ポーラ・コールと椎名林檎

 この間、ポーラ・コール・バンドのライヴを観てきたけど、あのライヴを観るまでポーラ・コールというアーティストの位置付けがうまく出来ていなかった気がする。他の'90年代型の女性アーティストを引き合いに出すと、アラニス・モリセットやフィオナ・アップルやP. J. ハーヴェイみたいに激情型でもないし、トーリ・エイモスやビョークみたいに『天然』が入ってるわけでもないし、サラ・マクラクランみたいに澄んでいるワケでもないし、コートニー・ラヴやグウェン・ステファニー(ノー・ダウト)のように姐御肌でもないし、シェリル・クロウみたいな泥臭さもないし、ましてやマライア某やセリーヌ某のように『larger than life』な夢物語を歌うわけでもない。「ポーラ・コール」というアーティストのシーンにおける位置付けを整理するのにそれまで悩んでいた(...というほど大袈裟なハナシでもないが...笑)けど、彼女のライヴを観て、ようやく彼女が『何者』なのか解った。あのライヴで、オリヴィア・ニュートン・ジョンの“Jolene”とレッド・ツェッペリンの“Black Dog”を演ったことで、ポーラ・コール自身で自分が『何者』なのか明らかにしてくれたから(笑)。そうですか、『レッド・ツェッペリンを演るオリヴィア』だったんですね、彼女は(笑)。実に判り易い(笑)。
 あの『バークレー音楽院』でジャズ・シンガーを目指して勉強していただけあって、ポーラ・コールは声の量とか声域など、凄まじかった。野球のピッチャーに例えたら、松坂ばりの豪速球を投げる正統派速球投手を思わせる。ド真ン中のストレートをどんどん投げ込んでくる感じ。このポーラの正統派シンガーのパフォーマンスを観てしまうと、やっぱり「椎名林檎って異端なんだな」と感じてしまう。
 ポーラ・コールを『正統派速球投手』とするなら、椎名林檎は『スピット・ボールを投げて違反投球』ってな感じ(笑)。スピット・ボール...ボールに唾をつけて投げることは野球規則で禁じられている。阪神をクビになって今年から巨人に居るメイが阪神戦で、自分をクビにした相手を挑発するためさかんに指をなめる仕草をしていたが(笑)、ボールに唾をつけて投げると、異様にボールが変化するらしい。椎名林檎の歌を聴いていると、唾をつけて投げた球が内角をえぐり、相手をのけぞらせるさまを思い浮かべる(笑)。椎名林檎の歌は『反則投球』だ!(笑)
 その『反則投球』的椎名林檎の歌の中核を成す(?)例の巻き舌だけど、あれはセックス・ピストルズの『ジョニー・ロットン』ことジョン・ライドンの域には及ばないものの、オアシスのリアム・ギャラガー並の域には達している(笑)。あの巻き舌、よっぽど練習しないとああはならないぜ(笑)。
 あの巻き舌を耳にして思い出したのが、以前、音楽雑誌『CROSSBEAT』でテクニカル・ライターの小田嶋隆がやってた連載で、オダジマが書いていたこと...「ロックン・ローラーとは、自分がそう思い込むことによって生じる人格だ」という話。『「自分はロックン・ローラーだ!」と宣言した日からそのひとはロックン・ローラーになる。菊池桃子も「これからラ・ムーでロック演ります」と言った日からロックン・ローラーになったんだ』と小田嶋氏が書いてるのを見て「ムチャな話だなァ〜」と思っていたが、椎名林檎のあの巻き舌を聴くと、『ロックン・ローラーになるためにあの巻き舌を練習してるうちにホントにロックン・ローラーになった』感じがして、オダジマが書いてた暴論にも一理あったな...と思った次第である(笑)。

(2000.4.23)

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