ケミカル・ブラザーズに10点満点で[2]の評点が下るワケ
ええっと、前に別項で、音楽雑誌『MUSIC MAGAZINE』3月号のクロスレヴューでケミカル・ブラザーズの『カム・ウィズ・アス』に中山義雄さんが10点満点で[2]点付けてた話をしました。ここで、その評の内容を紹介してみましょう。
「車は移動するためのテクノロジーで、ラジオは電波を受信する。電球は光り、ステレオ・セットはオーディオ・ソフトを再生する。テクノロジーを個別に眺めてゆくと、それら個々の機能には別の選択肢はないのである。現代人は、なんらかのテクノロジーの末端として生きている自分に無自覚であるし、人生には選択肢に溢れていることを普通は忘れて暮らす。ケミカル兄弟の音楽が教えてくれた。[2]」
や〜、天下の『rockin'
on』さまが表紙で大々的に取り上げちゃうロック界の大人気アーティスト、ケミカル・ブラザーズに[2]点ですよ、[2]点! 思わず笑っちゃいましたけど、この中山義雄さんの『カム・ウィズ・アス』評、なかなか考えさせられますね。深いです。
この文章で中山義雄さんがいったい何を言いたいのか、考えてみました。ケミカル・ブラザーズというと、テクノです。『フジ・ロック』の苗場の広い会場をまるまるダンス・フロアに変えてしまうくらい彼らの曲はダンス・チューンとして機能を揃えてます。ま、踊ることだけを目的に特化された音楽...ケミカル・ブラザーズの音楽とはそういうモノでしょう。つまり裏を返せば、「踊る」以外の用途がない音楽...。中山義雄さんがケミカル・ブラザーズに[2]点付けたのは、『音楽』というものの可能性を限定するように聴こえるケミカル・ブラザーズの音楽に対する怒りが感じ取れるんですよ。「『音楽』っていうものにはもっといろいろな選択肢があるべきだ。踊ることしか選択肢の無い音楽なんて『音楽』じゃない!」...っていうふうな怒り。
私はケミカル・ブラザーズのアルバム全部持ってますし、聴いてます。嫌いなモノを全部揃えるバカは居ないので、私もケミカル・ブラザーズは好きです(笑)。少なくとも、嫌いではない(笑)。ただ、大好きかと問われると、大好きじゃないです(苦笑)。『フジ・ロック』の時にはあまりにも退屈なため寝てしまったくらいだし(苦笑)。どうして、私がケミカル・ブラザーズを「好き」にはなれても「大好き」にはなれないか...というと、やっぱり中山義雄さんが指摘するようなものがどーしても引っ掛かってくるのですよ。「『メロディー』『リズム』『ハーモニー』の基本の三要素が揃っててはじめて『音楽』だ」という古〜い『音楽』観の持ち主のため(笑)、『リズム』ばかり特化されたケミカル・ブラザーズの音楽は確かに聴いてて気持ちは良いけど、心から慕う気持ちは起こらないです。体は許すけど、心まではダメよ〜☆。あと、中山義雄さんが指摘するとおり、『音楽』とはいろんな選択肢を許すべきモノだと思うんですよ。聴き手にいろいろな聴き取り方...すなわち解釈...を許すモノであるべきと。聴き手...っつうか、ユーザーにとって使用方法を限定するケミカル・ブラザーズの音楽は『音楽』じゃないって言うひとが居たとしても、私には反論することは出来ません(笑)。ダンス・チューン機能を特化した音楽を、支持するか/支持しないか...はそのひとの『音楽』観の問題ですから、どっちが正しい/誤ってるって次元のハナシじゃないだろうし...。
同じビタミンCを取るのに、ジャガイモたくさん食べて摂取するひとも居れば、数錠のビタミン剤で補給するひとも居る。どちらが合理的か? どちらが正しいのか?...それは価値観の違いだから、どちらが正しいとは言えない。ただ、私は、肉じゃがやフライドポテト、カレーやシチューにコロッケなど、調理法にいろんな選択肢のあるジャガイモを支持します(笑)。ただ、手軽で便利なビタミン剤の存在価値も認めますよ...と(笑)。
(2002.3.13)