2001.4.21〜22(前夜発、日帰り)
ウィーザーの大阪でのライヴを観た後、せっかくここら辺までクルマで出て来たんだからどこか登山をしておこう!...ってことで、この時期まだ残雪多い滋賀・福井・岐阜の三県にまたがる奥越・奥美濃の山域で、手軽に登れる山を捜した結果、白羽の矢が立ったのが、滋賀県・湖北の己高(こだかみ)山。
己高山は大昔は山岳宗教で大いに栄えたところらしいけど、今は山中に寺院は皆無で、かつてあった寺院の仏像などを保存してるのが山麓の己高(ここう)閣。その己高閣の駐車場にクルマを入れたのは4月22日(日)の6時頃。己高閣は湖北地域の観光スポットのひとつに数えられてるんだけど、朝早いため駐車場にクルマは皆無で、ホントにここにクルマを置いていいのか不安に思いつつも、己高閣の前をスタートしたのが6:37。最初は田んぼのなかの車道だったのがやがて植林帯の中の林道に変わる。何度か枝道を分け、途中水を汲んだりして林道を歩くと、『一合目』との標識のある己高山の登山口に到着。ここから傾斜のキツい登山道に入る。登山口から2分で『二合目』、さらに5分歩くともう『三合目』。このままじゃあ、あっという間に頂上だ...と思ってたら、『四合目』はなかなか来ない。送電線の鉄塔を過ぎてしばらく歩くとようやく『四合目』。『三合目』からは19分。この地元の高時小学校の児童たちが作った標識、合目の間隔いいかげんだな、どうも(笑)。その名のとおり6つのお地蔵さまが並ぶ六地蔵を7:33に通過。もう少し進んだ送電線の鉄塔のたもとで休憩。
再び歩き出すと、『馬止め』と『牛止め』が現れる。お馬さんはここまでしか登れませんでした...というのが『馬止め』、牛さんはお馬さんよりも登れましたがやはりここで力尽きました...というのが『牛止め』。ホントに馬や牛がここまで登ったかはかなり疑わしいけど(笑)。登り坂の傾斜が緩くなると、突然パッと開けた広場に出た。鶏足寺跡だ。かつてここには山岳宗教の本山があったワケだけど、いまやわずかに遺構を残すのみ。鶏足寺跡には細々と水が流れてる。これだけの水量で人間が生活出来ていたとは不思議だ...と思っていたら、鶏足寺跡からちょっと進んだところに豊富な水量の水場があった。これならこの鶏足寺跡で人間が暮らしていけても不思議はない。この水場からはコースがいくつか分岐してるけど、上のほうへ登ってく踏み跡を拾っていくと、ポッカリ尾根上の広い道に出た。ここから尾根道を登っていくとあっけなく己高山の頂上に到着。8:32着。己高山の頂上から東を眺めると、奥美濃の山々が見渡せる。一番目立つのはやっぱり伊吹山。琵琶湖の方向は木立が邪魔をしてる。この己高山の頂上でカップラーメンを作って食べて30分ほどくつろいでた。私の後から頂上まで登ってくる登山者は皆無だった。
9:02、己高山頂上発。あとは下るだけで、ホントはラクなハズだった。が、ここからが実は大変だった。今回の登山、松井志津子・編『名古屋から行く隠れた名山64』(七賢出版)で紹介されたコースをとるつもりだった。すなわち来た道(六地蔵コース)を戻るのではなく、己高山頂上から南の尾根を下って、高尾寺跡を経て元の己高閣に戻る回遊コースを行くつもりだったんだけど...。
鶏足寺跡からの道が合流した南尾根をぐんぐん下る。やがて指標が現れ、左側の踏み跡に入るように指示が出てたんだけど、あまりにもこの尾根道がいい道だったので、そのまま真っすぐ尾根を下ってしまった。...というか、自分の下ってる道が南向きの正しいルートと信じて疑わなかったため、そういう指標を見て「なんでそんな踏み跡程度の細い道行かなきゃならんのだ!」と、真っすぐ突っ切ってしまった...。立派な道は下っても続いたのだけど、やがて植林された杉の苗木を保護するロープが道をふさぐようになる。それでも最初の鉄塔までは難無く下れた。だけど、それから先は急に道が細くなり、沢のほうへ下っていくではないか! さすがにこれには「おかしい!」と思った私。よっぽどそのまま沢まで突っ切ろうかと思ったけど、「おかしい!と思ったら元の場所まで引き返せ」という登山の鉄則にのっとって、最初の鉄塔まで戻った。その時、ようやく気が付いた。「私の歩いてる尾根の東にもう一本尾根がある!!!」と...。コースどおり歩いてたら東側に西俣谷川が流れてるから、尾根は無いハズだ。それなのに尾根がある...。ということは、間違って一本西側の尾根...南西向きの尾根...に入ってたことになる。今まで「南向きに歩いてた」というのは全部「南西向きに歩いてた」ってことだ!!! 真実にようやく気がつき、脱力...。鉄塔のたもとで休憩。その場所からは琵琶湖の竹生島がよく見えていた...。
道を間違えてたという事実が判明してしまえば、こっちのもの。道を間違ったところまで戻るまでだ。下った支稜を登り返して、先の指標のところまで戻る。ここからは指標どおり、『横懸道』なる立派な名のついた東への踏み跡に入る。けっこうか細い踏み跡で、己高山の頂上まで戻ったほうがよかったかも?...と思い始めたころ、ようやく立派な道に出た。頂上ではまったく気付かなかったけど、頂上から南向きの尾根通しにここまで来る道があったみたいで、これが正規の登山ルート。ここからはラクな登山に戻り(笑)、あとは高尾寺跡を通って下るだけ。林道にひょっこり出てからはひたすら己高閣への指標を目当てに、飯福寺大門経由で己高閣を目指す。12:13、己高閣着。4時間で帰って来れる予定だったのに、6時間近くかかって元の己高閣に戻ってきた。ヤレヤレ...。出発時には私のクルマしかなかった己高閣の駐車場にはタクシーやマイカーが並んでて、高年層を中心とした観光客が大勢居た。
思い込みとは恐ろしい...。今回の登山はイイ勉強になったよ(苦笑)。今回の私の山行を「道に迷った」というひとが居るかもしれないけど、「道に迷った」とは「自分がどこに居るのか解らない状態」を指すんだと私は解釈してる。自分でちゃんと「道を間違えた」って解ったし、無事降りてこれたワケだから「道に迷った」わけじゃない! 「道を間違えた」だけだ...と、私は力説しておきたい(笑)。
【行動記録】2001年4月21日(土)〜4月22日(日) 前夜発、日帰り
4月22日(日)
己高閣637─登山口658─六地蔵733─739鉄塔749─鶏足寺跡819─832己高山頂上
己高山頂上902─959支稜の鉄塔1009─横懸道分岐1045─メインルート合流点1055─
─1103鉄塔1113─林道出1158─飯福寺大門1202─1213己高閣
【1:25,000地形図】 近江川合、虎御前山