大峰縦走(釈迦ヶ岳−吉野)

2001.5.3〜6(3泊4日)

 5月3日から始まるゴールデン・ウィーク後半の山の行き先として、次の2つ考えた。(1)雁峠から笠取山、雲取山を経て奥多摩駅(3泊4日)と、(2)前鬼から釈迦ヶ岳─弥山─山上ヶ岳を経て吉野(3泊4日)。(1)は首都圏に近いぶん登山者で混み合いそうなのがネック。(2)は吉野の山奥までバスに乗るので交通費がかさみそうなのがのがネックだったんだけど、結局、首都圏近郊の人混みを避けて(2)の大峰主脈縦走を選んだ。
 大峰山脈といえば、北は吉野山から南は熊野本宮に続く長大な山並み。今でも女人禁制を貫き徹す山上ヶ岳など、昔から修験者の修行場として知られてるところである。私が大峰山脈に今まで2度訪れたことがある。'93年に南の玉置山から釈迦ヶ岳まで北上(6泊7日)したのと、'95年の前鬼から釈迦ヶ岳─弥山─山上ヶ岳を経て吉野までの縦走(4泊5日) 今回は'95年の時と同じコースを3泊4日でたどることにした。'95年の時は雨にたたられ、1日間はテントに籠って雨をやり過ごしてたから、実質今回と同じ3泊4日だったんだけど。
 このコースのネックをもう一つというと、1日目に前鬼に泊まるためには、朝7時半までには京都に出なくちゃならない。となると、急行『きたぐに』を使わなくてはいけなくなるじゃないか! 
去年のゴールデン・ウィークですっかり急行『きたぐに』に懲りている私、あんなものにはもう乗りたくない!...っとことで、5月3日の朝0時台にクルマで富山を出発。眠気と闘いながらクルマを転がし、朝5時、『滋賀県内某所』に到着。『滋賀県内某所』の無料駐車場にクルマを置き、JR線で京都に出た。京都からは近鉄に乗り、橿原神宮前で吉野線に乗り換え、大峰と大台ヶ原の登山基地・大和上市駅で下車。前に来た'95年の頃と様変わりしていて、駅舎と駅前が一新されてる。駅前から定期のバスに乗るつもりが、登山者のために臨時便が出てたのでそれに乗る。臨時バスの中は登山者で満杯。私は立ちんぼを余儀無くされた...。バスは大和上市駅前から国道169号線を南下。かつては細い道が延々と続いた国道169号線も今や改良が進み、隔世の感がある。新伯母峯トンネルを越えたところにある和佐又入口のバス停でひとパーティー(4,5人)が降りたお蔭でようやく席に座れた私。和佐又入口からなおも国道169号線を南下。バスに揺られて100分ほど、ようやく前鬼バス停に到着。ここで登山者はみんな降りた。前鬼バス停横の食堂は今や廃業。このところの西日本の少雨傾向の影響で水位が低めの池原貯水池を右に見ながら林道前鬼線を延々と歩く。『本州製紙社有林』の看板がやたらと目につくけど、お〜い! 本州製紙は業界再編で数年前に王子製紙になってるんだゾ〜! こんな山奥の看板までは直してもらえない?(笑) 一旦休憩の後、そのまま林道前鬼線を歩くと、日本名瀑百選にも選ばれてる不動七重滝への遊歩道への降り道が分岐。さらに進むと不動七重滝が見えてきた。一度でもいいから滝を傍で見てみたいんだけど、この日は先を急ぐから割愛。13:27、林道の車止めに到着。ここから先は前鬼の関係者しかクルマでは入れない。車止め周辺には20台くらいのマイカーが駐まってる。車止めから先は、車道のほかに、前鬼への歩道があるのでそちらに入る。いきなり吊り橋で対岸に渡り、前鬼の歴史を感じさせる石畳上の道を歩いてゆく。今回の山行で2回目の使用になるおニュウの山靴に足が慣れず歩きづらい。途中休憩を挟んで14:09、古くからの修験者たちの宿・前鬼小仲坊に到着。小仲坊前の広場にテントを張り、この夜はここに宿泊。前鬼小仲坊には前回('95年)来た時に無かった真新しい建物が建っていた。トイレだ(笑)。小仲坊のひとに「自家発電の音がうるさいかもしれません」と言われたが、機械的リズミカルな音のほうがよく眠れる。どっかの無神経な山サークルの喋り声のほうがよっぽど睡眠妨害で、そのようなお喋りの雑音をかき消してくれる自家発電の音は、ある意味歓迎(笑)。前鬼小仲坊前の広場にはテントが10張以上張られていて、大繁盛(笑)。夕食後、夜7時前には就寝。

 翌5月4日はどこかの大学の山サークルの「起床!」との声に起こされた(笑)。朝3時。私も3時くらいには起きたいな...と思ってたので、渡りに船(笑)。朝食後、テント撤収して、朝5:09、前鬼小仲坊発。どこかの大学の山サークルはもう先に出発してる。前鬼の屋敷跡の傍を過ぎ、林のなかの登り坂を歩いていく。途中休憩してると、ひとりの登山者が「この坂エラいわ!」とあえぎながら登ってく。両童子岩と熊ノ水場を過ぎ、太古ノ辻から大峰縦走路に出て、主脈を北上。天気は晴れ。やがて大日岳の頂上への道の分岐点に出た。ここで休憩。荷物を置いて大日岳の頂上を目指す。大日岳というと一本モノの鎖をたよりによじ登る山だけど、ウロウロしてたらいつのまにか鎖を通らない踏み跡(下山用ルート)を拾い、アッケなく頂上に出てしまった。大日岳の頂上からはこれから目指す釈迦ヶ岳などが見えるハズだけど、私が大日岳の頂上に着いた時に限って東側からガスが上がってきて、景色は全くナシ...。大日岳辺りでは珍しい形のカメラを携えてヒョロっとした登山者がウロウロしてた...。元の分岐に戻り、荷物を担いで歩き出すと、すぐに深仙ノ宿に出た。お堂と避難小屋のある深仙ノ宿、水場もあって大峰縦走の重要ポイントのひとつ。前鬼林道の車止めのところにクルマを置いてるひとはほとんどみんな、1日目にここでテントを張って、翌日釈迦ヶ岳の頂上を往復してから下山、クルマを拾って帰宅...という日程で登山してる様子。水は前鬼からタップリ持ってきてるハズだから深仙ノ宿はそのまま通過、すぐに釈迦ヶ岳への登りにかかった。ら、私のすぐ後ろから中高年10人くらいの大所帯パーティーがついて来る。20 kg の荷物を担いでる私と、お弁当程度の荷物しかないパーティーとのペース差は歴然。途中パーティーに道を譲ったんだけど、「ここで休憩ですか?」とパーティーのリーダーに訊かれた私、「特急の通過待ちです」と答えたら、「僕たち、特急やなくて準急ですよ、準急(笑)」。こうして中高年パーティーを先に行かせ、マイペースで登り始めた私。途中休憩を挟み、なおも登り続けると、左から旭コースを合わせてすぐに標高1,799.6 m の釈迦ヶ岳頂上に到着。9:02。大峰山脈で一番展望が良いとされる釈迦ヶ岳頂上では多くの登山者がくつろいでいた。これから向かう仏経ヶ岳や弥山など見渡せたけど、東側の台高山脈は雲に隠れて見えず。


お釈迦様とのツー・ショット。釈迦ヶ岳頂上にて筆者。

 釈迦ヶ岳で25分の休憩後、さらに大峰主脈縦走路を北上。釈迦ヶ岳からの急な下り道では、道を見失ってヤブを必死にかき分ける登山者とすれ違う。「ここが登山道ですよ」と声をかけておいた(笑)。釈迦ヶ岳から孔雀岳の間、椽ノ鼻のあたりの石コロだらけの下り道で、足を滑らせ転倒! 左手首にスリ傷を負い流血!!! 簡単に止血したけど傷の出来た位置が悪い! まるで自殺未遂じゃん!(笑) この新しい山靴、底の効きが甘いなァ〜。すぐに滑るよ。特に右が! 転倒したせいかどうかは知らないけど、その釈迦ヶ岳の下りから徐々にペースが乱れ始め、釈迦ヶ岳頂上から47分で休憩。パイナップル缶を開けて食べる。ここでは25分も休む大休憩を取った。大休憩の後、行動開始。か細い水の流れの『烏ノ水』を過ぎ、仏生嶽あたりで休憩。さらに、倒壊した小屋の姿がわびしい楊子ヶ宿跡を過ぎ、地図記載のルートとは違って楊子ヶ森(・1,633 m、七面山分岐)を東側から巻いて舟ノ垰に着いた。まるで舟のなかにいるような凹地の舟ノ垰で休憩後、明星ヶ岳/仏経ヶ岳への登りにかかる。ここらあたりでもう歩き疲れでヘロヘロになってた私。どこかでテント張ってこの日はもう終わりにしたかったけど、水がもう残り少なくなってたからそれも出来ず、縦走路を北上。途中で休んでると、前鬼から太古ノ辻の登りでも出会った登山者とまた会う。彼が「もう仏経ヶ岳の辺りまで来てるんですよね?」と訊いてくるものだから、目の前の山塊を指差し、「あれが明星ヶ岳で、仏経ヶ岳はまだ先」と教えてあげると。「エエッ! (前鬼から弥山まで)7時間ってウソじゃねえかよ!」と吐き捨てながら先を急いで行った。途中、中高年パーティーとすれ違う。もう13時台だし、いったいどこまで行くかと訊くと「深仙ノ宿まで」という。「今からだったら遅くなるんじゃあないですか?」と訊くと、パーティーのひとりのオッサンが「さて、問題です。僕らは何時に深仙に着くでしょう?」とお気楽に訊き返してきたので、「今からだったら5時台ですな」と答えてあげた。そんな遅くに深仙に着いたら、(小屋泊まりにしてもテントにしても)イイ場所みんな取られてますよ...と説教じみたことを言ってしまった私だけど、こっちものんびりとしてられない。15時を廻ってようやく明星ヶ岳付近に到着。縦走路は明星ヶ岳の頂上は通らず、西側を巻いている。明星ヶ岳を巻き終わると、近畿の最高峰・仏経ヶ岳への緩い登り。標高1,900 m 付近だから道にも残雪が目立ってくる。15:24、仏経ヶ岳(別名、八剣山、八経ヶ岳)頂上に到着。弥山小屋から軽装でやってきた登山者が大勢陣取っている。この頃、雲が多くなっていて、見えるのは北隣の弥山くらいだ。弥山小屋の自家発電の音が聞こえてくる。30分の休憩ののち、最後の行動に移る。仏経ヶ岳頂上から古今ノ宿跡に下る。シカによる木々への食害を防ぐためネットが張られているため何度もゲートをくぐらされる。古今ノ宿跡で水が取れると聞いてたけど、それらしき水場は見当たらない。西側の沢の源頭まで下れば水があるのかもしれないけど、そんな体力がもう残ってないので弥山への最後の登りに取りかかる。16:18、弥山の頂上小屋に到着。小屋前にテント泊。
 弥山の小屋は増築してて、宿泊客も多い。何しろ3交代で夕食だ(笑)。弥山では、水1 litter \100。この水を2 litter 買う。私の山での食事はレトルト食品が多いんだけど、「レトルト温めるのに買った水使えるかッ!」ってことで、キャンプサイト脇の残雪を掘って溶かして使用。前に来た時('95年)は弥山で水の苦労した記憶はないんだけど、弥山小屋で渡されたキャンパーへの注意書きに『水は1人2リットルまで。以上は1リットル100円』と書かれてるうち『1人2リットルまで。以上は』の部分がマジックで塗りつぶされてたから、前来た時('95年)には水を2 litter、タダでもらってたんだろう(笑)。弥山での物価...ビール350 ml 缶が\650、ビスケット1箱\300、...これが高いと思うか安いと思うかはそのひとの価値観によって違うと思うけど、私の隣にテント張ってた高年登山者は「ビール350 ml 缶が\650 とはボッタクリ!」って言ってた(笑)。このテント泊の高年登山者は、明日から熊野本宮を目指して歩くらしい。「笠捨あたりまで行けますかねえ?」って訊かれたから、「ウ〜ン、行けて持経ノ宿か平治ノ宿まででしょう」と答えておいた。
 弥山小屋で水を2 litter買った後、さらに水1 litter買う。そしたら小屋のひとが水を入れ過ぎ、タダで 1 litterもらえた。ラッキー!
 弥山小屋の×××を××らせた犯人は、実は私です(笑)。小屋のひとに声かけようと思ったけど、きまり悪かったのでトンズラ〜...。夜7時頃就寝。

 5月5日は朝寝坊して、4時起き。朝食後テント撤収し、5:35、弥山小屋前発。大峰主脈をなおも北上。朝のうちは高曇り。ところどころ残雪の残る下り道を歩く。銅像の建つ聖宝ノ宿趾を過ぎ、弁天ノ森で休憩。朝から多くの登山者に会うな...と思ったら、弁天ノ森から15分で行者還トンネル西口への分岐に出る。すれ違った登山者の多くは、国道309号線の行者還トンネル西口にクルマを駐めてそこから登って来てるようだ。弥山までの最短コース。一ノ垰を越え、荒れ果ててもはや小屋としての用をなさない一ノ垰避難小屋を過ぎたところで休憩。さらに歩みを進め、行者還ノ宿を過ぎて、縦走路から少し離れた行者還岳頂上に8:49着。行者還岳頂上を去り、なおも山稜を北上していく。この頃から雲行きが怪しくなってくる。ガスが出るわ、時折雨がポツリポツリと落ちてくるわ...。景色というものとはほとんど無縁の山歩き。和佐又に下りようか?と思ったくらい。急な登りの連続で、狭い七曜岳頂上に出ると何故か西側だけがガスが切れていて、稲村ヶ岳とバリゴヤノ頭が見えた。


七曜岳頂上から見た稲村ヶ岳

 七曜岳の頂上からすぐに国見岳に出る。途中ハシゴの登りなどを経ながら大普賢岳を目指してると、途中、道端に登山者がひとり座り込んでいる。私に道を譲ってくれてるのか?と思ったけどそうではないようだ。聞けば「膝の靱帯を痛めて歩くどころか立てもしない」と言うではないか!!! 携帯電話は圏外で通話不能とのこと。私が山上ヶ岳まで行くと聞いて、その登山者「山上ヶ岳に着いたら救助隊を呼んでくれ!」と私にメモを渡した。私は「間違いなく山上ヶ岳でメモ渡すから」って約束してそのメモを預かった。それが11:00 のこと。こうして大切なメモを預かった私は、まるで『走れメロス』の心境(笑)でこの先の日程を消化することになった。大普賢岳頂上には11:43着。和佐又ヒュッテから大普賢岳まではファミリーでも気軽に登れるコースのようで、大普賢岳頂上も多くの登山者(犬連れも居る!)でにぎわってる。でも雲が多く、展望ナシ。見るものもないし、大事な用を任されてるため10分余で大普賢岳頂上を辞す。和佐又ヒュッテへの分岐を過ぎて山上ヶ岳を目指す。脇ノ宿跡を過ぎ、阿弥陀ヶ森の分岐に出る。ここは柏木へのルートの分岐点であり、これより先の山上ヶ岳方面は女性の立ち入りを禁ずる『女人結界』の門が立っている。


阿弥陀ヶ森(柏木コース分岐)の女人結界門。この先、女性の立ち入りはお断り〜♪

 途中、休憩を挟んで、小笹ノ宿に13:24、到着。お堂と避難小屋が建つ小笹ノ宿傍には沢が流れていて、水が豊富。一度泊まってみたい絶好のロケーション。この小笹ノ宿でインスタントラーメンを作って遅い昼食。救助を待つ彼には悪いけど、一度は此処でゆっくりしてみたかったのッ!(笑)。13:55、水を大量に補給して小笹ノ宿を出発。いよいよ山上ヶ岳の登りにかかる。前に来た時('95年)はここらでかなりヘバってたけど、今回は休憩が多いせいであまり苦しまずに14:37、山上ヶ岳に到着。山上ヶ岳頂上の大峰山寺の本堂に居るお坊さん(山伏?)たちに例のケガした登山者のことを連絡。実はちょっと...どころか、かなり...不安だったのである。「かつがれてやしないか?」と。もしも、登山救助隊が動いて件のケガ人が居なかったら...??? 救助隊の活動経費はみ〜んな通報者に請求書がいく。それも100万円単位のお金。登山者のなかにそんなシャレにならないギャグを仕掛けるヤツなど居やしないと思うけど、もしや???という不安が拭いきれなかった。だけど、このケガした登山者が前夜に山上ヶ岳の宿坊に泊まってたことが判明。実在する人物であることが分かった。正直言ってホッとした(苦笑)。靱帯を痛めた彼は他の登山者にもメモを託してたのだろう、和佐又ヒュッテに下山したひとからすでに遭難の連絡は当局に入ってた。遭難者の連絡に30分費やし、15:08、山上ヶ岳出発。お坊さんたちに「今夜はどこに泊まられますか?」と訊かれ、「五番関でテント泊」と答えると、「五番関から1時間先の百丁茶屋に毛布もあってタダで泊まれる立派な小屋があるよ」って勧めらたけど、時間的にキビしいからあくまでも五番関を目指す。鐘釣岩などの修行道は通らず、木の階段を気持ちよく降りていく。途中、陀羅尼助茶屋をくぐる。「だらにすけ茶屋」とは富山県人にはウケる名前(笑)。なおも行くと洞辻茶屋に着く。ここでビールを購入し、先を急ぐ。蛇腹の岩場などで時折キモを冷しながら、五番関に17:01着。五番関にも女人結界の門が立つ。ここから吉野側は女性の立ち入りはO.K.だけど、山上ヶ岳方面は女性は立ち入り禁止。予定どおり五番関でテント泊。五番関には水場が無いので、吉野方面にちょっと行けばある沢まで水汲みに行かなきゃならないんだけど、それが面倒だから小笹ノ宿で水を大量に汲んでここまで担いできたワケだ。夜、恐れてた雨が降る。が、ものの5分ほど降ってすぐに止んだ。まだ、国見岳と大普賢岳の間に動けずに居るハズのあの遭難者はこの雨、どう凌いだのだろう...?

 5月6日の最終日は、朝3:30起床。朝食後、荷物をまとめてると、外国人の修験者(!)が山上のほうからやってきて、吉野へ下って行った。5:20、五番関発。大峰主脈に沿って大天井ヶ岳を通るのもよかったけど、あまり翌日以降に疲れを持ち越したくなかったので、割愛。前回来た時('95年)に大天井ヶ岳にちゃんと登ってるし(笑)。山腹の巻き道を行く。天気は晴れ。この4日間一番の晴天。今さら...。五番関から5,6分で現れるハズの沢が見当たらない。五番関でテント泊する時、水場のアテにする沢なんだけど、ド派手な山崩れの跡があったから、さては、岩雪崩で沢が埋まってしまったのか? いずれにせよ、小笹ノ宿で水を汲んでおいたのは正解だったワケだ。水がちゃんと流れてる沢にたどり着くまで五番関から27分もかかったのだから...。1時間あまりで百丁茶屋跡に到着。大峰山寺のお坊さんが言っていた新しい小屋・二蔵宿も建っている。百丁茶屋跡から先しばらくは山道だったけど、突然、地図にも載ってない新設林道で登山道が寸断される。林道の『対岸』に四寸岩山への登山道が続いてるけど、四寸岩山を通らない道は林道に飲み込まれてしまったようだ。「工事中につき通行禁止」という札が林道にあったりして、仕方ないから四寸岩山への登山道に入る。登るつもりなかったのに...。ところが、四寸岩山への登りの途中、これまた新築されたばかりの山小屋・足摺ノ宿が現れ、ここから新茶屋跡へのルートが分かれてたから、こっちに入った。林業の作業道を割り振ったような道で途中、突然、木を全部伐採して丸裸になった斜面の真ン中を延々と歩かせられた。自然からもっとも掛け離れた光景。あまり見たく無いものを見せつけられたような気分...。伐採地を抜けて2分くらい歩くと、左側から登山道が合流してきた。この合流してきた登山道こそ、かつての登山ルート。いまや林道に呑まれて消えてしまった道の続き...。


無惨に伐採された山肌。このなかに登山道が新設されてる。環境破壊だ!!!

 新茶屋跡と五十丁茶屋跡を過ぎ、前に来た時('95年)と同じく青根ヶ峰の南側で林道に出た。青根ヶ峰には9:08着。後から登ってきた登山者が持ってるカメラ...どこかで見たゾ...?...と思ったら、大日岳で見たのでした(笑)。私と同じルートを歩いてきたことになるこの登山者に声を掛けた。この登山者は1泊目が前鬼、2泊目が一ノ垰、3泊目が百丁茶屋の手前...だったそう。2泊目が一ノ垰とは...弥山まででヒイヒイ言ってた私には信じられないンだけど(苦笑)。9:23、青根ヶ峰発。ここからはもう吉野山観光しに来てる観光客のエリア。この4月に一部火事で焼けたようで、公衆電話が無惨な姿をさらしてる金峯神社横を9:35に、通過。水分(みくまり)神社を9:54、通過。サクラが散ったばかり(あと2週間早ければ!!!)の上千本のカーヴを下り、竹林院に出ればもう100%観光客の領域(笑)。観光客だらけのなか、登山者の格好はちょっと肩身が狭いから自然と足も早くなる(笑)。10:41、近鉄吉野駅に到着。
 近鉄吉野駅からは行きと逆のルート...橿原神宮前、京都経由...で『滋賀県内の某所』(笑)に戻り、クルマで富山に帰還。
 いろいろハプニングがあって、体力的にもキツかったけど、山を満喫できました(笑)。 

【行動記録】2001年5月3日(木)〜5月6日(日) 3泊4日
5月3日(木)
前鬼口バス停1133─1234//1244─不動七重滝遊歩道分岐1247─前鬼登山道入口1327─
─1344//1354─1409前鬼小仲坊

5月4日(金)
前鬼小仲坊509─610//620─両童子岩628─太古ノ辻711─720大日岳分岐730─
─739大日岳頂上744─大日岳分岐751─深仙ノ宿807─835//845─旭コース分岐855─
─902釈迦ヶ岳頂上927─1014//1039─烏ノ水1107─1139//1149─楊子ヶ宿跡1220─
─1252舟ノ垰1302─1345//1355─1431//1442─1524仏経ヶ岳頂上1554─1618弥山小屋

5月5日(土)
弥山小屋535─聖宝ノ宿趾613─636弁天ノ森646─行者還トンネル西口分岐701─
─一ノ垰避難小屋723─746・1458 m 756―行者還ノ宿823―849行者還岳頂上904―
―955七曜岳頂上1005―国見岳頂上1024―1105//1115―1143大普賢岳頂上1154
―阿弥陀ヶ森1247―1254//1304―1324小笹ノ宿1355―1437山上ヶ岳1508―
―洞辻茶屋1548―1608//1618―1701五番関

5月6日(日)
五番関520─628百丁茶屋跡638―林道横断649―足摺ノ宿720―742//752―
―新茶屋跡804―林道出829―853//903―908青根ヶ峰頂上923―金峯神社935―
―水分神社954―竹林院1013―1041吉野駅

【1:25,000地形図】 池原、釈迦ヶ岳、弥山、洞川、新子、吉野山

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