石鎚山から東赤石山縦走
2000.5.3~7(4泊5日)

 

 ゴールデン・ウィークは四国の石鎚山から東赤石山まで縦走して来た。ロス暴動で世間が騒然としていた1992年のゴールデン・ウィークにも石鎚山に来たことがあって、この時は西之川から岩原、刀掛、天柱石、夜明峠を経て石鎚山頂に至り、面河コースへと降りたが、今回は河口(こうぐち)からかつての表参道だった今宮コースから石鎚山に登り、東側の瓶ヶ森へ縦走し、そのまま笹ヶ峰、銅山越を経由し東赤石山まで歩く4泊5日の長大コースを計画した。
 乗り物が混雑するこの時期、
富山から岡山までの間に乗った急行列車と新幹線は座る余地無く立ったままの乗車を余儀無くされたが、岡山からの特急でようやく座席に着くことが出来た。伊予西条で特急『しおかぜ3号』を下車、駅前から1日4往復しか無い西之川ロープウェイ行きのバスに乗る。が、さすが天下の石鎚山、大形連休ともなるとバスは満員だ。結局ここでも立ちっ放しだ。今宮コースを歩く計画の私は途中の河口で下車。ロープウェイが出来るまでメインルートとしてにぎわったという今宮コースも今や歩くひとは少ないようで、バスを降りたのは私ひとり。河口バス停から今宮登山道を歩き始めるとすぐにスギの植林帯に入る。ロープウェイ乗り場へ行き来する車の音がするなか一歩一歩歩いていると、歩き始めから50分で車道を横断した。地形図にも記載がないこの道は当然最近出来たばかりのよう。車道からまた登山道に入るとすぐに今宮の集落の民家が現れ始めた。今宮の集落には十数軒の家が建ってたりするが人が住んでいるような気配はまったくなし。中年女性のひとの姿を見たが、休みを利用してかつて住んでいた家の様子を見に来てるといった感じ。長年自動車道無しだった今宮集落、ようやく車で往き来できるように自動車道が付いた時には『廃村』状態ではいったい何のための自動車道かと訊きたくなる。この今宮の集落のなかで1回目の休憩。休憩を終え歩き始め、今宮集落を抜け切ったところに『今宮の大杉』という巨木が立っていた。薄暗いスギ林のなか緩い坂を一歩一歩登っていく。ところどころ木々が切れたところから東方に姿を表す立派な山は瓶ヶ森。やがて『河口3.0 km 3.6 km成就』という指標が...まだまだ先は長い。この指標から10分ほど歩いて感覚的に『河口3.3 km 3.3 km成就』ぐらいのところで2回目の休憩。ここで持って来たパンで昼食。
 かつて表参道だっただけあって、宗教的遺構が多い。『14番花取王子社』、『15番矢倉王子社』を過ぎて『16番山伏王子社』の前で3回目の休憩。感覚的にはロープウェイ乗り場までの3/4くらい登ったつもりでいたが、実際はもっと登っており、『16番山伏王子社』から10分ほどで石鎚成就スキー場ケレンデに着いた。
 さて、当初の予定だと1日目は石鎚成就スキー場ケレンデでテント泊の予定だった。昭文社の『山と高原地図』にはこのケレンデ付近にキャンプサイトのマークが打たれていたからてっきりキャンプ指定地でもあるのかと思ってた。ところが現実にはハッキリと『キャンプ指定地』と明記されたところは辺りには無い。スキー場のケレンデには一応1張テントがあったが、どうも日帰り客のレジャー・テントみたいで、テント泊が許されるのかはかなりアヤしかったし...。オマケに水が取れそうなところが無く、これじゃあテント泊したくても出来ない! こうなったらこれよりも上のキャンプサイトである二ノ鎖まで行くしかない。そう決心した15:07、ロープウェイ乗り場近くの奥前社を出発。
 それまでの今宮コースの静寂と違い、ロープウェイ乗り場からは先はロープウェイを使って来た登山者...というか観光客に毛が生えたようなひとたち...が多数歩いている。もう午後3時を廻っているのだから当然下りのひとばかり。やがて山のなかの門前町といった趣の成就に着く。二ノ鎖までまだ先が長いため、成就に着くまでは沢沿いの黒川コースに降りて適当なところでテント張ろうか...とか、成就の旅籠に泊まろうか...と考えたりもしてたが、成就の茶屋の前に腰を降ろして考え、やっぱり二ノ鎖まで目指すことにした。成就発15:30。成就から八丁坂にかかる。成就から見れば下り坂でせっかく稼いだ高度を落とすのはとくに疲れた体には勿体無いものに感じられるものだ。やがて休憩舎のある八丁に着く。ここは刀掛からのコースが合流するところだが、その刀掛コースが通行禁止である旨が書かれた立て札があった。ここから30分ほど歩いたところで、ためし鎖に着いた。ためし鎖を試す時間的余裕と体力的余裕が無かったので、ためし鎖を避ける巻き道を行こうとしたら、浮き石を踏んで足が滑った私、この拍子に足がつってしまった...。痛さに身悶えもんどりうった。痛みがある程度消えるまでここで否応無しの休憩。どうにか歩けるのを確認、巻き道に入った。この巻き道、要は前社ノ森のピーク自体を巻いてしまうんだが、巻き終えて、ためし鎖コースと再び合流するところの前社ノ茶屋から前社ノ森を見ると、海坊主がにゅう!という感じなので、あれを登り下りするのは大変だ。巻き道を選んでよかったなあ...と思った(笑)。前社ノ森から15分ほどで夜明峠。'92年に石鎚に来た際使った天柱石コースが合流するところだ。が、ここにもコース崩壊で通行禁止との札が。かつて歩いたことのあるコースが閉鎖されるのは淋しいものだが、早く崩壊箇所を直さないとホントにコース自体無くなってしまうのでは...。殆どのひとがロープウェイを使って登る時代だから、特に。


夜明峠から見た石鎚山(天狗岳)

 夜明峠からは沢筋に雪が多く残っている石鎚山の全貌が見渡せる。ここから見えるのは北面だから雪が多いとして、石鎚山頂までちゃんと登れるのか心配になるが、ロープウェイを使って来てる家族連れの幼稚園児くらいの子供ですら登ってきてるようだから大丈夫だろう。夜明峠発17:02。夜明峠から二ノ鎖まではほんの一息で、17:23、二ノ鎖キャンプサイトに着いた。ここまで来る途中、すれ違った下りの女性登山者から「今日は上でテント? もういい場所取られてるわよ」と言われていたとおり、よい場所はすでに先客に占拠されている。二ノ鎖小屋がまだ閉じているせいか、みんな思い思いの場所で用を足す無法地帯と化しているようで『キジ紙』があちこちで散乱してる。そんななか、テントを張るスペースを捜し、『キジ紙』を踏まないようにテントを張った。二ノ鎖小屋から土小屋コースを5分ほど下ったところに雪渓があり、雪渓の下部から流れる水を汲んで夕飯の準備。NHKラジオ第1を聴いていると、佐賀から福岡に向かっていた高速バスが乗っ取られて広島県内の山陽自動車道を東進、警察によってサービスエリア内に誘導されたニュースを延々とやっていた。夕食を済ませ、19:20頃就寝。

 翌5月4日は5時前起床。フツウだったら3時半起床にするのだが、前日予定以上に歩いたので起床時間を遅くしたワケだ。朝5時といってももう明るく、他の登山者の多くは起きて石鎚山頂に向けて歩き出しているようだ。ラジオをつけるとちょうど乗っ取られた高速バスに警官隊が突入した瞬間を放送してた。
 テントを撤収し、すべての荷物をパッキングし終えてから、ザックはその場にデポし空身で石鎚山頂を目指す。二ノ鎖の巻き道にはまだ雪が残っているところがあるが、量が少ないから気をつけて歩けば問題ない。石鎚山頂周辺は何か工事が入っているようで、山小屋すべてがまだ閉鎖されている。山頂白石小屋もしかり。弥山を素通りして石鎚山最高地点とされている1982 m の天狗岳を目指す。さらに天狗岳から南東の南尖峰に行く。なんにも無い南尖峰から天狗岳に戻り、ここで休憩、写真撮影。前回来た時もそうだったが、石鎚山には、頂上であることを示す明確な標識が無く、祠など、宗教的モニュメントがあるだけ。だから記念写真をとってもちょっと張り合いがない。頂上からはこれから向かう瓶ヶ森から瀬戸内海の燧灘に至るまでの展望が開けていた。
 石鎚の頂上を辞し、来た道を二ノ鎖まで戻る。デポした荷物を担いで二ノ鎖から土小屋への道に入る。昨夕、水を汲んだ雪渓のところでこの日の行動分の水を汲んでから土小屋コースをなおも下ると、もっと水が汲みやすいとこが現れた...。
 今や石鎚登山者の多くが歩く人気ルートの土小屋コース、白装束の石鎚講信者から一般ハイカーまで、多くの登山者とすれ違った。1時間あまりで国民宿舎の裏手に出て、ここで休憩。さらに5分で土小屋に出た。石鎚スカイラインの終点・土小屋は観光拠点となっていて、駐車場は車であふれかえっている。にぎやかな土小屋から瓶ヶ森林道に沿う形の瓶ヶ森登山道に入った...ら、ものの10分もしないうちに道は笹ヤブに埋まってしまった。瓶ヶ森林道を走る車やバイクの音を聞きながら笹ヤブを漕いでいると、なんでこんなに車の往来激しいところでヤブ漕ぎしなきゃならんのだ! アホらし〜!」と瓶ヶ森登山道を歩くのはヤメ。土小屋まで戻り、瓶ヶ森林道を歩くことにした。
 瓶ヶ森林道を歩いていると車やバイクの往来が激しいが、笹ヤブ漕ぐよりは何十倍も快適。加茂川源流を示す石碑(愛媛県知事の筆跡による)を見送りながら歩くと、何組もの大学山岳部的パーティーとすれ違った。そのうち、よさこい峠に到着。よさこい峠からは旧来の瓶ヶ森登山道も生きていたのでそちらに入る。伊吹山の登りにかかって少し登ったところで休憩。さらに登り続けるといくつかの緩やかなアップダウンを繰り返して...すなわち、なかなか頂上が来ないなぁ〜と思っているうちに...開けた伊吹山頂上に着いた。伊吹山頂上は瓶ヶ森展望の特等席といった感じ。辺りは笹原なので遮るものはなく、石鎚もよく見えた。伊吹山頂上から縦走を続けると、しばらく離れていた瓶ヶ森林道が近寄ってきて、林道を横断、やがてシラサ峠に着いた。11:21。


伊吹山から見た瓶ヶ森。右のコブは子持権現山

 もうこの時間になると陽差しが強く、暑くてたまらない。シラサ峠の山荘シラサにジュースの自販機があるのが見えたが、ここはグッとこらえる。シラサ峠から登山道をなおも歩き、・1512 mを越えて下り切ったところで休憩。ここから子持権現山の東側を巻いていくワケだが、けっこう登りがキツく、私の先を歩いていた中高年パーティーは体力あるものとないもののペース差で解体。ようやく子持権現山を巻き終わった祠のある地点に着いた。ここは子持権現山頂上への分岐でもある。先を急ぐ中高年パーティーを尻目に、私はザックをここに降ろして子持権現山頂上を目指した。遠くからこの山を見て、『海坊主がにゅう』という風貌に登高意欲をそそられていたのだ。ところがこの山、とんでもない山だった!!! 頂上から長さ100 m(推定)の一本ものの鎖が垂らされ、それをたよりに腕力だけでよじ登ることを要求される...と書けば大袈裟だが、実際、足掛かりが乏しい急斜面で、鎖を頼りにするしか登りようのない凄まじい登山道。伊吹山頂上からもこの山は形よく見えていたのだが、そこで夫婦づれの登山者が「あの山、一本ものの鎖ズラ〜だぜ」「エッ、それホント?」といった内容の会話をしてたが、ホントにそうだった!!! 一本ものの鎖を使ってほぼ中間まで登ったものの、上はまだ遠いし、落ちたら下の祠のところまで一気に行くし、そしたら死ぬし...すぐ下を瓶ヶ森林道が通っているので車の往来音が聞こえるなか、こんな車道が近くに通ってる山で遭難したら恥だよなァ...と思った私、それがますますプレッシャーになってくる。前日、前社ノ森のためし鎖分岐で足がツッたことも思い出し、ここで足ツッたらもうアウト...と思うと恐くなり、登頂を断念。恐る恐る鎖を使って下り始めた。体力的にキビシくなっている午後よりも、朝イチの体力が充実してる時に登るべき山だと思いましたね、子持権現山は。ちょうどこの日の日程の逆コース...瓶ヶ森から石鎚へ縦走する時に登るのがベストなのかも...。
 子持権現山への登頂トライで余計に体力的にフラフラになった私。最初は瓶ヶ森頂上を踏んでから瓶ヶ森ヒュッテに降りようと思ってたが、もうそんな余裕ありゃしない。瓶ヶ森林道に出て、車であふれる瓶ヶ森の大駐車場の脇を過ぎ、やがて現れた瓶ヶ森頂上(男山)直登コースの分岐では迷うこと無く瓶ヶ森ヒュッテへ直接行く道を選んだ(笑)。笹原を行くと瓶ヶ森ヒュッテに13:24到着。瓶ヶ森ヒュッテから北に少し行ったところの第1キャンプ場でテントを張る。瓶ヶ森ヒュッテでテント受付とビール購入(笑)をした際、記念スタンプを押印。
 早く行程を済ませ、テントもまばらな 第1キャンプ場でゆっくり休んでいた。翌5月5日は笹ヶ峰までの長いコースが待っている。18時に就寝して翌日に備えよう...と思っていたら、15時くらいだろうか、大学山岳部現役組とOB・OG混成的パーティーが到着。よりによって私のテントのすぐ横に設営。いやぁ〜な予感...。この嫌な予感は適中し、私が就寝しようとした18時に食事中でうるさいのは仕方ないとして、19時廻ってもペチャクチャ話している。そこで「20時には音、出さないでくれる」と、OBのようなひとにやんわりとお願いしたんだけど、なかなか静かにならない...。20時を過ぎても状況に変化がないので「寝られないんだけど...」とまたまたやんわりとお願い。ところがまたしても状況に変化がない...。21時が近くなっても翌朝の食事の準備かコッヘル(いまや、クッカー...ですか)をガチャガチャいわせてる。この時、瓶ヶ森ヒュッテの自家発電機の音が停まった。すなわち、ヒュッテ泊のひとたちは就寝したワケで、そんな時間になってもアイツらはうるさい!...とついにプッツン!した私、「うるさいと言ってるだろう、バカ野郎〜!!!」と怒鳴った。この大学山岳部現役組とOB・OG混成的パーティーのメンバーの女のコのひとりがこの日誕生日だったらしく、「誕生日パーティーをやろう!」とか言う声が漏れ聞こえていたが、誕生日パーティーなんかやられてたまるか!!! 出来ることなら私も怒鳴りたくなかったが、『誕生日パーティー』のせいで23時まで寝られないなんてじょーだんじゃない!
 結局、眠りに就いたのは22時くらいだろうか...。
 翌5月5日は3時起床。朝食を摂り、テントを撤収、テント札を瓶ヶ森ヒュッテに返却して5:04に出発。20分あまりで瓶ヶ森頂上(女山)に着いた。こんな時間でも瓶ケ森頂上では御来光を撮影のためカメラを構えたひとが数人居た。私と同じく第1キャンプ場に泊まっていたのか、瓶ヶ森ヒュッテの宿泊者か、はたまた大駐車場から今朝登って来たのだろうか? 前日、体力不足のため割愛した男山をピストンしても良かったが、この日の行程も長いので先を急ぐことにした。瓶ヶ森頂上からは緩くジグザグが切られた道を下る。途中ハシゴがあったが、あまり神経を使わずに隣の西黒森との鞍部に出た。ここでまた瓶ヶ森林道と接近するが、瓶ヶ森林道は西黒森の山腹で土砂崩れ。どー見ても車両は通行不能だ。鞍部から西黒森に登り返す。いきなり登山者とすれ違う。どうやら瓶ヶ森林道に車を停めて歩いているようだ。道は西黒森の頂上を通らずに南側を巻いていく。途中、西黒森頂上への分岐があったが、先を急ぐので割愛。西黒森頂上分岐の先で休憩。休憩地点から5分ばかりでまたもや瓶ヶ森林道に出た。ここには神鳴池があるが、『池』とは名ばかりで完全に干上がり水がない姿はチト哀れ...。神鳴池から今度は自念子ノ頭への登り返し。登山道と平行に走る瓶ヶ森林道がよく見渡せるが、林道脇に車を停めてテント泊してるひとがけっこう居る。自念子ノ頭も登山道は頂上を通っていない。頂上付近は笹原だからテキトーに踏み跡を拾っていけば自念子ノ頭頂上に着くハズだが、ここでも先を急いで頂上には行かず。自念子ノ頭からの下るとまたもや瓶ヶ森林道に出る。登山道は林道敷とヤブに隠れてるので200 m ほど林道を歩く。ベンチのある東黒森登山道入口に到着。ここで休憩。
 東黒森の登りにかかり、25分で東黒森頂上に到着。ここはちゃんと頂上を道が通ってる。東黒森から今度は伊予富士を目指す。東黒森から下り切ったところに瓶ヶ森林道へ下る道が別れている。そこには『水場→』との案内表示もある。こんなコースから大きく外れた水場にいちいち寄ってたら時間のロスなので、この日は3 kg の水を背負って瓶ヶ森ヒュッテを出発してるから、勿論、この水場案内は素通り。いよいよ伊予富士の登りだ。伊予富士頂上にひとが居るのが見える。やがて、伊予富士頂上に着いた。
 伊予富士頂上に居ると、これから私の下る桑瀬峠コースから中高年パーティーが登って来た。私がテント泊の重装備の荷物を持っているのを見て、その中高年パーティーの女性ひとりが興味津々。「今日はどこから来たの?」「今日はどこまで行くの?」「そもそもどこから入山したの?」「どこまで縦走するの?」といろいろ質問攻めに遭った。そこで、今回の山行計画...河口から今宮コースで二ノ鎖泊→石鎚山往復後、土小屋から瓶ヶ森→伊予富士、寒風山を経て笹ヶ峰→銅山越を経て東赤石山→下山...を話すとその女性、エラいウケていた。地元のひとでもそこまでするひとは少ないらしく、私の山行計画は一種『笑える計画』のようだ...。この中高年パーティーはこの日で下山するとのことで、余った食料...キャンディーや伊予柑...をこの先も気をつけて頑張ってとのエールと共に受け取った私、伊予富士頂上から桑瀬峠への下りにかかった。
 桑瀬峠に下り切ると、下の国道194号線から登って来たハイカー、家族連れがくつろいでいる。峠から寒風山への登りにかかり、10分ほど歩いたところで休憩。早速もらった伊予柑を食べる。私のすぐ上ではもうバテバテの中高年登山者が...。


寒風山頂上から見た笹ヶ峰

 休憩後、寒風山の頂上を目指す。一部急坂でロープがあるところもあった。11:20、寒風山頂上着。寒風山頂上には桑瀬峠経由で来た日帰りハイカーが大勢くつろいでいた。日照りもあって、この寒風山の登りが結構こたえた私、頂上で10分くらいうずくまっていた。休憩無しの1発で決めたのがマズかったようで、途中で休憩とっていれば問題なかったハズ。寒風山頂上では体調回復を待つため30分間の休憩。頂上を去り、この日最後のピーク・笹ヶ峰を目指す。桑瀬峠からのハイカーは殆ど寒風山とまりのようで、笹ヶ峰への縦走路は今まで歩いて来た道に比べるとヤブが濃い。もっとも、道が判らなくなるほどの酷いヤブではないが。寒風山の登りでコリたので、笹ヶ峰までは1発で決めず、途中休憩2回とって『刻んで』の行動。桑瀬峠からのハイカーは殆ど寒風山とまり...といっても、中には笹ヶ峰まで足をのばすひとも居て、そんなひとたちと10人あまりすれ違った。やがて丸山荘への分岐に出て、ここから5分で笹ヶ峰頂上に着いた。笹ヶ峰頂上からは瓶ヶ森から寒風山に至るまで、この日歩いた稜線がみんな見えた。ホントにこれ全部歩いて来たのかと思うくらい、もう瓶ヶ森ははるか彼方。登山者が大勢憩う笹ヶ峰頂上で記念写真など撮ったりしてくつろいでいると、幼稚園児くらいの女の子を連れたカップルにカメラのシャッターを切ってくれと頼まれた。このカメラ、私の『バカメラ』と全く同じ機種だったので、思わず苦笑い。


笹ヶ峰頂上より。真ン中が西黒森、その右が瓶ヶ森、その右奥が石鎚山。あんなとこから...

 笹ヶ峰頂上でも30分休んだ後、この日の宿泊地・丸山荘へ向けて下山。笹原の中を電光型にジグザグに切っていく道を下ると、いつの間にか樹林帯を行くようになる。やがて到着した赤屋根の丸山荘は100人くらい泊まれそうな立派な山小屋。その丸山荘の手前のキャンプ指定地にテントを張った。テントのなかでくつろいでいると、登山者が十数人くらい笹ヶ峰から下っていったが、みんな丸山荘には泊まらず下山したようで、大きなキャパの丸山荘の宿泊者はほんの数人。ゴールデン・ウィーク中だというのに...。テントだって私のほかには2張だけ。お蔭でこの日は誕生日パーティーなんかとは無縁な(笑)静かな夜を迎えられたが、こんなに宿泊者が少なくてこの営業小屋、維持できるんだろうか?
 5月6日は朝4:54に丸山荘前を出発。前日下った道を笹ヶ峰頂上まで登り返す。前日あれだけ登山者が居た笹ヶ峰頂上も朝6時前だと、人っ子ひとり居ない。笹ヶ峰頂上からちち山に向けて下る。ちち山との鞍部まで下り、そこからはちち山の南麓を緩く巻いていく。途中、ちち山頂上への分岐があった。ちち山頂上へのコースは見た目急傾斜で、登りよりも下りのほうが大変そうだ。この日も先を急ぐのでちち山頂上へは割愛。やがて、平家平方面との分岐のちち山別れに出る。ここから銅山越のコースに入ると、笹ヤブが深くなってくる。この笹ヤブのなかで休憩。再び笹ヤブ濃い道を歩くと、地形図上での・1470 m の西の鞍部から、この・1470 m ピークを巻くように道が付いている。巻き道入口から10分ほどで『キャンプ場』との標識が現れた。付近に沢もあるし、ここまで来てキャンプすればよかった!...と思ったが、寒風山でバテバテだった私に果たしてここまで来る体力があっただろうか? 巻き道ではところどころイヤラしいザレ場(ロープ有)が現れたりしたが、やがて主稜線と合流、送電線巡視路分岐などを経て、林道並の幅の道と交叉するところに出た。地形図上の大坂屋敷越のようだ。ここで休憩した後、縦走路に入ると『七番越』の標識がすぐに現れた。大坂屋敷越からはヤブもうるさくなく、手入れがされている。旧別子山別れ、桧山越を経てたどり着いた金剛越にはひとり登山者が休んでた。この日初めて人間の姿を見た私。この登山者、銅山越から来たと思っていたら、私の後から登って来るので大坂屋敷越から登って来たようだ。金剛越から急坂を登り、稜線をたどるとツクナリ山頂上(地形図上での・1466 m)に着いた。ここで休憩。西方を見遣るとこの日の出発点・笹ヶ峰はちち山や沓掛山の死角に入って見えない。東方を見遣ればこれから向かう西赤石山が見えた。


ツナクリ山頂上より、西赤石山

ツクナリ山頂上から西山のタワに降り、西山の登りにかかる。西山の頂上を素通りして下りにかかると目の前に広がるのは赤茶けた荒野。今は亡き別子銅山跡地だ。銅山の公害にやられ荒廃したこの地は必死に植生回復が謀られ、そのため登山道はヒモで囲われて植生回復中の植物が踏み付けられないようになっているが、この赤茶けた荒野を見てると、地雷か何かを踏まないように登山者のほうが保護されているような錯覚を覚える。赤茶けた荒野を過ぎると石垣がある銅山越。9:50着。ここでは新居浜側から登って来たひと、別子山村から登って来たひと...大勢の登山者が休憩していた。
 ここからは大勢の登山者とともに西赤石山への登り。ヤブが深そうな小足谷コース分岐を過ぎ、岩場の小ピークを過ぎたところで小休止。ここからなおも登ると11:20、西赤石山頂上に到達。入山してからずっと晴れの天気だったが、そろそろ天気も下り坂。だいぶ雲が多くなってきた。入山した日は瀬戸内海が見渡せたがそれももう無理だ。
 西赤石山頂上を11:50発。東赤石山への縦走路に入る。西赤石山と東赤石山を結んで歩くひとは少ないようで、また私ひとりだけの山歩きが始まった。30分ほどで物住頭に着いた。物住頭から雲原越に下り、めったに歩くひとがないという難コースの五郎津河又への道を分けると、いよいよ東赤石の岩稜の基部に出た。ここから岩峰の前赤石山を巻く道に入る。岩がゴロゴロしたところをサインを手がかりに行くと、尾根通しのコースと赤石山荘へのコースの分岐に出る。さっさと荷物を降ろしてラクになりたいので、ここでは赤石山荘コースを取る。分岐から10分ほどでひょっこり出たところが赤石山荘キャンプ指定地。13:12着。山荘はすぐそばに建っており、ここも100人は泊まれそうな大きな小屋。ただし、ゴールデン・ウィークにもかかわらず小屋は閉まってたし、キャンプ指定地にもテントは無し。
 キャンプ指定地にテントを張り、中でしばらく休む。2時間ほど休んだところで東赤石山へ空身で向かう。権現越への道を進むと下山中の老夫婦とすれ違った。この山は日帰りで登るひとが多いようで、時間も15時を廻っているわけだからこの先もう登山者の姿は無かった。途中の分岐から赤石越のコースに入ると、稜線に到達。ここが赤石越だ。赤石越から東側に尾根伝いにゆくと東赤石山頂上に着いた。三角点はもう少し東に進んだところにあったが、大きな岩と標識があるところのほうが頂上とするにふさわしい。それにしてもハラ減った...。この日もたくさん歩いたしなァ〜。東赤石山頂上から稜線沿いに八巻山をとおって、先ほど通った稜線コースと赤石山荘コース分岐まで縦走しようか...と思っていたが、あまりの空腹に縦走する気がすっかり失せてしまった。テントのなかでくつろいだ2時間の間に先に夕食を済ませておけばよかったんだろうけど...。来たコースをそのまま下って赤石山荘のテン場に戻った。赤石山荘のテン場には相変わらず私のテントしかない。1泊目の二ノ鎖ではテントを張る場所を捜すのに苦労したくらい。2泊目の瓶ヶ森ではバースデイ・パーティをやろうとする大学パーティが居て騒がしかった。3泊目の笹ヶ峰ではテントは3張で、4泊目の赤石山荘では、ついに、私だけだ...。
 赤石山荘の辺りからは東赤石山や八巻山が『万里の長城』のようにそびえたって見えていた。その『万里の長城』も18時を過ぎると急にガスに覆われ見えなくなった。天気が下り坂と天気予報は報じていたが、こうも早く影響があらわれるとは...。
 18時過ぎに寝たが、時折テントを叩く雨音で目が覚める。
 5月7日、朝3時起床。手早く朝食を済ませ、雨が降ってないうちに下山しようと、さっさとテントを撤収、4:41に赤石山荘キャンプ指定地をスタート。出来れば朝1番のバスを捕まえたい...というスケベ根性もあった。まだ薄暗くヘッドランプで足下を照らしながらの行動。赤石山荘から筏津(いかだつ)コースに入ると最初のうちは石がゴロゴロしていて歩きにくいが、やがてしっかりした道になる。沢を一度渡った頃から夜が明けてヘッドランプ不要に。もいちど瀬場谷を渡り、さらにもう1回対岸に渡ろうとするところに、赤石山荘コースと東赤石直登コースの分岐がある。ここで休憩。5:48。もう筏津で朝イチのバス捕獲は時間的にムリ。幸いまだ雨は降ってこないし、ゆっくり歩くことにする。途中、登りの登山者とすれ違う。「頂上は晴れてますか?」と訊かれたが、「ガスっててダメ」と正直に答えておいた。瀬場へのコースを分けてから15分ほどで筏津登山口にポ〜ンと出た。石鎚表登山口の河口からの長い山旅の終着点がここ。6:36着。筏津からの1番バスはほんの15分ほど前に出たばかり。2番バスが来るまで、トイレと水場が完備され、宿泊しようと思えば泊まれるくらい立派な筏津のバス待合室で時間をつぶしてバスを待つ。バスを待っていると車で来た登山者数人が東赤石に向け入山していった。何故か香川ナンバーばっか(笑)。8:23の川之江営業所ゆきのバスに乗り、伊予三島駅前で下車、伊予三島からは全部普通列車乗り継ぎで富山まで11時間半かけて戻って来た(笑)。こうしてゲップが出るほど山を満喫した私のゴールデン・ウィークは終わり。

【行動記録】2000年5月3日(火)〜5月7日(日) 4泊5日
5月3日(水)
河口バス停1132─1223今宮1233─1323//1333─1422十六番山伏王子社1432─
─1443成就スキー場1447─1451奥前神寺1507─1523成就1530─1617ためし鎖分岐
ためし鎖分岐1628─1652夜明峠1702─1723二ノ鎖キャンプ指定地

5月4日(木)
二ノ鎖キャンプ指定地630─710石鎚山頂(天狗岳)715─743二ノ鎖キャンプ指定地754─
─800水場807─908//918─923土小屋931─よさこい峠1017─1028//1038─
─1054伊吹山1105─シラサ峠1121─1145//1155─1220子持権現山北鞍部1250─
─駐車場1307─1324瓶ヶ森ヒュッテ

5月5日(金)
瓶ヶ森ヒュッテ504─528//538─西黒森分岐624─638//648─神鳴池655─
─745東黒森入口755─東黒森820─852伊予富士912─桑瀬峠1003─1012//1022─
─1110寒風山1140─1214//1224─1301//1311─1324笹ヶ峰1354─1424丸山荘

5月6日(土)
丸山荘454─547笹ヶ峰557─ちち山別れ640─657//707─キャンプ場730─
─馬道分れ743─753大坂屋敷越803─七番越805─902ツクナリ山912─西山936─
─950銅山越1000─1040//1050─1120西赤石山1150─1221物住頭1231─1312赤石山荘
赤石山荘1510─赤石越1532─1538東赤石山1608─赤石越1613─1631赤石山荘

5月7日(日)
赤石山荘441─548東赤石山直登コース分岐558─瀬場コース分岐620─筏津バス停636

【1:25,000地形図】石鎚山、瓶ヶ森、日ノ浦、別子銅山、弟地

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