南飛騨・水洞平から御前山
2006.4.29(日帰り)

 

 今年の春山は雪が多いと言われてる。12月と1月にあれだけ雪が降ったから積雪量が多くても当然なんだけど、原則として積雪期登山をしない私にとってはせっかく春が来たというのに登る対象となる山が少なくて困ってしまう。3月下旬には絶対『安全パイ』だと思って養老山まで遠征したけど、頂上付近では(登山に支障の無い程度の)残雪をみた。ゴールデン・ウィーク前半戦の4月29日に行くのに適した残雪の無さそうな山として、当初、若狭湾に面した三十三間山をリスト・アップしてた。しかし、インターネット上で調べてみると、4月29日当日は山開きの日で、多くの登山者が居てクルマを駐めるのにも苦労する事態が想定されたため、急遽前日になって予定を変更。南飛騨の(萩原)御前山へ行くことにした。御前山へは1996年に登りに行ったことがあり、特に問題となるような残雪も無く頂上に到達しているし、インターネットで調べても5月に何も問題無く御前山に登頂した記録ばかりが見つかってる。多少の残雪に対する不安はあったものの、多分、大丈夫だろう...と思い、4月29日、弟子を引き連れて御前山へ日帰り登山に行って来た。その結果は...。
 愛娘・ポッポを実家に預け、弟子と2人でクルマの国道41号線を南下。『平成の大合併』で下呂市になった旧・益田郡萩原町の中心部から桜谷に沿った道に入りグングン登ってく。1996年に私が御前山に登った時は、国道41号線から飛騨川の河川敷に降りた飛騨川公園にクルマを駐め、登山口まで車道を歩いたけど、(弟子も居ることだし)今回は中腹にある水洞平駐車場までクルマで上がった。近年の中高年登山者増加により整備されたと思われる(10年前には無かった...と思う)水洞平の駐車場には他にクルマは居ない。荷物を背負って登山開始。しばらくは桜谷沿いの林道を往く。古ぼけた登山案内版や、撮影ポイントを示す標識(こんなところまで写真を撮りに来るひとは果たして居るのか?...苦笑)を見送ると、20分の車道歩きで林道終点の登山口に到着。本来ならクルマでここまで来れるけど、御前山のもう1つのルートである上村コースを下り、途中の林道から水洞平駐車場まで戻る回遊コースを歩く構想があったものだから、わざわざ本来の登山口よりも麓よりの水洞平駐車場にクルマを置いて林道を歩いたワケ。林道終点には5台分くらいの駐車スペースがあり、新潟ナンバーのクルマと尾張小牧ナンバーのクルマが1台ずつ駐まってた。登山道に入るとすぐに立派な橋で沢の右岸へ渡る。登山口からたいして歩かないうちに四合目の表示が現われ、さらには「キャンプ場予定地」も現われた(苦笑)。この「キャンプ場予定地」、10年前に来た時にも「キャンプ場予定地」で(苦笑)、カマボコ型のテントが張りっ放しになってたような記憶がある。今やテントも無く、雑草が生える単なるサラ地にしかみえない(苦笑)。この地にキャンプ場が出来て、家族連れなどが押し寄せて栄える日は果たして来るのだろうか?(苦笑)
 ずっと沢沿いに沿って登山道を往く。沢の左岸に渡り返し、鳥居があるところで休憩。御前山は木曾御嶽山に対する「御前山」であり、そもそも御嶽山の遥拝所だった歴史がある。このミョーに真新しい鳥居も御嶽信仰の名残りだろう。鳥居を出発し、さほど歩かないうちに六合目、そして七合目を通過。ここら辺りで夫婦と思しきカップルの登山者(おそらく、登山口にあったクルマのうち、「尾張小牧」ナンバーのクルマの主)が下山して来るのとすれ違った。すれ違う時、彼らとは「こんにちは」の挨拶以外の言葉は何も交わさなかったけど、下山するにしては時間的に早いのと、彼らのズボンの裾が大して汚れていないのが少し気になっていた。登山道の日蔭部分に残雪が目立つようになってきたのも、この頃。ただ、歩くのにぜんぜん支障が無い程度だったのでさして気にもせずに登り続けてると、11:23に屏風岩直下に到着。屏風岩が目前に聳え立つ。ここで休憩。上手くすれば12時頃には頂上に着くな...と思ってた。が...。


聳り立つ屏風岩

 八合目を過ぎた辺りから登山道が残雪に隠れたままの部分が増え始め、九合目より先はすっかり残雪の下に登山道が埋没してしまった。弟子がブーブー文句を言い始めたけど、九合目を過ぎてるのに「敗退」とは実に勿体無い。登山道がある場所を見当つけながら雪面の上を歩く。「登山道が雪で埋もれてるのは、この道が沢沿いに付いてるからだ。稜線に出ればなんとかなる」と、弟子と自分自身に対し言い聞かせながら(苦笑)歩くと、ルートは沢から離れて稜線へ向かい始めた(北側に廻りこみ始めた)。予測どおり雪が消え、久しぶりに歩き易い道となった。ここで、30代の男性単独行者とすれ違う。登山靴は履いておらず、長靴履きなのをみて、一瞬こちらの目が点になる。長靴履きなのを考慮に入れると、おそらくこの単独行者は登山口にあったクルマのうち『新潟』ナンバーのクルマの主だろう。こちらの予想どおり、ルートが沢を外れて稜線を目指し始めたころから登山道から雪がなくなったので、この先はずっと雪がないだろう...と思ってたため、この単独行者が頂上を踏んで来てるのかどうか確かめなかった(新潟から来てるんだったら、これくらいの残雪はお手のもの?)。が、甘かった...。稜線に出て、御前山の頂上まで最後の登りにかかるところから先が雪だらけ...。木道状になっている箇所から先の斜面は急で、(私ひとりならともかく)弟子の技術じゃこの雪の斜面は登れない...と思い、一瞬「敗退」を考えたけど、ここまで来たら頂上は間近なのが解り切っていたため、続行。雪の急斜面に私の全体重をかけたキック・ステップで「階段」を作り、斜面を登ってく。私が切ったステップを頼りに弟子も続く。陽射しを浴びて雪も弛んでるので、ステップを切るのは簡単。あまりにも雪が緩過ぎて、ツボ足になるのが困るくらい。もう正規の登山道ルートがどこなのかお構いなく、歩き易いところをテキトーにステップ切って登っていく。急斜面を登り切ってもまだまだそこは頂上ではなく、木立ちのなかの雪上の歩きが続く。「あそこにみえるのは、小屋じゃない?」と、弟子が目ざとく見つけたのは、御前山の頂上直下のお助け小屋。お助け小屋からは御前山頂上に立つ岩が目前。12:36にようやく御前山の頂上に到着。


御前山頂上から御嶽山をのぞむ

 幸いなことにこの日は晴天で、頂上から雪をたくさんたくわえた御嶽山がよくみえた。御嶽山の遥拝所だった歴史が物語るとおり、間を遮るものもない。さすが、としかいいようのない眺め。頂上の一帯は雪はなく、頂上には、頂上を示す標識、一等三角点、そして展望台がわりになっている(?)大きな岩と祠がある。頂上で昼食を摂ろうとしたら、弟子が「早く雪のないところまで降りよう」と言う。雪のせいで、ちゃんと無事に下山出来るのかどうか不安に思うあまり、せっかくの素晴らしい展望も楽しめない様子の弟子。私も展望台がわりになっている(?)大きな岩に登ってみよう...という考えすら思い浮かばないほど心の余裕が無かったため、弟子の意見に賛成し、さっさと下山することにした。苦労して登った御前山の頂上とものの20分でお別れ。
 当初は
上村コースを下山するつもりだった。こちらのコースのほうが尾根沿いだし、雪が無い可能性があったけど、頂上から上村コースへの降り口のほうをみるとこちらのほうにも雪がある。登って来たコースを忠実に下ったほうが遭難や道迷いのリスクは少ないだろうし、コース状況も分かってるので、来た道を戻る。ほんの20分くらい雪の無い場所(頂上)に居たけど、また雪原に逆戻り...(苦笑)。
 大失敗なのが、早く頂上に到達したいばかりに、帰りのことを考えて雪面に目印を残しておかなかったこと。今の時期は雪が解けるのは早いし、浅い足跡ならあっという間に解らなくなってしまう。「失敗した〜〜〜!」と悔やんでも後の祭り。間違った斜面を下って行かないように慎重にルート・ファインディングし、正規の登山道ルートを確保してた最後の地点である木道状の箇所を見つけ、そこへ目掛けて下っていく。正規の登山道ルートに出てしまえば忠実に下るだけで、雪があるものの迷う心配は無い。途中、足がズボっと雪中にハマった瞬間に足がツった。早く雪の無いところまで下山したかったが、なかなか楽には下山させてもらえない(苦笑)。やっとのことで屏風岩の前まで下って来た。ここまで下りれば雪も少なく、登山道の明瞭で迷うこともない...ということで、ここでようやく遅い昼食。食事の後、来た道を忠実に戻り、登山口そしてクルマの駐めてある水洞平駐車場にほうほうの体で到着。
 富山に帰る途中、国道41号線沿いの臥竜温泉(飛騨一宮)で山の汗を流してから、帰宅。
 「こんな思いは二度としたくない!」と弟子には責められるわ、下山途中に足ツったところが痛いし、散々な山旅でした(苦笑)。

【行動記録】2006年4月29日(土) 日帰り
水洞平駐車場927─登山口947―キャンプ場予定地958―五合目1010―1024鳥居1034―
―六合目1040―七合目1051―1123屏風岩1133―八合目1138―九合目1157―
―1236御前山頂上1256―九合目1328―八合目1344―1356屏風岩1436―七合目1455―
―六合目1505―鳥居1510―五合目1522―キャンプ場予定地1530―登山口1537―
―1556水洞平駐車場

【1:25,000地形図】萩原、湯屋

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