南ア・北沢峠から仙丈ヶ岳往復
2006.10.8〜9(1泊2日)

 

 10月の体育の日の3連休に、弟子と2人で南アルプスの仙丈ヶ岳に行ってきた。10月6日あたりから台風崩れの低気圧のせいで日本列島は大荒れの天気。10月7日には冬型の気圧配置になり、富山では冷たい雨が降っていた。標高ゼロメートルの平地でもこんな天気なんだから、山は大荒れの天気が容易に予想される。事実、北アルプスの主稜線では雪が降ったため、白馬岳や穂高連峰では気象遭難のため救助を待つ登山者が居る模様。私に言わせてれば「どうしてこの天気なのに山に突っ込んだの?」ってことになるんだけど...。冬型の気圧配置だと大平洋側の地域は晴天が予想される。北アルプスで雪と格闘してる登山者には悪いけど、例年今の季節だと雪が無いのがアタリマエな南アルプスに登りに行くことにした。こんな悪天になるまでは、(北アルプスの)燕岳に行く話を弟子としてたんだけどねぇ〜(苦笑)。
 広大な南アルプスの中で今回の行き先に選んだのは、一番ラクに登れる北沢峠からの仙丈ヶ岳往復である。しかも、一般登山者が日帰りで往復をするこのラクなコースを1泊2日で行くんだから、さらにラクである。仙丈小屋の改築工事以来、仙丈ヶ岳の頂上周辺はキャンプ禁止となったため、いつもテント泊ばかりなにの今回は小屋泊りで、テントやフライシートを持参する必要も無いため荷物が軽く、さらに輪をかけてラクである(笑)。今回こんなにラクな日程を組んだのは、前回の常念岳登山の反動(苦笑)。行動時間が12時間以上となるロングコースに辟易し、「今年はもう山には行かない」と宣言した弟子をなだめて山に連れ出すにはこれくらいラクなコースを呈示しなければならなかった(苦笑)。ということで、3連休2日目の10月8日の朝5時にクルマでキャラメルハウスを出発。一人娘のポッポは前日の夜のうちに弟子の実家に預けてある。出発時の富山の天気は、冬型の気圧配置のため、雨。途中、『松屋』に寄って朝食を摂り、国道41号線を南下。国道471号線に入ると次第に雨の勢いが弱くなり、国道158号線安房トンネルを抜けて、奈川渡ダムの手前にさしかかったあたりから陽射しが出始めた。「裏日本」を脱出し、「表日本」のエリアに到達したワケである(苦笑)。奈川渡ダムからは国道158号線を離れて薮原へ向かう。開通したばかりの木曽谷と伊那谷を結ぶ権兵衛トンネル(国道361号線)を利用して伊那市に出るつもりだったが、肝心の権兵衛トンネルへの入口がどこなのかがよく解らず、奈良井あたりをウロウロ。ようやく権兵衛トンネルにたどり着き、真新しいトンネルを抜けて伊那谷に出た。伊那市街から南アルプス林道を走る伊那市営バス(旧・長谷村営バス)に乗り換えるひとたちのためのマイカー駐車場のある仙流荘前へ移動。連休の中日ということもあり、駐車場にはびっしりクルマが駐まってる。駐車スペースに空きが無いため、駐車場から一段下の戸台川の川原に設けられた(臨時?)駐車場のさらに奥のほうにクルマを駐めてバス停へ移動。バス乗り場にはすでにバス待ちの長蛇の列が出来ており、当然バス1台では全員乗り切れないものだから3台くらい準備されたバスのうちの2台目に乗った。この日のバスの朝1便では全部で14台のバスが出たそうで、それはさぞかし壮観であったことだろう。運転手による観光名所案内を聞きながらバスに揺られて往くと、目の前の高峰に白いモノがみえる。どうやら雪がうっすらと積もってるようだ。甲斐駒の頂上は雲のなかだけど、もしかしたら雪が降ってたかもしれない。1時間くらいのバス乗車で到着した北沢峠は、冬型の影響が大きいのか風が強くて寒〜〜〜い。バスに乗ってた、どこかの大学のワンダーフォーゲル部員らしいパーティーの男子学生のひとりがTシャツ姿だったんだけど、バスを降りた途端にマジで寒がっている(当たり前か...苦笑)。クルマで移動中に寄ったコンビニで買ったパスタと焼そばを食べ、腹ごしらえ。パスタと焼そばのトレイやコンビニ袋が風で飛ばされそうになるのを必死に抑さえる(苦笑)。11:30に登山開始。北沢峠からは樹林帯のなかの展望のない道が続く。頂上を踏んだ後とおぼしき登山者が次から次から降りてくるのをみて、「さすが3連休、さすが百名山」と思った(苦笑)。小1時間ほどの登りで到着した三合目で休憩。三合目では北岳方面だけ展望が開けており、北岳がよくみえた。


三合目からみた北岳

 いつもの荷物と比べると小屋泊りのためテントが無いぶん荷物が軽く私の登るペースが早いせいか、弟子がそろそろ苦しくなって来た頃、三合目から30分あまりの登りで五合目に相当する大滝頭に到着。ここから馬ノ背ヒュッテへの道に入る。地形図上ではほぼ等高線に沿った平行道のようにみえるが、実際のところは歩くひとが少ないせいか、道幅が狭くて歩きにくく、意外にアップダウンがある。途中横切る沢も水量が多く、渡るのに難儀。13:31に薮沢小屋に到着。小屋前のトイレは斜めに傾いていて、そのまま倒壊してしまうのを防ぐためワイアーで補強してある(苦笑)。この日は、期間外解放になっている薮沢小屋に素泊まり。馬ノ背ヒュッテや仙丈小屋で素泊まりすると間違いなく小屋代を取られるが、期間外解放の小屋ならタダで泊れるかもしれない...というスケベ根性が働いたため薮沢小屋を選んだ。が、小屋のなかにはしっかりと期間外素泊まりの場合は仙丈小屋まで料金\4,000を払いにくるようにマジック書きで記されてる(苦笑)。しかも、「三〇〇〇円」と書かれてあったのを「四〇〇〇円」に修正されてるんだもんなぁ〜(笑)。ず〜〜〜っと弟子と私の貸し切り状態だったけど、16時くらいに今晩の単独行者の男性1人が来たため、この夜の宿泊者は計3人となった。夕食の準備をしてる頃、ヘリコプターが飛んでるような音が聞こえきた。「馬ノ背ヒュッテの発電機の音だろう」と思い、さして気にも留めて無かったんだけど、下山してきて初めて遭難者を捜索するヘリコプターの音だったと判明(苦笑)。早い夕食を食べ、18時過ぎには就寝。もう辺りは真っ暗だ。
 翌10月9日は朝4:20に起床。暗闇のなか朝食の準備をし、朝食を摂った後、余分な荷物は小屋に残した身軽な状態で、5:51に薮沢小屋を出発。もう1人の宿泊者はまだ小屋で就寝中のよう。夜が完全には明けきっていない小屋の前からは甲斐駒ヶ岳が幽玄な姿がみえていた。


薮沢小屋前からみた甲斐駒ヶ岳

 この日の行程については弟子とイロイロと議論があって、当初私は、薮沢小屋→馬ノ背ヒュッテ→仙丈ヶ岳→小仙丈ヶ岳→大滝頭→薮沢小屋→薮沢大滝コース下山...を考えていたんだけど、弟子が渋ったため、話し合った結果、薮沢小屋→大滝頭→小仙丈ヶ岳→仙丈ヶ岳→馬ノ背ヒュッテ→薮沢小屋→薮沢大滝コース下山...というコースを歩くことになった。「ラクなコースを歩きたい」とする弟子の主張と、回遊コースを譲らなかった私の主張がぶつかりあった結果(苦笑)。薮沢小屋から大滝頭までは前日歩いた時と違って歩き易い。「初めて歩く道」と、「一度歩いたことがあり勝手知ったる道」の違いか? はたまた荷物の重さによる違いか?(苦笑) 朝に北沢峠を出発してもこの時間には大滝頭へは到着困難...と思ったが、下のほうから登山者の声が聞こえてくる(苦笑)。森林限界を抜けたあたりで、男性2人組を追い抜いたし...。このひとたちは朝、何時に北沢峠を出発したんだろうか? それとも、この辺りで(指定地じゃないけど)テント泊でもしたんだろうか? 6:52に小仙丈ヶ岳頂上に到着。天気は快晴。風は相変わらず強く、寒い。目の前にはこれから目指す仙丈が高く聳えてた。


小仙丈からみた仙丈ヶ岳

 小仙丈からなおも仙丈を目指す。登山道の脇の陽が当たらないところにはうっすら雪が残ってる。前日の朝までにうっすら積もったという雪は、そのほとんどが前日の昼間の晴天で溶けてしまったようだ。小仙丈から仙丈をすべて稜線通しに往くと細かいアップダウンを覚悟しなければならないが、登山ルートは稜線の北西側を巻いていくように付けられている。稜線の北西側はなかなか陽が当たらないためか、一面うっすらと積もった雪が残ってて壮観。写真に残しておきたいとも思ったが、逆光になるため、写真は撮らなかった。多くの登山者でにぎわう仙丈ヶ岳頂上に7:50、到着。仙丈からみえる北アルプスの槍・穂高方面、乗鞍方面、木曾御嶽、白山には白いモノ...すなわち、雪...がしっかり確認出来た。仙丈からこれだけハッキリとみえるということは、悪天のため飛べなかった遭難者の救助ヘリも飛んだことであろう(苦笑)。仙丈の頂上からは、今まで歩いて来た小仙丈からのルート、これから下る馬ノ背ヒュッテからのルートを歩いてる登山者の姿が確認できたが、大仙丈からのコース(いわゆる「馬鹿尾根」)を歩いてる登山者の姿はぜ〜んぜんみえなかった(笑)。


仙丈ヶ岳頂上からみた鋸岳。奥は八ヶ岳連峰

 8:10に仙丈ヶ岳頂上を出発し、下山にかかる。8:26に仙丈小屋に到着。薮沢小屋の素泊まり料金を払おうとバイトらしき兄チャンに声をかけたところ、この兄チャンは事情を知らないらしくキョトンしてて、他のひとを呼びにいった。兄チャンに呼ばれて出て来た管理人らしきオジサンは当然事情を分かってるので話が通じた。請求された金額は小屋にマジック書きされた「四〇〇〇円」でもなく、書き直す前の「三〇〇〇円」でもなく、その間をとった\3,500で、実にいい加減である(笑)。小屋のオジサンに「昨日は(薮沢小屋は)何人(宿泊)でした?」と訊かれたので、「(自分たちを含め)3人」と答えた。このようなことを訊かれるということは、もう1人の宿泊者である男性単独行者はまだ料金を支払いに来ていないようだ(笑)。馬ノ背の分岐で丹渓新道を分け、馬ノ背ヒュッテの前を通り、薮沢大滝コースを分け、薮沢を渡って、9:13に薮沢小屋に戻ったんだけど、裏側からみて初めて、(トイレ同様に)この小屋も倒れないようにワイアーで固定されていることに気付いた(笑)。
 薮沢小屋のなかでコ−ヒ−ブレイク、さらに荷物の組み替えなどを行い、9:58に薮沢小屋を出発。薮沢大滝コース下山...という当初の予定を撤回し、大滝頭から尾根コースを下山(要は、前日の逆ルート)することに変更。「ラクなコースを歩きたい」とする弟子の主張に、私が大幅に譲歩した形となった(苦笑)。ま、下山が遅れて、13時発の市営バスを逃すと帰りが遅くなって困るし...(苦笑)。
 大滝頭に出ようとしたら、そこには朝にここを通った時には無かった通行止めの標識が立っていた。標識には「雪のため通行不能」とあったが、弟子と私がこうして歩いてこれたからことからも分かるとおり(苦笑)、問題となるような積雪は無い。どうやら馬ノ背ヒュッテの小屋閉めに伴い、登山者が大滝頭から馬ノ背方面に来ないようにこのような標識を置いたようだ。「雪のため」と書かれると、確かにフツウのハイカーなら尻込みする(苦笑)。大滝頭から尾根コースで北沢峠に降りる途中は、3連休も最終日だからということもあり、これから仙丈に登るひとは少なく、すれ違う登山者の数も(昨日に比べれば)まばらだった。
 11:27に北沢峠に下山。北沢峠は紅葉狩りの一般のハイカーも来てるようで、本格的な登山をあまりやったことがないひとも多く訪れてる。そのようなハイカーのなかには、何も調べずに北沢峠に来て、係員のオッチャン(おそらく伊那市営バスまたは南アルプス市営バス関係者)に「予約無く泊れる山小屋はどこか?」とか「甲斐駒までどれくらいかかるか? どのコースを歩いたほうがイイか?」などと訊いてる。そーゆーのをみて呆れていた弟子と私。あーゆーのが遭難予備軍???
 本来のダイヤだとバスが13時まで無くてヒマを持て余すところ、バス待ちのひとが30名たまれば臨時バスを出すということで、予定よりも1時間早く仙流荘前バス停の駐車場に戻ることが出来た。バス停の立ち喰いそば屋で山菜そばを食べて腹ごしらえをしてから、クルマに戻る。3連休最終日ということもあり多くの登山客はもう帰路に就いたのか、(上の駐車場はともかく)下の川原の(臨時?)駐車場はガラガラ(苦笑)。仙流荘のお風呂は同じバスに乗って来た登山者たちが押し掛けて混雑が予想されたため、国道361号線に出て、高遠さくらホテルに寄り、入浴。高遠からは伊那市―権兵衛トンネル経由で宮ノ越に出て、薮原→奈川渡ダム→安房トンネル→平湯...と、上高地の紅葉狩り帰りの渋滞の脇もスイスイ〜〜〜と順調にクルマをころがしてたんだけど、国道471号線の高山市上宝町葛山あたりで渋滞に引っ掛かった。「も、もしや、楡原南の信号のせいの渋滞では...」というとっても悪い予感がしたため、クルマを方向転換。平湯まで戻って国道158号経由で高山→旧・清見村に出て、中部縦貫道→東海北陸道荘川I.C.→国道156号線→白川郷I.C.→小矢部J.C.T.→砺波I.C....と、チョー遠廻りをして富山県へ帰還。後日判明したところでは、高山市上宝町長倉の土砂災害のための交互通行による渋滞だったようだけど、ココを抜けても国道41号線の飛騨市神岡町鹿間でも工事のため交互通行やってたし、当然、楡原南の信号による渋滞もあったろう。わざわざ遠廻りしたのはムダではなかった...と、信じたい(苦笑)。弟子の実家からポッポを回収し、キャラメルハウスに午後9時ごろに帰還。
 本来なら北沢峠から日帰り出来るコースを1泊2日で行ったため、ラクだった。天気にも恵まれ、周囲の山はほとんど全て見渡せたけど、寒かった(笑)。

【行動記録】2006年10月8日(日)〜10月9日(月) 1泊2日
10月8日(日)
北沢峠1130─1224三合目1234─大滝頭1307─1331薮沢小屋

10月9日(月)
薮沢小屋551─大滝頭610─652小仙丈ヶ岳702―仙丈小屋分岐733―750仙丈ヶ岳頂上
仙丈ヶ岳頂上810―地蔵尾根分岐820―826仙丈小屋831―馬ノ背ヒュッテ859―913薮沢小屋
薮沢小屋958―大滝頭1016―1036三合目1046―1127北沢峠

【1:25,000地形図】仙丈ヶ岳

INDEX