上越国境・谷川連峰馬蹄形縦走

2002.9.21〜22(1泊2日)

 9月21日(土)〜23日(月)の秋分の日の3連休にどこか山へ出掛けようと考えて、向かった先が上越国境の谷川岳。本来、2泊3日の日程で北アルプスの槍ヶ岳─常念岳方面へ出掛けようとも思ってたんだけど、3日目の9月23日(月)の天気予報が悪かったので、急遽、1泊2日の日程での谷川連峰行きに変更。谷川連峰も、谷川岳から2泊3日の日程で三国峠まで歩き通してみたい気もしたが、今年の夏に『FUJI ROCK FESTIVAL '02』がらみで平標山に行ったため、1年に二度同じ山に行くのもなんなので、以前からの懸案だった、土合駅から谷川岳、蓬峠、清水峠、朝日岳、笠ヶ岳、白毛門を経て、元の土合駅に戻る一周コース、俗に言う谷川連峰の『馬蹄形縦走』を試みた。
 谷川岳には1990年の7月に一度行ってる。当時は、土樽駅から茂倉新道経由の1泊2日の日程で谷川岳の頂上に立った。梅雨時で雨が降ってたため、頂上には自分しか居なかった。今回は土樽駅にクルマを駐車し、JR上越線の列車にひと駅ぶん乗車、土合駅から山旅を始めることにした。
 早朝1時に富山をクルマで出発。土樽駅には5時過ぎに到着。6:41発の水上ゆき普通列車の時間までクルマの中で仮眠。土樽駅から列車に乗って清水トンネルを抜けて下車した土合駅は呆れるほど多くの登山者が「駅寝」...。もう朝なので起きて朝食の準備しながらお喋りに花を咲かせる中高年登山者たち。彼らが「反則」なのは、土合駅に来るのにJRではなく、自分たちのクルマを乗り付けてること。土合駅は避難小屋でも簡易宿泊所でもないよ!
 土合駅から国道291号線を歩く。谷川岳名物?の遭難者の慰霊碑の横を過ぎ、ロープウェイ乗り場の土合口駅を過ぎ、西黒尾根の登山口に到着。ここで、クルマで移動する途中『セブンイレブン』で買った弁当を食べるため休憩。谷川岳に登るひとの多くはロープウェイ使うと思うけど、まだまだ私には『ヤマ屋の端くれ』としての意地が残ってる。標高差1,200 m ある西黒尾根を登る。登り始めるとすぐに水が湧き出るところを過ぎる。ひと登りで、JR東日本の送電線の鉄塔の脇に到達。すぐ上空をヘリコプターが飛んでて鬱陶しい(谷川岳肩ノ小屋の増築工事の資材上げ用?)。最初は殆ど樹林帯の中を歩く。登山口から1時間登ったところで休憩。谷川岳登るひとはみんなロープウェイ使うかと思ってたら、意外なほどこの西黒尾根を登るひとが多い。谷川岳は西黒尾根経由でも日帰りで登れる山だから、これらの登山者はみんな軽装で、テント一式を含む1泊2日分の装備を持ってた私は後ろから登って来た登山者にどんどん抜かれていくのであった。あはは。ってことで、みんなのペースが早いのでどうしてもオーヴァーペースになりがち。そのオーヴァーペースを修正するため次の休憩は早めに取得。さっそく白桃缶を開ける。再び歩き出すと、樹林帯を抜けて岩尾根に出る。左手に谷川岳ロープウェイの天神平駅が見えて、もうこっちのほうが高度が高くなってることが分かる。ってことは、天神平駅の建つ標高1,320 m よりは登ってるってこと。ラクダノ背(・1,516 m)を越えたところで休憩。この日の天気は快晴で、秋とはいえ陽が照ると、暑い。岩尾根だから直射日光を遮るものもない。暑いし、急登だし...で、いつも私はワン・ピッチ1時間で歩いてるけど、ここはワン・ピッチ30分で歩く。休憩を終えて歩き出すとすぐに巖剛新道合流点のラクダノコル(ガレ沢ノコル)を過ぎる。ここからはひたすら頂上を目指しての岩尾根の登り。頂上が見えるのが何とも恨めしい(苦笑)。廻りの山を見渡し、標高1,720 m の白毛門と並ぶくらい自分の位置が高くなった。時間は11時。ここらで長い休憩を取ってると、頂上を踏み終わって西黒尾根を降りてくる登山者が増えて来た。ここからひと登りでロープウェイからの登山道と合流する肩ノ広場にたどり着いた。肩ノ広場から10分足らずの登りで標高1,963 mの谷川岳頂上(トマノ耳)に、11:51到着。トマノ耳は呆れるくらい多くの登山者が居る。幼稚園児くらいの小さな女のコ連れた家族連れも居たくらいで、殆どがロープウェイ使った登山者のよう。最盛期の北アルプスでもこんなに登山者は居ない(苦笑)。頂上の標識とのツーショット写真を撮る順番待ちの列が出来てたほどだから、混雑ぶりを推して知るべし!(苦笑)


谷川岳頂上(トマノ耳)にて、筆者

 トマノ耳でミカン缶を開けた後、オキノ耳へ向かう。オキノ耳のほうが標高が高い(1,977 m)のはロープウェイからの登山者のみなさんにはどーでもいいらしく(笑)、こちらのほうが幾らか混雑ぶりは少ない。オキノ耳でも記念撮影を済ませた後、縦走路を北に向かう。縦走路に入り、浅間神社奥ノ院を過ぎるとめっきり人影まばらになった(笑)。途中、ノゾキを過ぎる。一ノ倉沢側を覗くと、クライマーの聖地である険悪な一ノ倉沢が望めるようだけど、西黒尾根の登りでヘロヘロになってる私は悪場を覗きもしないで一目散に一ノ倉岳へ向かう。谷川岳―一ノ倉岳間の最低鞍部へと下ったところで休憩。この日の予定では蓬峠まで行ってテント泊のつもりだったけど、どうも今の体調では蓬峠までは苦しい。この調子なら茂倉小屋までだろう。同じく鞍部で休んで居た単独行者に「今日はどこまで行かれますか?」と訊いたところ、「行けるところまで」という返事。「茂倉岳から蓬峠まで3時間かかるそうですよ。茂倉小屋で今日は終わりにします」と言って、一ノ倉岳へ向かった私。中芝新道の合流点で、12年前と同じくカマボコ型の避難小屋が建つ一ノ倉岳の頂上で休んでいると、先の単独行者が登って来て「僕も茂倉岳までにしようかな」。この後も男女1人ずつのパーティーも登って来て、彼らも茂倉小屋で泊ると言う。だけど、14時台になっても、蓬峠へ向かうひとも居たケド。一ノ倉岳から茂倉岳の間は草原を歩くかのような穏やかな歩き。山は黄色く色付いてる。


茂倉岳頂上から見た谷川岳

 茂倉岳からは茂倉新道に入り、茂倉小屋に到着。この日はここで宿泊。担いできたテント一式は全くムダな荷物になった。近年改築したようで、小屋は私が前に泊った12年前とは違ってた。小屋のなかは、外国人女性を含む大パーティーも居たりして結構にぎやか。小屋から1分のところにある水場で水を確保。涸れることもあると言われてて、心配だったけど、ちゃんと水が流れていて安心。小屋に着いたらあまりの疲労のため2時間くらい昼寝。暗くなった6時頃に沢登り/岩登りっぽい夫婦登山者?が小屋にやってきて、顰蹙買って???た。
 テント泊だと、何時に起きても問題ないけど、小屋だとあまり早く起きると顰蹙なので朝起きる時間も気を使う。一度目を覚ましたけど、小屋の中はみんな寝静まっているので遠慮してまた寝たら、5時起きになってしまいました...。結局、朝食を済ませて茂倉小屋を出たのは、6:12。もっと早く小屋を出たひとも居たケド。10分余の登りで茂倉岳頂上に着く。事前の天気予報ではこの天気は曇。そのとおり朝から全天雲に覆われ、いつ雨が降ってもおかしくない雰囲気。事前の予定だとこの日は、蓬峠から清水峠を経て朝日岳、笠ヶ岳、白毛門を歩くハズだったけど、前日歩けなかった茂倉岳─蓬峠間も加わる長い行程になる。天気がアヤしいようなら、クルマを土樽駅に置いてあることだし、蓬峠から土樽に下りることもアタマにあった。茂倉岳から笹平へ。笹平付近で休憩した後、武能岳へ。武能岳の頂上で茂倉小屋で一緒だった2人組とお話。彼らは蓬峠から土合へ下りるとのこと。高曇りで、意外に雨は降りそうで降らない。湯檜曾川を挟んで対岸の朝日岳、笠ヶ岳、白毛門の稜線がよく見える。武能岳から蓬峠へ下る。前に大源太山から歩いた時に見たとおり、黄色い小屋の蓬ヒュッテの脇を過ぎる。結局、蓬峠から土樽に降りなかったのは、この空ならなんとか天気は持ちそう...と判断したから。蓬峠から七ッ小屋山への登りにかかり、木道のところで休憩してると、蓬峠から土合へ下りたハズの2人がカラ身でやって来た。七ッ小屋山をピストンしてから帰るとのこと。どうせここまで来るなら、清水峠まで歩いてから土合に降りればよかったのに(苦笑)。七ッ小屋山の頂上に着くと、先の彼ら2人の他、大学生くらいの単独行者が居て、これから大源太山をピストンして来る...という。「今日は笠ヶ岳の避難小屋に泊る」という彼を七ッ小屋山の頂上に残し、清水峠へ下りる。清水峠到着は10時半。


上越国境・清水峠。背景は七ッ小屋山方面

 清水峠にはバカデカいJR東日本の送電線監視所と、小さい避難小屋がある。その小さい避難小屋のほうの清水峠白崩避難小屋に入り、ラーメン作ってると、七ッ小屋山頂上で「大源太山をピストンしてくる」と言ってた彼が入って来た。「あれ? 大源太山ピストンするんじゃなかったの?」って訊くと、「時間がかかりそうだからヤメた」とのこと(苦笑)。この清水峠は、この先予定通り進むか、それとも土合に下山してしまうかのファイナル・アンサーを要求される場所である。この先進むと、もう簡単なエスケープ・ルートは無い。天気のこともありかなり迷った。彼も、このまま朝日岳に登るかどうかかなり迷ってた(苦笑)。笠ヶ岳避難小屋に泊まるのはイイけど、翌日は雨の可能性が高いのだから。私には「笠ヶ岳避難小屋宿泊」という選択肢すらない。何故なら「この日のうちに下山する」と家族に言ってあるので、この日のうちに下山しないと遭難騒ぎが起ります(苦笑)。最大の失敗は登山ガイドブックを忘れて来たこと。自分がこの先、どれだけの距離を歩かなきゃいけないかは地形図で分かるけど、何時間歩かなきゃいけないかの目安が無いのは、ツラい。ちなみに、もし地形図も忘れて来たら...??? この時点で登山は中止!!! 
 清水峠白崩避難小屋から出る時、小屋に残った彼に「これから土合に下りる」と言っておきながら、結局朝日岳に登った私(笑)。17時55分土合発の列車を捕まえるためには、残された行動時間はあと6時間足らず。朝日岳まで2時間、笠ヶ岳まで1時間、白毛門まで1時間、土合までの下山に2時間、合計6時間という時間ヨミをして、時間までに下山出来る自信が(なんだかんだ言って)あったから。もし、時間までに下山できなくても、20時台の最終列車に乗ればいいだけ(ちなみに、水上─越後中里間の定期普通列車は1日5往復のみ)。「清水峠から朝日岳まで3時間かかる」というガイドブックもあるけど、清水峠と朝日岳の標高差を考えると2時間かからないハズだから、自信を持って(笑)朝日岳の登りにかかる。1時間の登りで向うに見える七ッ小屋山以上の高さまで来たところで、休憩。「意外に朝日岳は近いじゃん!」と思ってたらここからが長く、巻機山へのヤブ道が分かれるジャンクションピークまで30分弱、さらに木道が敷設してある朝日ヶ原の湿原帯を行き、宝川温泉への道の分岐を越え、朝日岳頂上までは10分あまりかかった。


朝日ヶ原の湿原と池塘

 この頃になるとさすがにガスって来て、湯檜曾川を挟んで対岸(すなわち、今日歩いて来たところ)の七ッ小屋山や武能岳は隠れ、これから進む笠ヶ岳方面も隠れて来た。宝川温泉への道の分岐では水を汲む中高年カップルの姿も見たし、朝日岳頂上でも2人くらい登山者が休んでた。しかし、朝日岳から先に進むと、ほんとに人影が途絶える。烏帽子岳(本によっては「大烏帽子岳」と表記される・1,934 m)を越え、あまり泊りたくない感じ(苦笑)のカマボコ型の笠ヶ岳避難小屋を過ぎ、笠ヶ岳頂上まで53分。さらに、笠ヶ岳から異様にアップダウンの激しい稜線を44分歩いて白毛門頂上へ。朝日岳から白毛門までの2時間弱はホントに誰にも会わない山歩き。白毛門の頂上で休んでいると、下から沢登り装備のファミリー登山者が登って来た。2時間ぶりに見た人間(笑)。白毛門頂上は険悪な一ノ倉沢の岩場がよく見えるスポットで有名だけど、ガスってて何も見えない(苦笑)。
 白毛門頂上からは急な下り。途中、サルの群れから歓迎を受けました(笑)。・1,154 mあたりで一度休憩し、なおも下ると谷川岳ロープウェイ土合口駅が流してる音楽が少しずつ大きく聞こえてくようになる。勿論、湯檜曾川と東黒沢の流れの音も。で、17:06、登山口に無事下りた。登山口から東黒沢をコンクリートの橋で渡ると、すぐに国道291号に出て、17:19に土合駅に戻る。
前回の白馬岳登山もそうだったけど、帰りに利用する乗り物の発車時間に追われたせわしない登山。時間を気にするあまり落ち着いて歩くことが出来なかった。ホントはこういう登山はダメなんだけど...。土合駅は前日の朝がウソのようにがら〜んと閑散としていて、ひと1人居ない。駅前広場にたくさん駐まってたクルマも消えている...。家に下山報告をしようと思ったら、駅には公衆電話が無い...。その代わり、ケータイの電波はMAXだったケド...。
 土合駅からは、有名な下りホーム(笑)へ降り(アレは、もの凄く無気味だ!)、土樽駅へひと駅分乗車で戻る。新清水トンネル抜けたらすでに日が沈み真っ暗で、今まで降りそうで降らなかった雨がようやく降り始めてた。土樽駅前に駐めてたクルマで富山へ帰宅。

【行動記録】2002年9月21日(土)〜22日(日) 1泊2日
9月21日(土)
土合駅655─谷川岳ロープウェイ土合口駅前716─722西黒尾根登山口737─送電塔759─
─837//848─918//933─ラクダノ背1001─1004//1014─巖剛新道合流点1015─
─1044//1104─肩ノ広場1143─1151谷川岳頂上(トマノ耳)1224─
─1237谷川岳頂上(オキノ耳)1252─1327//1347─1409一ノ倉岳頂上1429─
─1448茂倉岳頂上1503─1513茂倉小屋

9月22日(日)
茂倉小屋612─茂倉岳頂上625─笹平710─712//722─752武能岳頂上819─
─蓬ヒュッテ849─919木道929─944七ツ小屋山頂上954─1031清水峠白崩避難小屋
清水峠白崩避難小屋1109─1209//1219─ジャンクションピーク1246─宝川温泉分岐1258─
─1301朝日岳頂上1312─烏帽子岳1342─笠ヶ岳避難小屋1405─1407笠ヶ岳頂上1417─
─1501白毛門頂上1512─松ノ木沢ノ頭1544─1614//1624─笠ヶ岳朝日岳登山口1706─
─1719土合駅

【1:25,000地形図】 水上、茂倉岳

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