南ア・黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳
2003.9.5〜7(前夜発1泊2日)

 

 「日本アルプスで一番つらい登りは、この甲斐駒ヶ岳の表参道かもしれない。何しろ六百米くらいの山麓から、三千米近い頂上まで、殆んど登りずくめである。わが国の山で、その足許からてっぺんまで二千四百米の高度差を持っているのは、富士山以外にはあるまい。木曽駒ヶ岳は、木曽からも伊那側からも、それに近い高度差を持っているが、登山道は長く緩くつけられている。甲斐駒ほど一途に頂上を目がけてはいない。」(深田久弥『日本百名山』より)

 ...というふうに、深田久弥氏が『日本百名山』に書いたお蔭で、日本で一番つらい登りとされる南アルプス・甲斐駒ヶ岳の表参道・黒戸尾根を登ってきた。深田氏が甲斐駒以上の高度差を持つと指摘してた富士山は、今や五合目から登る山(私は、富士吉田駅から五合目まで歩いたことあるケド...苦笑)に成り下がってしまい、甲斐駒のライヴァルとされた木曽駒はロープウェーで登る山になってしまった。甲斐駒も南アルプス林道の開通により北沢峠から登るのが一般的で、由緒ある表参道もすっかり「裏道」になってしまったが、それでも尾白川渓谷から頂上までの標高差2,200 m に勝る急登は今の日本には存在しない。私はこの甲斐駒表参道・黒戸尾根を過去、下りを2回、登りを1回歩いてる。初めてここを歩いた1994年8月は甲斐駒からの下りで歩いたんだけど、往けども往けども麓に到着しないのに泣きが入った(苦笑)。1999年には今回と同じ日程で尾根を往復してるけど、ちょうど現在の持病の高血圧が進行し始めた頃で、フラフラになりながら歩いた記憶が...(苦笑)。その時以来の4年ぶりの黒戸尾根になる。
 9月5日(金) 夜7時前にクルマで富山を出発。安房トンネル経由で松本に出て、国道19号線と国道20号線を走り、甲信国境・新国界橋たもとのセブンイレブンの駐車場にクルマを入れて仮眠。
 翌9月6日(土)、新国界橋たもとのセブンイレブンから、尾白川渓谷駐車場へ移動。国道20号線から尾白川渓谷への入口には、今では『道の駅はくしゅう』が建っている。この交叉点を右折して尾白川渓谷への道に入るとすぐに竹宇駒ヶ岳神社の石門がある。深田久弥が『日本百名山』で書いた「高度差二千四百米」の基準はここで、韮崎駅からのバスを使って甲斐駒に登るひとは今でも「高度差二千四百米」にトライしてることになる(『道の駅はくしゅう』の前に「白須上」のバス停がある)。マイカー登山者は竹宇駒ヶ岳神社の手前の尾白川渓谷駐車場まで入れる。尾白川渓谷駐車場の標高は約770 m。ここから甲斐駒の頂上まで約2,200 mの登り。尾白川渓谷駐車場はクルマもまばら。殆どが甲斐駒登山者のクルマのよう。ここにクルマを駐めて、5:50に歩行開始。この日の予定は七丈小屋のキャンプ場までの登りだ。すぐに左手の川沿いにキャンプ場と売店が現れ、竹宇駒ヶ岳神社に到着。神社の境内で水の補給をしようと思ったけど、この先の登山道脇にある粥餅石の水場で補給することにして、ここは足早に立ち去る。この竹宇駒ヶ岳神社、前に来た4年前と全然雰囲気が違う...と思ってたら、この間に焼失と再建があった模様...。竹宇駒ヶ岳神社の脇から吊り橋で尾白川の対岸に渡る。ここから黒戸尾根の登りが始まり、途中二度、尾白川渓谷の遊歩道を分けた後、左側に廻り込むように登ってく。黒戸尾根は急な登り...という評判がひとり歩きしてるけど、ここら辺は急な登りではない。天気は晴れで、木と木の間から朝日が差し込んでくる。駐車場から1時間の歩きで休憩。溝状になった登山道を歩いてると、やがて道脇に笹が目立つようになってきた。こうして単調な登りを続けてると突然「←横手コース合流点」といった標識が現れる。旧道と新道の分岐点だ。4年前にここを歩いた時は「登山道の崩壊して危険なため、冬ルートを通行して下さい」といった旨の看板があり、登山者を新道に誘導しようとしてたものの、旧道は封鎖するようなことはなかった。今では旧道に入らないように木の枝が積まれ、登山者が間違って入り込まないようになっている。一旦新道に入りかけた私、標識に書いてある文句「←横手コース合流点 水場なし」の「水場なし」に目を剥く。この日は旧道ルート沿いにある粥餅石の水場をアテにして水持ってきてなかった。新道は粥餅石の水場を通らない。まだまだ先が長いのに、水無しで登って居られるか!...と、7:49、通行禁止措置が取られてる旧道に入った。この旧道が通行禁止措置が取られたのは途中3ヶ所ある花崗岩のザレ場のせい。前に通った時も、足場がザラザラ崩れ不安定だったから様子は知ってる。今回も肝は冷やしたものの、特別危険だとは思わなかった。3ヶ所の問題のザレ場を通ってしまうと、一面の笹原。通る登山者が殆ど居なくなったせいか笹の繁殖力に負け、道が不明瞭になってる。コースサインと山歩きの勘で見当つけながらヒザまでの笹ヤブをかき分けながら往く。ここで前の休憩から1時間経ったので10分間のブレイク。オレンジを1個食べる。休憩後、なおも下り気味に笹ヤブを往くと、謎の建物が出現!(苦笑) 今や誰も使わないトイレ???だ(笑)。このトイレ???の横を通り過ぎると、すぐに粥餅石の水場に到着。鉄剣や石碑が立ち並ぶ粥餅石は、かつて甲斐駒の修験者が1,000日もの間、粥と餅しか食べずに修行した場とされる。この粥餅石で「もちもちラーメン」を食べよう!...と、シャレのつもりでエースコックの「もちもちラーメン」持ってきてたんだけど、休憩取ったばかりなので水だけ補給して、8:16、粥餅石を立ち去った。
 いつからこの旧道を通行禁止措置にしたのかは知らないけど、ひとが歩かなくなるとこんなに登山道は荒れるものか???...と思うくらい、粥餅石から先は笹ヤブが濃い。この笹ヤブを20分ばかり我慢して、ようやく横手駒ヶ岳神社からのコースと合流。ここには昔からの道標が立ってたけど、勿論、旧ルートに入らないように書かれた札が下がってる。正規登山道へ復帰した笹ノ平からは、ヤブのない歩き易い道。先の休憩から1時間経過したところで、ブレイク。「もちもちラーメン」を作って食べる。「粥餅石で『もちもちラーメン』」は叶わなかったけど「粥餅石の水で『もちもちラーメン』」にはなった(笑)。ここで休んでると蜂が一匹飛んできた。蜂ならこちらから仕掛けない限り攻撃してこないだろう...と思って油断してると、私の右脛に食らい付き、血を吸ってるではないか! 手で払っても吸い付いたまま。手でつかんでようやく引き離し、山靴で潰してやった。「何してくれるんや! このガキ〜〜〜!!!」
 なおも傾斜の緩い道を歩き続ける。展望のない山道がず〜〜〜っと続いてたけど、突然、周囲に木が無く、下の渓谷の底まで見下ろせるような岩のヤセ尾根・刃渡りに到着。刃渡りには鎖が備え付けられているから特に危険は無いけど、滑落したら、死、あるのみ。現実に去年(2002年)、ここで遭難死亡事故が起きてる。刃渡りから先は展望のない樹林帯に戻るものの、急に傾斜がキツくなる。次から次からハシゴが現れる。こちらのペースが乱れて苦しくなってきたところで、10:37、ひょっこりと鉄剣や石碑が立ち並ぶ刀利天狗に到着。ここで休憩。刀利天狗では、下山中の中高年登山者のパーティーも休憩中だった。刀利天狗からは傾斜は一旦緩くなり、黒戸山の北側を巻いていく。黒戸山北側を巻き終わると道は下りになる。下に五合目小屋の青いトタン屋根がみえる。下り切って五合目小屋の前に11:28、到着。小屋の主を失った五合目小屋は今や無人の避難小屋。ビミョーに西側に傾いてるような...。小屋の中に何名かの登山者が休んでた。私も小屋前で休憩。
 天気はいつの間にか曇りで、いつ雨が降ってきてもおかしくないような空模様。五合目小屋からさらに最低鞍部まで下り切って、すっかり片付けられてしまった屏風小屋跡(1999年の山行記録には「廃屋」って書いてあるから、当時はまだ建物があった)を過ぎるといきなり屏風岩の登りが待っている。この五合目から七丈小屋までの間が黒戸尾根の核心。急傾斜に立て掛けられたハシゴが次々に現れ、これで岩を登ってく。安定して登り易いハシゴだ。私が初めて黒戸尾根を歩いた1994年には今のような立派なハシゴは無かった。どんな状態だったかは憶えてないけど、昔の黒戸尾根を知る山ヤは「つまんなくなった」と言ってる模様(苦笑)。橋が架けられているキレットに出る。アタマに巻いてたバンダナがすっかり汗を吸ってたので、ここでバンダナ交換。キレットを渡り、なおもハシゴ群を登っていく。あまりの急登に音を上げ、休憩。だけど、実はもう七丈小屋のそばまで来てた(苦笑)。休憩終えて9分歩いただけで、12:42、七丈第一小屋に到着。昔のガイドブックには五合目小屋から七丈小屋までの所要時間が1時間半となってるけど、ハシゴが整備された今、1時間ほどで通過出来るようになってるようです(苦笑)。小屋のなかでテント泊の手続きをした後(今時、テン場代が\300のところも珍しい)小屋から出ると、外は雨がパラついている。小屋の横の水場で水を補給してからテン場へと向かう。素泊まり宿泊者のための七丈第二小屋の横のハシゴを登り、なおも登山道を往くと、七丈小屋のキャンプ指定地に12:58に到着。雨は本降りになることなく、すぐに降り止んだ。4年前は私しかテント泊が居なかったけど、今年(2003年)は南アルプス林道が崩落・通行止めの影響が大きいようで、この日は(私も含め)テントが5張。静かなキャンプサイトだけど、トイレは七丈第二小屋まで行かなければならない。トイレに行く度往復10分もかかるとなぁ...。北アの冷池小屋のテン場とトイレの遠さでは双璧(苦笑)。
 翌9月7日(日)は、サブ・ザックに必要な荷物だけ持ち、5:17に七丈小屋キャンプ指定地を出発、甲斐駒の頂上を目指す。天気は快晴で、30分あまり登ると森林限界を抜け、八合目・御来迎場に到着。4年ぶりに御来迎場に来て、どこか違和感があったけど「どこが変なのか」具体的に分からないもどかしさを覚えた。ここからは花崗岩上の道を往く。九合目に相当する二本剣で休憩。ここから甲斐駒の支峰・摩支利天や北岳がよく見える。鎖場を何度も過ぎると、やがて駒ヶ岳神社の本社がみえるようになる。6:56、甲斐駒ヶ岳頂上に到着。頂上ではライチョウのカップルがお出迎えしてくれました(笑)。


甲斐駒頂上で「お出迎え」してくれたライチョウ

 天気は快晴で、麓のほうには雲海が広がってる。鳳凰山の向こうに富士山が見えた。


甲斐駒ヶ岳頂上からみた鳳凰山。そして、富士山。

 北岳の右側に間ノ岳や塩見岳、さらにその奥の荒川三山、赤石岳、そして大沢岳、中盛丸山、兎岳(ここらは特徴的なのですぐに分かる...笑)が見えた。


甲斐駒ヶ岳頂上からみた北岳。右隣は間ノ岳。

 北沢峠を挟んで、仙丈ヶ岳が大きい。北アルプスの槍・穂高連峰、乗鞍岳、御嶽、中央アルプスが木曽駒から恵那山、そして八ヶ岳まで、360°のパノラマが楽しめた。頂上に居るのは、黒戸尾根を登ってきた「同志」たちのみ。(何度も言うけど)南アルプス林道の崩壊・通行止めのせいか、北沢峠や仙水峠からの登山者が全然登って来ない(っつうか、この時間ならまだ登って来れないか...苦笑)。
 頂上で30分眺望を楽しんだ後、来た道を戻る。結局、下山するまで八合目・御来迎場のどこが変なのか気付かなかったけど、実は、ここのトレードマークだった大鳥居が崩壊してたのね...。無惨ぢゃ...。


八合目・御来迎場の倒壊した大鳥居

 頂上から1時間余りの歩きで、元の七丈小屋キャンプ指定地に戻る。テントの中でインスタントラーメン作って食べてから、テントを撤収し、9:43にテン場を出発。頂上付近は快晴だったけど、七丈小屋付近より下は雲海の中。ガスって薄暗い。10:26に五合目小屋に到着。登りと違って、面白いように下って行ける。刃渡りは前日と違ってガスに覆われ、展望一切無し。展望がないほうがかえって無気味。一旦休憩取ってなおも下ると、笹ノ平に出て、通行禁止の旧道にまたも入る。前日は「水を補給するため」わざわざ通って来た粥餅石、この日は「甲斐駒・黒戸尾根にこういう水場がかつてあった」という証拠写真を撮るためだ(笑)。今の笹ヤブの繁殖力からするとあと5年もすれば、登山道の痕跡すら分からないかもしれない。登りと違って、下りはスイスイ笹ヤブをかき分けて歩いて往ける。地面が濡れてて滑って歩きにくいところもあったケド。旧道封鎖の理由のザレ場よりも、笹ヤブの繁茂のほうが危ない(笑)。旧道分岐から10分で粥餅石に到着。ここで15分休憩し、しっかり水場と鉄剣と謎のトイレ???の写真を撮影。もうここに来ることは、ないだろう。


粥餅石の宗教的遺構と、トイレらしき謎の建物(左奥)

 問題の花崗岩のザレ場も難無く通過し、新道と合流。「危険だから」という理由で通行止めの花崗岩のザレ場だけど、ここと同じくらい危ないザレ場は北アルプスにもいくらでもあると思うんだよね。ただ、北アと違ってここは登山者が少ないから、ザレ場が踏み固まる前に次々崩れてっちゃう(苦笑)。しっかり踏み固めればここのザレ場は問題ないと思うんだけど。新道こそ通行禁止処分にして、このザレ場を通る登山者を増やして道を踏み固めてもらうべき(笑)。南アルプス林道が使えないため、多くの登山者が黒戸尾根を登る今年(2003年)こそをチャンスだったのに!(笑)
 黒戸尾根を歩くコツはムキにならないこと。登りもそうだけど、下りは絶対ムキになってはいけない。1994年は往けども往けども麓に着かないのに業を煮やし、ムキになって下ってヘロヘロになった(苦笑)。この長い尾根はあくまでマイペースで急がず慌てず歩けばいいのだ。
 この日は合計十数名の登りの登山者とすれ違ったけど、12時も過ぎればすれ違う登山者も居なくなった...と思ったら、外国人男性がサンダル履きで登っていった(苦笑)。「黒戸尾根をサンダル履きとは、無謀なッ!!!」って言うひとも居ると思うけど、考えてみれば昔ここを登ってた修験者たちは、わらじ履きか、地下足袋だったんだから、それを考えると、サンダル履きでもいいんじゃない???(笑) 彼がこの後どーなったかは知らんけど(苦笑)。
 尾白川渓谷の遊歩道と合流すると、途端にそこは一般観光客のエリア。吊り橋にも観光客が居る。尾白川で水遊びしたり、ビーチパラソル立ててくつろぐ家族連れの姿も多い。登山者としては肩身が狭く居心地が悪い。尾白川渓谷の駐車場に戻ると、そこも一般ピーポーのエリア。駐車場のトイレで汗に濡れたTシャツを着替えると、すぐにクルマに乗って退散...。
 刃渡りまでのただ長いだけの登りと、刃渡りから先のフィールド・アスレチックでもやってるような過酷な登り。4年ぶりに『黒戸道場』で揉まれて来ました(笑)。

【行動記録】2003年9月5日(金)〜9月7日(日) 前夜発1泊2日
9月6日(土)
尾白渓谷駐車場550─竹宇駒ヶ岳神社555─651//701─旧道分岐749─802//812─
─粥餅石816─横手コース旧合流点837─914//944─刃渡り1017─1037刀利天狗1047─
─1128五合目小屋1138─キレット1207─1223//1233─1242七丈第一小屋1252─
─1258七丈小屋キャンプ指定地

9月7日(日)
七丈小屋キャンプ指定地517─御来迎場551─618二本剣628─656甲斐駒ヶ岳726─
─二本剣747─御来迎場810─833七丈小屋キャンプ指定地943─七丈第一小屋946─
─キレット1004─1026五合目小屋1036─刀利天狗1107─刃渡り1122─1136//1146─
─横手コース旧合流点1208─1218粥餅石1233─旧道分岐1246─1330//1340─
竹宇駒ヶ岳神社1350─1355尾白渓谷駐車場

【1:25,000地形図】長坂上条、甲斐駒ヶ岳

INDEX