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2025年5月(第296回)...スリーター・キニー“ゲット・アップ”(”Get Up”)より
アルバム『ホット・ロック』(『The Hot Rock』)収録...1999年作
【コメント】
アメリカの女性3人によるパンク・ロック・バンド、スリーター・キニーが1999年にリリースした4thアルバム『ホット・ロック』の収録曲。
インディでの活動で、じわりじわりと支持層を拡大させ、日本にもその名が轟くようになり、3rdアルバム『ディグ・ミー・アウト』では日本盤もリリースされ、『D.I.Y.』魂を体現したかのような理想的な活動を貫いてきた彼女たち。この4thリリース後にはジャパン・ツアーを敢行し、「タナソウ」こと田中宗一郎主催のクラブ・イヴェント『CLUB SNOOZER』にゲスト出演した時に私も彼女たちの熱演に接することが出来たんだけど、クラブ・イヴェントのゲストなので、オーディエンスの殆どが彼女たちのファンじゃない中での熱い演奏に打ちのめされました! 、特に、ドラマーのジャネット・ワイスの度肝を抜く演奏に痺れたァァァ〜〜〜〜。
あれから四半世紀以上経ち、別プロジェクトのクワージとの掛け持ちが年齢的にキツくなってきたのかジャネットは脱退し、コリンとキャリーの2人組になってしまったけど、今でもあの時の勇姿が目に焼き付いています。
2025年4月(第295回)...オーシャン・カラー・シーン“ザ・リヴァーボート・ソング”(”The Riverboat Song”)より
アルバム『モーズリー・ショールズ』(『Moseley Shoals』)収録...1996年作
【コメント】
英国のバンド、オーシャン・カラー・シーンの大出世作となる1996年リリースの2ndアルバム『モーズリー・ショールズ』のアタマを飾る曲。
デビュー・アルバム『ブルー・ディープ・オーシャン』の頃から話題になってたので、存在は知ってたけど実際にその音楽を耳にすることは無かった。実際に彼らの音楽に触れたのは、ブリット・ポップ・ブームもあって英国で大ヒットを記録した2ndから。アルバムのアタマのこの曲のリフからインパクトが大で、耳から離れないほど。後に、名古屋で田中宗一郎主宰のクラブ・イヴェント『CLUB SNOOZER』に参加したことがあったけど、D.J.がこの曲流した時のフロアの盛り上がりは凄かったので、当時のロック・ファンの間ではそれなりにキラー・チューンとして認知されていたんだろう。その後『フジ・ロック』の『GREEN STAGE』や単独来日公演でこの曲にナマで触れる機会があったけど、やはりみんなこの曲に盛り上がってた。
ヴォーカルのサイモン・ファウラーがゲイであるとカミングアウトした影響なのか、ベースのデーモン・ミンケラが脱退した影響なのか、はたまた、単にブリット・ポップ・ブーム終焉によりトレンドから取り残されただけなのかは分からないけど、彼らの人気が傾いて下火になった後の『フジ・ロック』で彼らが出演することを全く認識せずに『OASISエリア』で休んでたら、突如、隣の『Red Marquee』から流れてきたこの曲のイントロに血が沸き立つ感じで熱くなりました(笑)。やはり、名曲は時代を経ても名曲ですね!
2025年3月(第294回)...工藤静香“Again”より
アルバム『ミステリアス』収録...1988年作
【コメント】
おニャン子クラブ〜うしろ髪ひかれ隊で活躍していた工藤静香がソロに転身して1987年末にリリースした2枚目のシングル。
当時真面目な(笑)高校生だった私は、おニャン子クラブにもうしろ髪ひかれ隊にも全く興味が無かったけど、大学受験を控え勉強漬けだった1988年年明け頃は、勉強しながら文化放送制作で高島忠夫さん司会の『全国歌謡ベストテン』(と八木誠さんD.J.の『全国ポピュラーベストテン』)を聴いていた。その時にチャートに入ってて耳を引いたのが、この曲だった。あまりにも気に入ったため、当時出始めたカセットシングルを購入したくらい(苦笑)。
受験も終わり、紆余曲折を経て信州大学に入学して、松本ワンダーフォーゲル部(以下、松ワン)に入部した私。松ワンでは当時、合宿中に部員みんなで歌うための独自の歌集を作っており、新入部員の私にも歌集に載せて欲しい曲の募集があった。そこで私は当時一番気に入ってた工藤静香の”Again”をリクエストしたけど、残念ながら採用には至らならなかった...。
その後私はたった3ヶ月で松ワンを退部することになったけど、歌集に”Again”が採用されなかったのがどうしても納得出来なかったから...では、当然ながらありません(苦笑)。
2025年2月(第293回)...ディジー・ミズ・リジー“シルヴァーフレイム”(“Silverflame”)より...1981年作
アルバム『ディジー・ミズ・リジー』(『Dizzy Mizz Lizzy』)収録...1995年作
【コメント】
デンマークから颯爽と登場した3人組、ディジー・ミズ・リジーのデビュー・アルバムに収録されている曲。
伊藤政則さんが絶賛したことで、ハードロック/ヘヴィ・メタル(HR/HM)専門誌『BURRN!』界隈で人気を博したバンドだけど、必ずしもHR/HMの範疇に収まりきるサウンドでは無かった。セーソクさんが絶賛するものだから、私もアルバム買って聴いたけど、北欧らしいウェットなサウンドが琴線に響き、愛聴しました。中でも、この曲が凄く気に入りました。
バンドはもう1枚アルバムをリリースしただけで解散し、長らく沈黙の期間がありましたが、幾度かの再結成を果たし、今も思い出したように新作をリリースしてます。
2025年1月(第292回)...クリストファー・クロス“ニューヨーク・シティ・セレナーデ”(“Arthur's
Theme (Best That You Can Do)”)より...1981年作
【コメント】
アメリカの映画『ミスター・アーサー』の主題歌として、1981年の終わりにかけて世界的に大ヒットを記録した曲。
私が洋楽を聴き始めたのは1982年からだけど、本格的に聴き始めたのは中学に入学してから。しかし、すでに『オリコン・ウィークリー』を購読してた頃なので、年明け早々の1982年のシングル・チャートの10位台にこの曲(と、オリビア・ニュートン・ジョンの“Physical”)がランク・インしてたのをよく憶えてます。曲もラジオで聴いて、気に入ってシングル・レコードを購入。私が買った洋楽シングルの栄えある第1号になりました。歌声が天使のようだけど、シングル・ジャケットに載ってるのは『ミスター・アーサー』の写真とニューヨーク・ヤンキースのビジターユニホーム着てギターを構えてる太ったオッサンの写真だけ。『ミスター・アーサー』のほうであってくれ!...と願いつつ、太ったオッサンのほうだという現実を突きつけられた時には少なからず衝撃を受けました(苦笑)。私と同じようにショックを受けた同年輩のかたは結構多い(爆笑〜!!!)