森高千里を振り返る
ネットサーフィンしてたら、とあるミステリー作家の開設するホームページに当たりました。そのミステリー作家氏は、私と同じく信州大学の出。年齢も私と同じだから第23期('88年)入学組になるんでしょう。経済学部卒だから『23K』で始まる学籍番号をお持ちだったハズ。理学部の私は学籍番号『23S112』でした(笑)。で、この私と同じ歳で、同じ大学出てるミステリー作家氏、好きなタレントとして、森高千里の名前を挙げてるんだけど(笑)。これを見て「我が意を得たり!」っつう気分になってしまいました(笑)。っていうのは、'88年の信大松本キャンパスの学園祭『銀嶺祭』の『雪町コンサート』に森高が来たから(笑)。大学生になって初めて経験する学園祭にやってきたのが、当時はまだ一部マニアにしか知られていなかったものの後にBIGに成長する森高。さらに言うと森高は第23期入学組の大多数と同じ1969年生まれで、いわゆる『同級生』にあたったりします。第23期入学組の男に多大なインパクト与えたことは想像に難くありません(笑)。勝手な憶測だけど、信州大学第23期入学組の男はみんな森高ファンか、そうじゃなくても多少なりとも森高にコダワリあるんじゃないのかなぁ〜...と、決めつけてます、ハイ(笑)。ってことで、信州大学第23期入学組の男である私は、森高にコダワリありました(笑)。以後、アルバム出す度に律儀に買ってましたから(笑)。決して『森高オタク』じゃなかったけどね(笑)。ホントよ〜(笑)。
ここで森高作品の紹介
そもそも森高は「第1回ポカリスエットイメージガールコンテスト」(今も続いてるんでしょうか、このコンテスト...笑)で見事優勝を果たして芸能界入りしたいきさつがあります。最初のお仕事はその『ポカリスエット』のTVCMで糸井重里と共演することでした(笑)。1986年のこと。
歌手としてデビューしたのは翌'87年になってからです。
NEW SEASON |
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(国内盤 : WEA WPCL-502) |
ミーハー |
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(国内盤:
WEA
WPCL-503) |
見て |
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(国内盤 : WEA WPCL-504) |
非実力派宣言 |
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(国内盤 : WEA WPCL-505) |
森高ランド |
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(国内盤 : WEA WPCL-688) |
古今東西 |
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(国内盤 : WEA WPCL-689) |
ザ・森高 |
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(国内盤 : WEA WPC6-8321) |
ROCK ALIVE |
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(国内盤 : WEA WPC6-8322) |
ペパーランド |
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(国内盤 : WEA WPC6-8323) |
ラッキーセブン |
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(国内盤 : ゼティマ
EPCE-4016) |
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ステップ・バイ・ステップ |
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(国内盤 : ゼティマ
EPCA-7002) |
ドゥー・ザ・ベスト |
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(国内盤 : ゼティマ
EPCA-7003) |
TAIYO |
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(国内盤 : ゼティマ
EPCA-7006) |
Peachberry |
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(国内盤 : ゼティマ
EPCA-7010) |
今年の夏はモア・ベター |
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(国内盤 : ゼティマ
EPCE-5001) |
Sava Sava |
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(国内盤 : ゼティマ
EPCE-5004) |
the best selection of first moritaka 1987-1993 |
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(国内盤 : WEA
WPC7-8535〜6) |
うわっ〜!!! こんなに作品出してたとはビックリ!!!(笑) 新譜が出たらその都度律儀に買ってたら、知らないうちにこんなに作品たまってました(苦笑)。さらに言うと、ほとんどマニア垂涎の初回限定仕様盤だし(笑)。これだけ持ってると『森高オタク』と間違えられそうだけど(苦笑)、'88年のミニ・アルバム『Romantic』持ってないし、'99年にリリースされたリミックス・アルバム『MIX AGE』も無いし、'99年の裏ベスト盤『harvest time』も持ってないゾ〜!!! オマケにCDシングルは殆ど無いし、映像ソフトは1枚も持ってないし、アサヒビール『Z』の森高等身大立て看板を酒屋の店頭から盗んで家宝になんか間違ってもしてないし(笑)。私は全然『森高オタク』ではありません!!!(笑) くどいようだけど、念押しします(笑)。
森高のキャリアを整理する
森高のキャリアは大まかに3つに分けられます。「B級アイドル時代」、「太もも露出時代」、「同性の支持指向時代」...かなり乱暴な分け方ですけど(苦笑)。同性の支持を集めるようになってからの時代が一番長いので、さらにこの時代をベスト盤『ドゥー・ザ・ベスト』リリース以前とリリース後に分けます。ということで、森高の音楽キャリアは4つの期間に分けて整理します。
《第1期》1st『NEW
SEASON』から2nd『ミーハー』に至るまで。
歌詞もバックの演奏も全てあらかじめ用意された曲をただ歌うだけのアイドル歌手してた時代。
《第2期》3rd『見て』から6th『ROCK ALIVE』に至るまで。
歌詞を自分自身で書き始め、バックのサウンドも打ち込み主体に変化。歌詞書く感性も一番キレてた時代。太ももの露出が始まり(笑)、一番イメージ的にインパクトあった時代。殆どのひとは『森高』と聞いてこの時代を思い浮かべるのでは?
《第3期》7th『ペパーランド』からベスト盤『ドゥー・ザ・ベスト』に至るまで。
森高自身のドラム演奏を主役に据えたナチュラルなサウンドに変化。森高自身の書く歌詞も奇をてらったものから同性の共感を呼ぶようなものに変わった。
《第4期》10th『TAIYO』以降
第3期とはサウンドや歌詞的に変化は無いんだけど...要は、人気が明らかに下降線を辿り出したってことです...(ア〜ア、ハッキリ言っちゃった...笑)。
また書きますが、森高が一番トンガってたのが《第2期》であることは衆目の一致するところ。結局、森高が天下のNHK『紅白歌合戦』に出してもらえたのは《第3期》に差し掛かった'92年からのことですから。歌った曲は“私がオバサンになっても”で、これは《第2期》末期の曲にあたりますが、要はそれまでの森高は天下のNHK『紅白歌合戦』に出すにはラジカルな存在だったってことでしょう?(笑) 《第3期》に入ってラジカルさが薄らいだからようやく『紅白』に出してもらえた(笑)。私が思うに'89年の時点で『紅白』に出てないとおかしいっスよ。それくらいの人気はありました。
森高の最高傑作はどれか?
これは難題です(笑)。個人的には2ndの『ミーハー』が楽曲的に優れていると思いますケド、これは、現象としての『森高』を否定することになるので危険な意見だ(苦笑)。時期にを分けて考えましょうか。《第1期》は勿論2ndの『ミーハー』、《第2期》は一番トガってた時代だから選択に迷うけど、4thの『非実力派宣言』かな。《第3期》は8thの『ラッキーセブン』、《第4期》は10thの『TAIYO』です。
で、森高の全ての時期を網羅するような便利なベスト盤は、レコード会社移籍の壁が立ちはだかって存在しません(苦笑)。ベスト盤はここに紹介してないモノも含めると5種類くらい出てますけど、どれも森高の歴史を振り返るには役不足なモノばかりですね。「もう終わってしまったアーティスト」扱いするのなら、そろそろ決定版!!!的なベスト盤を編纂してみる気がありませんかねぇ、レコード会社さん?
ドラマーとしての森高
芸能界デビューする前、まだ熊本で高校生やってた頃にバンドでドラムスを担当してたという経歴の持ち主である森高は、'92年の『ペパーランド』以降、自分自身でドラムを演奏するようになったけど、かなりスネアのスナッピーが緩めに張ってあるような印象受けます(笑)。お蔭でかなりカル〜い音色だよね。森高が叩くドラム・サウンドで一番印象深いのは『ペパーランド』収録の“どっちもどっち”。この曲はスネアの音が他のどの曲よりもカルく聴こえる。笑ってしまうほど。ここで聴けるスネアの音と同じくらいカルいのは、メタリカの『メタル・ジャスティス』くらいじゃいのぉ〜???(笑)。この曲のタイコの音聴くと楽しいので、何度も“どっちもどっち”ばっかり聴いたものです(笑)。あと、森高はどちらかというと後ノリタイプのドラマーだよね(笑)。
今後の森高
ええっと、'98年のアルバム『Sava
Sava』以後、オリジナル・アルバムのリリースが途絶えてる森高ですけど、みなさん御存知のとおり、森高は江口洋介と結婚、そして出産しまして1児の母になっとります。母になった森高には当然うたで表現したいことはあるでしょう。たぶん、同世代のママたちの共感を呼ぶような曲を歌うんじゃないかな。だけど、同世代のママたちは殆どCD買わないからねぇ...(苦笑)。しょーじき言って今のJ-ポップ・シーンには森高の居場所は無いんじゃないですか? ちなみに、森高が所属する事務所(芸能プロダクション)『アップ・フロント・エージェンシー』って、モーニング娘。と同じ事務所なの(笑)。本体だけじゃなく、メンバーのバラ売りで大忙しな事務所には森高に費やす時間など1分もないんじゃないのお?(笑) 海外ではマドンナやクランベリーズのドロレスなど、母になっても支持集める女性アーティストが多く居ますが、それに比べるとやっぱりJ-ポップ・シーンって未熟だと思います(勿論、UAとかは頑張ってますが)。たぶん、↑上↑のディスコグラフィーに作品が追加されることは無いんじゃないかな(苦笑)。
(2001.11.25)