私の耳がブライト・アイズの音楽を拒絶する理由
昨日(2月8日)に発表した『2002年
カネ返せ!アルバムTOP10』のなかで、ブライト・アイズの『リフテッド・オア・ザ・ストーリー・イン・ザ・ソイル、キープ・ユア・イアー・トゥ・ザ・グラウンド』を4位にランクインさせたうえ、「前作『フィーヴァーズ・アンド・ミラーズ』に続いて、「どこがイイのか分かりません。ゴメンナサイ」...(泣)。」というコメントを付けています。ブライト・アイズの音楽について、ホント、どこがイイのか分かりませんが、何故彼の音楽をこんなに毛嫌いしてしまうのか...については、長らく私の中では謎でした(苦笑)。ところが、ひょんなことから、私がブライト・アイズの音楽を受け付けない理由が分ってしまったのです。
音楽雑誌『rockin'
on』3月号掲載の連載コラム「坂本麻里子の今月の琴線」では、年明け早々に行なわれたキャット・パワー(ことショーン・マーシャル)の弾き語りライヴを観たハナシを取り上げています。この坂本麻里子さんの文章によると、キャット・パワーのライヴとはこんな感じだったようです。
「それ以上にハラハラしたというか驚いたのは、ショーンの演奏だった。イントロで詰まって何度も何度もやりなおしたり、思うような音が出ないと途中で歌うのをやめてしまったり、ギターのチューニングに四苦八苦したり、スムーズに進まない。まともに最後まで歌えた曲は何曲あったんだろう? そのたび、小さな声で哀しそうに『ごめんなさいね』と何度も謝る。もともと器用なひとではないのだろう。それでも、お金を払って観に来てくれたひとたちのために、精一杯努力する。期待に応えようと必死で頑張るのに、緊張して力がうまく回らず、トチる。そんな悪循環にはまって動揺してるのが、傍目にもはっきりわかる。」
「あんなに『素』のままで、失敗を器用に取り繕うこともせず、無様でも不格好でも、ありのままの自分を露骨にさらけ出してしまうミュージシャンを初めて観た気がする。というか、ミュージシャンではないのだろう。あの場にいたのは、ショーン・マーシャルというひとつのドキュメンタリーだった。」
「少なくとも今夜このステージには一切嘘はないと感じた。それだけで、涙が出そうになった。スターの芸を鑑賞するのとは違う、音楽を通じてひとりの人間と出会う場。誠実さは観ていてひりひりするほどだったし、自分も観ていて疲弊した。だが、生身の言葉と声に触れただけでも充分だった。」
(『rockin' on』2003年3月号「坂本麻里子の今月の琴線」より抜粋)
私はキャット・パワーの音楽、聴いたことないですけど、どんなライヴだったかは坂本さんのこの文章読むとだいたい想像付きますね。
このキャット・パワーのライヴの話に続いて、坂本さんはブライト・アイズの話題を持ち出すワケです。
「キャット・パワーのライヴを観ていたら、ブライト・アイズを思い出した。日本で出たばかりの新譜『リフテッド〜』の評判もすこぶるいい彼もまた、歌が自分の中に降りてくるとその世界に完全に没入してしまい、なりふり構わずありのままをさらけ出してしまう歌い手だ。端正な顔は痙攣を起こしたように歪み、足は小刻みに震えて床をイライラ蹴りながら走り回り、発作でも起こして椅子から転げ落ちるんじゃないか?と不安になるくらい、横溢するエモーションで全身がたわむ」
(『rockin' on』2003年3月号「坂本麻里子の今月の琴線」より抜粋)
この文章読んで、「端正な顔は痙攣を起こしたように歪み、足は小刻みに震えて床をイライラ蹴りながら走り回り、発作でも起こして椅子から転げ落ちるんじゃないか?と不安になる」ようなライヴ...そんな気色悪いモノなんか観たくない!と、私は思った(爆笑〜!!!)。これこそ、私がブライト・アイズを嫌う理由を端的に現してる。今まで、どうして私の耳にブライト・アイズの音楽が馴染まないのか、常々疑問に思ってたんだけど、その疑問が坂本さんの文章読んで氷解した。
小学校の音楽の時間、「笛の練習して来い!」っていう宿題をサボり、課題曲が吹けない罰として、クラス全員の観てる前でひとり笛を独奏させられた級友が居た。もともと練習してない上に、みんなの前でひとり演奏する緊張で完全にパニクっちゃって演奏ボロボロ...。演ってる本人も辛いだろうけど、観てるほうも辛いよ。
あるいは、いつかの従弟の葬式の時。海で溺れて急逝した息子の葬儀ン時の、喪主である父親の挨拶は、前夜の通夜の時とほとんど同じ文句...。あまりの悲しみのために別の表現すら考えられないだよ。そういうのも見てて辛い...。
1年以上前のサッカーの武田修宏の引退会見。男は涙をみせちゃイケナイ。そう思ってずっと笑顔で会見に臨んでたんだろうけど、感極まって目に涙が...。顔では必死に笑顔作ってたけど、目には涙タップリ。これも見ちゃいられなかったな。
...ということで、私が何を言いたいのかというと、誰かが自分自身の感情を自分でコントロール不可能になった場面を見るのは、私は苦手です。見てて痛々しいから、積極的に目を背けたくなる。
私がブライト・アイズの音楽が嫌いなのは、そのサウンドに「エモーションがコントロール不可能になった状態」がたくさん織り込まれているからのようです。勿論、「エモーションがコントロール不可能になってあふれてあふれて止まらない状態が好きなんだ!」というひとが居てもいいし、そういうひとたちはブライト・アイズの音楽を聴いて彼の応援をして下さい。坂本さんがブライト・アイズをプッシュするのも大いに結構。
ただ、私は彼の創り出す音楽にはもう関わりたくはありません。
ちなみに、私自身、「エモーションがコントロール不可能になった状態」に陥ることが多いです(笑)。私がブライト・アイズが嫌いなのは、『近親憎悪』に近いものがあるのかもしれません(爆笑〜!!!)。
(2003.2.9)