。
 猿庫の泉入口から、高鳥屋神社里宮と猿庫の泉の前を通ると、やがて、円悟沢林道の終点に出る。ここから先、河原には赤ペンキ印、沢の対岸にはコースサインのリボンがある。迷わずコースサインのリボンのほうを選んで歩いたら、すぐに道はヤブに紛れた...ヤブをかき分けて進むと、河原の赤ペンキ印のほうから続く立派な道に出た。みなさん、ここでは河原の赤ペンキ印が『正解』です!(笑)。二段の滝と三段の滝を過ぎると、おじいさんとおばあさんに連れられた元気な女の子が下ってきて、私に向かって「こぉぉぉ〜んなにおおきい石があったよォォォ〜」って教えてくれた。カワイイね(笑)。引率の祖父母のほうはグロッキー気味で、私が登りと分かると「下りですらこんなにエライのに、アンタよう登りますなァ〜!」。乙女(於留)の滝の分岐から登山道を外れ、乙女の滝を見に行った。分岐から滝までは、明瞭な道は無く、河原のなかの踏み跡を捜しての歩き。分岐から河原歩き8分で乙女の滝に着いた。水が白糸状に流れ落ちるさまが乙女の髪を思わせるのでその名がついたという、乙女の滝の写真を撮ろうと思いカメラを構え、シャッターを切る。が、ウンともスンともしない。よく見たらカメラが電池切れ〜...。
 乙女の滝から風越山への登山道分岐へ戻り、ここから急坂を登る。ゴルフ場方面のコースを分ける辺りからジグザグ道になり、傾斜が緩んでくる。やがて、脇に休憩舎が建つ今庫の泉に出た。『泉』といっても塩ビのパイプからチョロチョロと水が出るだけの、か細い流れ。解説文によると、伊那谷にその名を轟かせた由緒ある泉だそうだが...。今庫の泉からほぼ水平な道をちょっとばかり進むと、虚空蔵山へのルートの分岐に出た。ここからはメインルートの『展望台』に至る、笹ヤブを切り開いた急坂を登る。枯葉や笹で滑って歩きにくい道だったが、苦しい登りも長くは続かず、やがて『展望台』に着いた。『展望台』では老夫婦が休んでいた。この日の天気は晴れで、聖岳方面はちょっと雲がかかっていたものの、南アルプスの展望はバッチリ。かえすがえすも、カメラの電池切れが残念...。
 『展望台』から歩き出すと、登山道に何本も『マラソン』と書かれたクイが打ち込んである。『富士登山マラソン』みたいなマラソン大会をここでもやってるのだろうか? メインルートの『展望台』を経由しないコースとの合流点と、白山神社の鳥居を過ぎるとひと登りで白山神社奧宮に着いた。ここから少しヤブがうるさい道を歩くと15分弱で風越山頂上に到着。みんな下山してしまったので誰も居ない。頂上は林のなかで、展望は良くない。『展望台』のほうがはるかに展望の点では勝っている。この頂上でインスタント・ラーメンを作って食べた。
 当初、メインルートを下山し、麓を歩いて猿庫の泉に置いてある車を回収しようと思っていた。が、カメラの電池切れのショックで意気消沈し、そんな気力は無くなってしまった(笑)。これまた近年整備された(?)高鳥屋山コースを使って、元の猿庫の泉に戻ることにした。風越山頂上から南西側の尾根に付いている踏み跡が高鳥屋山コース。誰でもコースが認識できるように、しつこ過ぎるくらい木に赤ペンキが塗ってある。『一服平』を過ぎ、急坂を下り切ると『水場』に出た。ちゃんと水が流れている。この水場から少し下ると、社務所が現れた。高鳥屋山頂上(地形図上の・1160m)だ。今でも信仰の対象となっているようで、建物とかしっかりしていた。今でも信者の往来があるからには、高鳥屋山頂上からはしっかり整備が行き届いた道。風越山メインルートも昔は殿様が馬で往来したというだけあって緩い道だったが、ここも馬が歩けそうな道。鮮やかな桃色の花(何の花か判らず)が咲いているのを見ながらこの緩い道を下ると、登りの時に前を通った高鳥屋神社里宮に着いた。猿庫の泉入口に駐車した私の車の辺りでは桜吹雪が舞っていた。
 風越山から下山してから、私が真っ先にしたことはカメラの電池を買うこと(笑)。この後、車で豊丘村へ向かい虻川林道に入り、鬼面山登山口のある林道へ移動。一本道じゃないので途中何回か停車して道を確認。虻川林道の入口は村民体育館が建っているところで、ここへ来るには、伊那南部広域農道を使ったほうが分かりやすいかもしれない。陽も暮れた頃、鬼面山林道の入口へ。鬼面山林道は未舗装。ハイビームにしながら車を走らせると、シカたちが駆け足で逃げていく(笑...3頭くらい目撃)。あまり整備されていない林道で、落石と、水の流れで土が流れてしまったところと凸凹が激しく、これ以上走ると自分の車が危ない...と、林道終点まで着く途中で、路肩に車を駐めて一夜を明かした。
 翌4月30日、朝6時11分、出発。私が断念したとこから先の林道は道幅も広いし、路面状態もまとも...。なんなんだ!? 15分ほどの歩きで林道終点に着く。林道終点に『鬼面山登山道入口』などの標識が一切無いし、いきなりヤブがうるさそうだし...と、ホントに鬼面山への道があるのか?と、恐る恐る歩き出すとすぐに枝沢を渡り、枝沢の先からは沢の右岸沿いの植林帯に細いながらもしっかりした道がついていた。途中、堰堤からは一度ケルンを捜しながら河原のなかを歩くようになったが、すぐに元の右岸沿いの植林帯のなかを歩くようになった。地元・豊丘村の『村有林の主』のトチノ木から1分も歩くと、沢を渡り、いよいよ尾根取り付き。
 尾根取り付きからしばらくは緩いジグザグ道だが、すぐに急坂になる。林のなかの急坂を歩いているうちに、下の沢音は消え、木々の間からは中央アルプスの全貌が見え始めた。尾根取り付きから1時間半ほど歩くと、岩峰に着いた。ここの展望はよく、中央アルプスが経ヶ岳から恵那山まですべて見渡せた。前日登った風越山は完全に中央アルプスのオマケになって見えて、チト哀れ...。北に眼を移せば、仙丈だろうか、南ア北部の山が見えた。


鬼面山頂上から見た風越山。中央アルプス連嶺の前では単なるコブ???

 この岩峰から5分あまりで、鬼面山の頂上に到着。頂上から北北東に向かうしっかりした踏み跡は、地蔵峠へのルートだろうか? 伊那谷方面は切り開かれているが、秋葉街道側は樹林帯で、南アの展望はナシ。聖岳かその前衛の尾高山がかろうじて見えただけ。頂上には郵便受けが立っていて、中には豊丘村が用意した登山者ノートのほか、登頂記念スタンプとスタンプ台が入っていた。もっとも、スタンプ台のインク、かなり薄くなってたケド(笑)。この登頂記念スタンプを押したり(笑)、写真を撮ったり(笑)して30分ほど頂上でくつろいだ。
 帰りは、往路を忠実に下り、頂上から1時間で尾根取り付き、30分で車のところに戻った。往路と同じコースで、6時間のロング・ドライヴで富山に戻った。

【行動記録】2000.4.29~30(1泊2日)
4月29日(土)
猿庫の泉入口1106─猿庫の泉1117─1206於留(乙女)の滝1221─今庫の泉1252─
─1323展望台1338─白山神社奧宮1356─1410風越山1440─水場1515─1523高鳥屋山
高鳥屋山1539─高鳥屋神社里宮1612─1618猿庫の泉入口

4月30日(日)
鬼面山林道途中の車駐めた所611─林道終点627─尾根取り付き652─711//721─
─823岩峰833─839鬼面山909─岩峰915─1007尾根取り付き1017─林道終点1037─
─1048鬼面山林道途中の車駐めた所

【1:25,000地形図】飯田、下市田、上久堅

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