魚沼・金城山...2003.8.16〜17(1泊2日)

 

 お盆休みに、新潟県南魚沼郡六日町・塩沢町の境にある金城山を登ってきた。皆さん御存知のとおり、今年(2003年)の夏は雨の日が多く、冴えない天気が続いて『冷夏』と呼ばれる異常気象。お盆休みも、北アルプスの雲ノ平や高天原を考えてたんだけど、雨続きの悪天に断念。お盆休み後半(8月16日〜17日)も、天気予報によると、北陸では「8月16日は晴れで、8月17日は雨」って言ってたけど、これが長野県中部以南になると「8月16日は曇りで、8月17日は雨」と冴えないことを言ってる。ってことで、雨を避けようとすると、出掛ける先は「北ア北部または上信越の山で、8月16日のうちに頂上に登って、8月17日は雨が降り出す前には下りてこれるところ」に限定される。その条件にハマった山が金城山だったワケ。
 本来なら、標高1,400 m に満たない金城山は、8月の暑い盛りに登る山ではない(苦笑)。1994年の8月に、JR浦佐駅から歩いて(谷を挟んで金城山の北隣にある)八海山に登ったことがあったけど、JR浦佐駅から八海山登山口の大崎まで炎天下のなか歩いたのが災いして暑さでヘロヘロになり、1日の行程を2日間かけて歩いたことがあったくらい(苦笑)。だけど、今年の夏はもう秋を思わせる天気だし、暑さでヘロヘロになることはないだろう...と高を括って出掛けたワケだが...。
 8月16日(土)の朝8時頃にクルマで富山を出発。国道8号線─国道253号線経由で六日町に出る。ここから大月トンネル経由で、金城山の滝入コースおよび水無コースの登山口(一合目)に着いたのは午後1時。登山口には3台くらいクルマを駐めるスペースがあったけどすべて先客で埋まってたので、適当な空き地にクルマを入れる。「沢コースと尾根コースがある場合は、沢コースは登りに、尾根コースは下りに使え」という登山の鉄則に従い、何の迷いも無く滝入コースを選択。すぐに沢が現れ、鉄橋で向こう岸(左岸)に渡って沢沿いの道を行く。歩き始めて10分もしないうちに、汗がダラダラ流れて止まらなくなる。前回の粟ヶ岳登山から数えると8週間ぶりの登山。このブランクの間、クーラーの効いた部屋でアイスコーヒーばかりガブ飲みしてたせいで、体内が水分過剰な状態にあったんだろう。タオルで拭っても拭っても、汗が滝のように流れ出てくる。完全にこちらのここ最近の不摂生のせい。2合目「大滝」で早くも休憩。10分休んだ後歩き出す。2合目ですぐ沢の右岸に渡り返し、なおも沢沿いの道を行く。状況は変わらず、まだまだ汗が滝のように流れ出てくる。完全に水バテ。いくら『冷夏』といえども、陽差しは8月のそれだ。陽が照りつけると、暑い〜!!! さらに、よせばいいのに、小屋泊まりの予定なのに、テント一式込みのフル装備+『iBook』持ってたので、荷物も重い。三合目でもうヘロヘロ。よっぽど登山を中止して引き返そうかと思った。けど、このヘロヘロの状態で今登ってきた沢コースを下ると遭難リスクが大きそうなので(マジで!!!)、後には引けなかった。なにしろ、ここまでの間、斜面を切り開いただけの足元が不安定な箇所もあったし、そういうところでコケたりすると、沢へまっさかさまだからね。とりあえず、三合目で長い休憩をとる。乱れた体内リズムを整えるためだ。あと、水は極力飲まないようにして、体内に残る余分な水分を抜くようにした。水は口のなかを潤す程度のみ。このようにしたら、いつもの調子を取り戻してきた。長年山やってると、どうすりゃいいか対処法が分かる。
 四合目を過ぎた辺りで沢から離れ、五合目の長峯で尾根上に出る。ここから大月コース合流点(六合目)のある主稜線までは急な登り。六合目の手前で休憩。ここまで、二合目、三合目...と休憩をとってたけど、六合目の手前まで休憩とらずに来れたことからも、いくらかいつものペースを取り戻してたことが分かるだろう。ここでの休憩でも水断ちは継続。口のなかを潤す程度のみ。
 大月コース合流点のある六合目からは、主稜線に沿って歩く。七合目を過ぎて、雲洞(うんと)コースとの合流点に出た。ここで休憩。ガイドブックによると、八合目に当る場所だ。ここでようやく水を「解禁」。雲洞コース合流点から少し行くと、「八合目」を示す標識が...。あれ?
 ここら辺りでこの日初めて登山者とすれ違う。2人組の中年登山者だ。この山の性格上、滝入コース→水無コース...というふうに一方通行的に周回するのが一般的なため、登山者とすれ違うことは、稀。なおも歩くと、水が流れる音が聞こえてくるようになる。やがて、水場分岐に出る。ここに重い荷物を置いて、水場へ向かう。粘土質の滑り易い急坂を下ると、4分で豊富な水量を誇る沢に出た。ここで水を汲んだ後、元の水場分岐に戻る。ガイドブックによると、この水場分岐周辺は兎平と呼ばれ、九合目に当る場所だ。ここからまた重い荷物を担ぎ、なおも頂上に向けて歩くと、また「九合目」を示す標識が...。あれ?
 私がこの日の登山のお伴にしたガイドブックは『関越道の山88』(打田エイ一・著、白山書房・刊、1998年)と『アルペンガイド 3 上信越の山』(山と渓谷社・刊、1994年)の2冊なんだけど、八合目と九合目に関するガイドブックの記述と、現状が違う。可能性としては、ここ数年のうちに八合目と九合目の場所を移動させたことも考えられる。
 一時は「頂上到達はムリか?」と危ぶまれてたけど、18:07、無事に金城山登山道頂上に到着。二合目や三合目あたりを歩いてた時のヘロヘロ具合を考えると、こうして頂上に立ってることじたい信じられない(苦笑)。金城山のホントの頂上(1,369 m)は冴えない場所なので、岩峰を登りつめたところを「登山道頂上」として頂上扱いにしてるようだ。この時間だから、日帰り登山者中心の金城山登山道頂上には誰も居ない。頂上からは、八海山や中ノ岳、巻機山などがよく見えた。これから向かう、金城山避難小屋も(苦笑)。


金城山登山道頂上からみた巻機山

 18:27、金城山登山道頂上を出発。この日の宿泊場所・金城山避難小屋へ向かう。岩峰の下りの鎖場で、鎖が足に絡まって宙ぶらりんになったりしながらも(苦笑)、18:40に金城山避難小屋に到着。私の登山歴のなかでも稀にみる遅い到着になった(笑)。無人小屋だし、日帰り中心の金城山でわざわざ小屋泊まりするひとも居ないだろうし、小屋には誰も居ないのが分ってたからね。遅く着いても、それを咎める小屋のオヤジも居ないし(苦笑)。そして、予想どおり、小屋には誰も居なかった。集落に近い里山だからケータイの電波拾えるかと思ったら、圏外。『iBook』持ってきた意味全くなし...。麓の集落の盆踊り祭の音が聞こえてたくらいだから、ケータイの電波、届いてもいいのになぁ...(苦笑)。
 この日の登山は、ふだんの不摂生が祟って水バテで苦しんだけど、その一方、ふだんの不摂生(喰い過ぎ)のお蔭で、全然腹が空かなかった。よっぽど血糖値が高かったんだろう(苦笑)。晩飯らしい晩飯も喰わずに、すぐに就寝。


金城山避難小屋からみた金城山の岩峰部分

 翌8月17日(日)は、朝5:31に金城山避難小屋を出発。この日の天気予報は雨で、本格的に雨が降り出す前に下山しなきゃ。避難小屋からすぐに金城山の最高地点(1,369 m)に出る。池があってジメジメして展望も良くない。あまり長居したくない場所。ここを頂上扱いしないのがよく分かる(苦笑)。金城山最高地点からは、水無コースを下る。越後の山には豪雪で磨かれたヤセ尾根を持つ山が多いけど、此所はモロにそれ。コース踏み外したら谷底へまっ逆さま...みたいなまったく気の抜けない下りが延々と続く。特に七合目から六合目の間にある鎖場は難所で、私みたいに無用な重い荷物を持つものには足場の確保すら難しく、鎖場の下の草付きを必死にしがみついてなんとかクリア。六合目に出たところで休憩。さらに数ヶ所、鎖場のある急な下りがあった。自分の行く先がハッキリ見える展望の良いヤセ尾根は歩くぶんには気持ち良いが、神経を使う。三合目で休憩した後、なおもヤセ尾根を下ると、二合目へ。ここがヤセ尾根から離れるポイントで、ここから沢に向かって急な下り。沢に下り切ると、緩い道になり、いつしか前日自分がクルマ駐めた場所に戻ってた...と(笑)。地獄から一気に天国に舞い戻った気分(笑)。ちょうどこの頃から雨粒がポツポツと落ちてき始め、30分後には本降りになっていた。雨が本格的に降り出す前に下山...という予定どおりの行動(笑)。駐車場(一合目)からは、5時間のドライヴで富山に帰宅。
 今回の山行、無事に頂上踏んで帰って来れたけど、野球に例えたら「8失点での完投勝利」だな(苦笑)。

【行動記録】2003年8月16日(土)〜8月17日(日) 1泊2日
8月16日(土)
一合目(駐車場)1314─1337二合目(大滝)1347─1412三合目1442─五合目(長峯)1523─
─1540//1600─六合目(大月コース分岐)1607─1634雲洞コース分岐1654─
─1716水場分岐(兎平)1734─1807金城山登山道頂上1827─1840金城山避難小屋

8月17日(日)
金城山避難小屋531─626六合目636─722三合目738─808一合目(駐車場)

【1:25,000地形図】六日町

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