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2025年12月(第303回)...グウェン・ステファニー”サムバディ・エルセズ”(“Somebody Else's”)より
アルバム『ブーケ』(『Bouquet』)収録...2024年作
【コメント】
ノー・ダウトのリード・シンガーとして名高いグウェン・ステファニーが2024年にリリースした4枚目(クリスマス・アルバムを除く)のソロ・アルバム『ブーケ』のアタマを飾る1曲。
1996年の初来日公演を観るなど大のノー・ダウトのファンだった私としては、グウェンがノート・ダウトをそっちのけにしてソロ活動に邁進するのは正直不満があるんだけど、このソロ・アルバムはそんな私を納得させるほどの出来だと思います。特定の世代の女子のポップ・アイコンとされ、セレブと持て囃されてることについてグウェン本人はどう考えているのかは分かりませんが、やっぱりノー・ダウトをメインでお願いしたいです(苦笑)。

2025年11月(第302回)...マシュー・スウィート“ビーウェア・マイ・ラヴ”(”Beware My Love”)より
アルバム『イン・リヴァース』(『In Reverse』)収録...1999年作
【コメント】
‘90年代を代表するシンガー/ソングライター、マシュー・スウィートが1999年にリリースした7枚目のアルバム『イン・リヴァース』に収録されてる曲。
アルバムどおり逆さまになったマーガレット・キーンによるイラストが印象的なジャケットで、もうすでに名盤の風格。アルバム1曲目からこの曲まで、曲ごとの間に区切りがないような作りが面白かったせいか、特にこの曲がお気に入りになってました。2001年開催の『SUMMER SONIC』で彼のライヴを観ましたが、この曲が最初の1曲目! この曲をナマで聴けたことがとても嬉しかった記憶があります。
’90年代の名盤のひとつに挙げられる3rdアルバム『ガールフレンド』以降、彼のキャリアの最盛期もこのアルバムを以て一区切り。2000年以降も精力的に活動を行っていましたが、2024年10月のカナダ・ツアー中に脳卒中で倒れてしまい、今後の彼の活動に暗雲が...。無事快復することを祈っています...。

2025年10月(第301回)...レッド・ホット・チリ・ペッパーズ“ブレイキング・ザ・ガール”(”Breaking The Girl”)より
アルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』(『Blood Sugar Sex Magik』)収録...1991年作
【コメント】
前作『母乳』のヒットで、一部の好事家のみが支持するマニア受けのバンドの域から脱却し、時代が注目する新進バンドとなったレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下、RHCP)がレコード会社を『Warner Bros.』に移籍して1991年にリリースし、大ヒットを記録した5枚目のアルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』に入ってる1曲。
このアルバムをリリースした1991年はニルヴァーナが『ネヴァーマインド』を発表して一躍オルタナティヴ・ロックに注目が集まった年。オルタナの騎手たるニルヴァーナはカートの夭逝でシーンから姿を消し、破天荒なライヴ・パフォーマンスも相まってRHCPがその後のシーンを牽引したイメージがあります。彼らもニルヴァーナほどでは無いにせよ、ジョン・フルシアンテの脱退とそれに続くギタリストの加入・脱退が繰り返されたこともあり、決して平坦な道のりでは無かったですが。
ということで、大出世作となる本作ですが、大ヒットを記録した”Under The Bridge”や、”Give It Away”、”Power Of Equality”など彼らの代表曲がたくさん入ってるので、人気はこちらに偏ると思いますが、私はメランコリックなこの曲を推してます。彼らの曲のなかでも一、二を争う名曲だと評価してます。

2025年9月(第300回)...ジュリアナ・ハットフィールド“リヴ・イット・アップ”(”Live It Up”)より
アルバム『ベッド』(『Bed』)収録...1998年作
【コメント】
「オルタナの純真」と呼ばれたジュリアナ・ハットフィールドが1998年にリリースしたアルバム『ベッド』に収録されている曲。
ブレイク・ベイビーズのメンバーとしてデビューした頃からお世話になった『Mammoth』レーベルを離れるなど彼女を巡る環境が激変。そのせいか、彼女のサウンドが持つポップな側面は封印されており、私小説のようなヘヴィーな音像に初めて聴いた時には驚いたものです。生首が転がっているかのような不気味なジャケットと相まって、忘れられない1枚となっています。このアルバムを象徴してると言えるのがこの曲で、「彼女にこの曲を書かせたヤツは、いったい彼女に何をやったんだ?」と思わせるような、怨嗟渦巻く凄まじい内容となっています…(汗)。
このアルバムが出た頃、神岡新道から黒部五郎岳を往復し、北ノ俣岳避難小屋の前でテント泊しましたが、ポータブルCDプレイヤーでこのアルバム聴いた記憶があります。

2025年8月(第299回)...テキサス“ブラック・アイド・ボーイ”(”Black Eyed Boy”)より
アルバム『ホワイト・オン・ブロンド』(『White On Blonde』)収録...1997年作
【コメント】
シャーリ?ン・スピテリをフロントに据えた英国はスコットランド出身のバンド、テキサスの大出世作となるアルバム『ホワイト・オン・ブロンド』の収録曲。
このアルバムの頃から、バンドというよりは、オトコなのかオンナなのかパッと見分からない中性的な風貌のシャーリーンの魅力を全面に出した売り方をされ始め、それが功を奏したのか本国英国ではビッグ・セールスを記録。日本では全く売れず(苦笑)、英国でのヒットを受けて日本オリジナルのジャケットで再発を行うなどテコ入れが図られましたが、やっぱりダメでした…(苦笑)。
この曲”Black Eyed Boy”は、黒い瞳の坊や=アジアの少年を意図してか、アジアン・テイストなシンセによるフレーズのイントロだけど、欧米のひとたちよく陥るアジアを曲解にしたような感じで、面白すぎていつ聴いても自然とニヤニヤと笑みがこぼれてしまいます。

2025年7月(第298回)...メタリカ“…アンド・ジャスティス・フォー・オール”(”...And Justice For All”)より
アルバム『メタル・ジャスティス』(『...And Justice For All』)収録...1988年作
【コメント】
メタリカが1988年にリリースした4枚目のアルバム『メタル・ジャスティス』のタイトル曲。
すでに『メタル村』の枠を超えて音楽ファンのなかで名の知れた存在だったメタリカ。しかし、その頃はまだ彼らの音楽は勿論のこと姿形についても知らなかった。凶暴なメタルバンドだから、スレイヤーのようなイカツイ男たちを想像してた。そんな頃、当時住んでた松本のアパート近くの鶴林堂書店元町店の音楽雑誌コーナーで目にした『BURRN!』88年8月号の表紙で初めてメタリカのメンバーの姿を知ることになる。小柄なラーズ・ウルリッヒをみて、想像してたメタリカのメンバー像と大きく違ってるのに愕然とした覚えがある。「こんなちっちゃいのが、メタリカ?」
その後、シングル"One"のヒットもあってますます巨大化していったメタリカ。さすがにここまで話題になっているものを聴かないわけにはいかないだろう…と、リリースから約1年遅れで買って聴いた『メタル・ジャスティス』、あまりのスネア・ドラムの軽さに衝撃を受けた(爆笑〜!)。その後、すっかりドハマリし、1989年の夏は、山に出掛ける時はいつもアタマのなかでこのアルバムが鳴ってました(苦笑)。

2025年6月(第297回)...ヘイルストーム“ウィキッド・ウェイズ”(”Wicked Ways”)より
アルバム『バック・フロム・ザ・デッド』(『Back From The Dead』)収録...2022年作
【コメント】
リジーとエアジェイのヘイル姉弟を中心としたアメリカの4人組ヘヴィー・メタル・バンド、ヘイルストームがコロナ禍明けの2022年にリリースした5thアルバム『バック・フロム・ザ・デッド』の収録曲。
彼女たちの存在は、2ndアルバムの『ストレンジ・ケイス』の頃から知っていて、この『ストレンジ・ケイス』を気に入ってたため、アルバムが出る度に買う存在にはなっていた。3rdの『イントゥ・ザ・ワイルド・ライフ』と4th『ヴィシャス』も悪くはないけど、2ndほどドハマリすることは無かった。しかしながら、パンデミックの反動でヘヴィーな作風となったという5thは凄まじい出来で、特にこの曲のパワーに圧倒されました。メラメラと炎立つような情念がこもった会心の1曲です!
ただし、ジャケットはダメダメです...(苦笑)。

2025年5月(第296回)...スリーター・キニー“ゲット・アップ”(”Get Up”)より
アルバム『ホット・ロック』(『The Hot Rock』)収録...1999年作
【コメント】
アメリカの女性3人によるパンク・ロック・バンド、スリーター・キニーが1999年にリリースした4thアルバム『ホット・ロック』の収録曲。
インディでの活動で、じわりじわりと支持層を拡大させ、日本にもその名が轟くようになり、3rdアルバム『ディグ・ミー・アウト』では日本盤もリリースされ、『D.I.Y.』魂を体現したかのような理想的な活動を貫いてきた彼女たち。この4thリリース後にはジャパン・ツアーを敢行し、「タナソウ」こと田中宗一郎主催のクラブ・イヴェント『CLUB SNOOZER』にゲスト出演した時に私も彼女たちの熱演に接することが出来たんだけど、クラブ・イヴェントのゲストなので、オーディエンスの殆どが彼女たちのファンじゃない中での熱い演奏に打ちのめされました! 、特に、ドラマーのジャネット・ワイスの度肝を抜く演奏に痺れたァァァ〜〜〜〜。
あれから四半世紀以上経ち、別プロジェクトのクワージとの掛け持ちが年齢的にキツくなってきたのかジャネットは脱退し、コリンとキャリーの2人組になってしまったけど、今でもあの時の勇姿が目に焼き付いています。

2025年4月(第295回)...オーシャン・カラー・シーン“ザ・リヴァーボート・ソング”(”The Riverboat Song”)より
アルバム『モーズリー・ショールズ』(『Moseley Shoals』)収録...1996年作
【コメント】
英国のバンド、オーシャン・カラー・シーンの大出世作となる1996年リリースの2ndアルバム『モーズリー・ショールズ』のアタマを飾る曲。
デビュー・アルバム『ブルー・ディープ・オーシャン』の頃から話題になってたので、存在は知ってたけど実際にその音楽を耳にすることは無かった。実際に彼らの音楽に触れたのは、ブリット・ポップ・ブームもあって英国で大ヒットを記録した2ndから。アルバムのアタマのこの曲のリフからインパクトが大で、耳から離れないほど。後に、名古屋で田中宗一郎主宰のクラブ・イヴェント『CLUB SNOOZER』に参加したことがあったけど、D.J.がこの曲流した時のフロアの盛り上がりは凄かったので、当時のロック・ファンの間ではそれなりにキラー・チューンとして認知されていたんだろう。その後『フジ・ロック』の『GREEN STAGE』や単独来日公演でこの曲にナマで触れる機会があったけど、やはりみんなこの曲に盛り上がってた。
ヴォーカルのサイモン・ファウラーがゲイであるとカミングアウトした影響なのか、ベースのデーモン・ミンケラが脱退した影響なのか、はたまた、単にブリット・ポップ・ブーム終焉によりトレンドから取り残されただけなのかは分からないけど、彼らの人気が傾いて下火になった後の『フジ・ロック』で彼らが出演することを全く認識せずに『OASISエリア』で休んでたら、突如、隣の『Red Marquee』から流れてきたこの曲のイントロに血が沸き立つ感じで熱くなりました(笑)。やはり、名曲は時代を経ても名曲ですね!

2025年3月(第294回)...工藤静香“Again”より
アルバム『ミステリアス』収録...1988年作
【コメント】
おニャン子クラブ〜うしろ髪ひかれ隊で活躍していた工藤静香がソロに転身して1987年末にリリースした2枚目のシングル。
当時真面目な(笑)高校生だった私は、おニャン子クラブにもうしろ髪ひかれ隊にも全く興味が無かったけど、大学受験を控え勉強漬けだった1988年年明け頃は、勉強しながら文化放送制作で高島忠夫さん司会の『全国歌謡ベストテン』(と八木誠さんD.J.の『全国ポピュラーベストテン』)を聴いていた。その時にチャートに入ってて耳を引いたのが、この曲だった。あまりにも気に入ったため、当時出始めたカセットシングルを購入したくらい(苦笑)。
受験も終わり、紆余曲折を経て信州大学に入学して、松本ワンダーフォーゲル部(以下、松ワン)に入部した私。松ワンでは当時、合宿中に部員みんなで歌うための独自の歌集を作っており、新入部員の私にも歌集に載せて欲しい曲の募集があった。そこで私は当時一番気に入ってた工藤静香の”Again”をリクエストしたけど、残念ながら採用には至らならなかった...。
その後私はたった3ヶ月で松ワンを退部することになったけど、歌集に”Again”が採用されなかったのがどうしても納得出来なかったから...では、当然ながらありません(苦笑)。

2025年2月(第293回)...ディジー・ミズ・リジー“シルヴァーフレイム”(“Silverflame”)より...1981年作
アルバム『ディジー・ミズ・リジー』(『Dizzy Mizz Lizzy』)収録...1995年作
【コメント】
デンマークから颯爽と登場した3人組、ディジー・ミズ・リジーのデビュー・アルバムに収録されている曲。
伊藤政則さんが絶賛したことで、ハードロック/ヘヴィ・メタル(HR/HM)専門誌『BURRN!』界隈で人気を博したバンドだけど、必ずしもHR/HMの範疇に収まりきるサウンドでは無かった。セーソクさんが絶賛するものだから、私もアルバム買って聴いたけど、北欧らしいウェットなサウンドが琴線に響き、愛聴しました。中でも、この曲が凄く気に入りました。
バンドはもう1枚アルバムをリリースしただけで解散し、長らく沈黙の期間がありましたが、幾度かの再結成を果たし、今も思い出したように新作をリリースしてます。

2025年1月(第292回)...クリストファー・クロス“ニューヨーク・シティ・セレナーデ”(“Arthur's
Theme (Best That You Can Do)”)より...1981年作
【コメント】
アメリカの映画『ミスター・アーサー』の主題歌として、1981年の終わりにかけて世界的に大ヒットを記録した曲。
私が洋楽を聴き始めたのは1982年からだけど、本格的に聴き始めたのは中学に入学してから。しかし、すでに『オリコン・ウィークリー』を購読してた頃なので、年明け早々の1982年のシングル・チャートの10位台にこの曲(と、オリビア・ニュートン・ジョンの“Physical”)がランク・インしてたのをよく憶えてます。曲もラジオで聴いて、気に入ってシングル・レコードを購入。私が買った洋楽シングルの栄えある第1号になりました。歌声が天使のようだけど、シングル・ジャケットに載ってるのは『ミスター・アーサー』の写真とニューヨーク・ヤンキースのビジターユニホーム着てギターを構えてる太ったオッサンの写真だけ。『ミスター・アーサー』のほうであってくれ!...と願いつつ、太ったオッサンのほうだという現実を突きつけられた時には少なからず衝撃を受けました(苦笑)。私と同じようにショックを受けた同年輩のかたは結構多い(爆笑〜!!!)