10月5日に川崎・クラブチッタでのファウンテインズ・オブ・ウェインのライヴを観に行ったんだけど、せっかく東京に列車利用で出るんだから、ついでにどこかの山に登ろう...ということで、白羽の矢を立てたのが上州武尊(ほたか)山。上州武尊山には1992年11月に一度登頂したことがある。その時には、上の原→手小屋沢→沖武尊→武尊牧場→武尊口...と、武尊山を西から東へと横断した。その後1995年11月に、武尊橋バス停から武尊神社を経由して沖武尊まで登ろうとしたけど、あいにくの雪で、途中断念。その時以来、8年ぶりの武尊山挑戦になる。今回は、8年前に断念した武尊神社から沖武尊のルートを通って、剣ヶ峰を通って元の武尊神社に戻る回遊コースを計画してた。
富山からJR(と、ほくほく線)の普通列車乗り継ぎで、湯檜曾駅に降り立ったのは、10:29。水上駅まで列車に乗らずに湯檜曾駅で降りるのがミソ(笑)。だって、水上駅から武尊橋方面への宝川温泉または湯ノ小屋温泉ゆきのバスはみんな湯檜曾駅近くを通るんだもん(笑)。湯檜曾駅から水上駅の電車運賃と、水上駅前からゆびそ入口までのバス運賃が勿体無い(「ケチ」って呼ぶなぁぁぁ〜!!!)。今や水上―越後中里間を走る定期普通列車は5往復のみ(私が乗って来たのは、臨時列車の8728M)。当然、湯檜曾駅は無人..と思ってたら、駅員が居てビックリ!!! で、湯檜曾駅から湯檜曾川に架かる橋を渡り、ゆびそ入口バス停までは7分の歩き。10分ほど待つと、上毛高原駅発水上駅経由の湯ノ小屋温泉ゆきバスがやって来たので、これに乗車。15分ほどバスに揺られ、武尊橋バス停で下車。ここから武尊神社へ向かって車道を延々と歩く。武尊橋バス停で降りたのは私だけ。今や武尊山に登ろうとする者はみんなマイカーだもんなぁ...。さらに、武尊神社のそばに名瀑・裏見ノ滝があるものだから、一般の観光客も多い。そういった登山者/観光客のクルマが私の横を容赦なくどんどん通り抜けていく。クルマが私の横を通り過ぎた後、ピタリと停まった。「裏見ノ滝はどこですか?」と、私に道を訊ねてくる。私が道を教えてあげると、「どうも」などと礼を言って過ぎ去るクルマ...。裏見ノ滝まで便乗させてもらえることを期待した私はバカですか?(苦笑) やがて宝台樹キャンプ場に到着。宝台樹キャンプ場には多くのテントが設営されたまま。しかも、千葉あたりの高校の山岳部の名前が入ってたりする。やべぇ〜、高校の山岳部の合宿もしくは山岳競技の大会でもやってるゾ、こりゃあ。張りっ放しになってるテントの数からすると、相当の高校生が入山してる...そう思いながらなおも車道を歩くと、宝台樹キャンプ場管理棟から4分ほどで、自然花苑前に着いた。1995年にここに来た時にはそんな施設は無かった記憶が...。野草を観察出来る自然花苑まで、武尊橋バス停からちょうど1時間。ここで休憩してオレンジを食べる。さらに、武尊神社に向かって歩く。この辺りまでは陽が射してたけど、どんどん雲が多くなってきた。20分ほどで多くのクルマが駐まる裏見ノ滝の駐車場、さらに武尊神社に到着。武尊神社は由緒ある社のワリには、小さい。武尊神社で舗装路は途切れ林道になるけど、クルマ止めはなく、林道の奥までクルマで入れるようだ。砂利道の林道を歩いてると、向こうから高校生のパーティーがやってくる。この手の高校生のパーティーとはこの後、十何組とすれ違った。20分余の歩きで林道終点の駐車スペースに到着。1995年の時は、ここまで来て雪のため断念したハズだ。駐車スペースには10台くらいのクルマが駐まってた。ここからは、いよいよ登山道の歩き。沢に沿った幅の広い道を往くと、剣ヶ峰コースと手小屋沢避難小屋へのルートの分岐点に着く。ここで休憩。この日は、もう二度と山には持って来ないハズだった『iBook』を持って来ており(苦笑)、荷物がメチャクチャ重い!!! 荷物を少しでも軽くするため、パイナップル缶とミカン缶を1つずつ、合計2つの缶詰を一気に空ける。缶詰を2つも喰ってるうちに先ほどから雲行きが怪しかった空から、雨粒が降り始めた...。
この日の天気予報では、「晴れ時々曇り」と言ってたハズで、雨のアの字も予報には無かった。だから、この雨は俄雨ですぐに止むだろう...と高を括って、手小屋沢避難小屋への登山道に入る。手小屋沢避難小屋への登山道に入った途端、すぐに沢を横断。何度か沢を渡った後、木の根や岩が多く歩きにくい登山道を延々と歩く。缶詰を2つも空けたばかりでお腹がいっぱいで苦しく、ペースも落ち気味。俄雨と思ってた雨は、止むどころかますます勢いを増し、本降りに。こんなに雨が降ると分かってたら、宝台樹キャンプ場まで戻ってテント泊にすりゃあ良かったよ...と思っても、後の祭。雨を避けるなら、手小屋沢避難小屋まで登るのが一番近い。頂上を踏んだ帰りとおぼしき登山者たちと何十名とすれ違う。「これからどこに泊まるんですか?」などと訊かれたので、「手小屋沢避難小屋です」と答えると、みんな納得。分岐から手小屋沢避難小屋まで1時間の登りの予定だったけど、雨で道が滑り易くなってるのと、食べ過ぎでお腹いっぱいなのとで、1時間じゃ着かなかった。大きな木の下で休憩を取った後、5分も登ると、ひょっこり尾根上に出た。ここで上の原からのコースと合流。沖武尊のほうに向かって歩いてると、左側を流れる手小屋沢のそばに、1992年に来た時に見たのと同じ銀色の避難小屋が見えた。ようやく着いたーーー。避難小屋への分岐から2分ばかり下り、15:11、ようやく手小屋沢避難小屋に転がり込む。避難小屋には雨を避けるため多くの登山者がカンヅメ...と思ってたら、誰ひとり居ない。扉を閉めると中が真っ暗になるこの小屋、雨漏りがしてるぅぅぅ〜!!! 仕方が無いので、小屋のなかにテントを張った(苦笑)。これで安眠出来る。1992年に上の原コースからここに来た時は、この狭い避難小屋に先客が居たので小屋の前にテント泊した。今回も小屋の前にテントを張るつもりだったけど、雨に濡れながら設営すんのがイヤで小屋のなかに泊まった。だけど、結局はまたもテントのお世話になったな(苦笑)。
雨に降られてすっかり武尊神社→手小屋沢避難小屋→沖武尊→剣ヶ峰→武尊神社の回遊コースを歩く気が失せた私は、小屋のなかのテントのなかで(笑)寝袋にくるまりながら「明日の朝5時に雨が止んでたら、空身で沖武尊を往復しよう」と計画変更してたけど、翌10月5日の3:20に起きたら、まだ雨が降っていた...。そして、5時になっても雨は止まない...。今回の旅の目的のメインはあくまでも川崎でのファウンテインズ・オブ・ウェインのライヴなので、ライヴに間に合うように下山しなきいけない。それを考えるとこれ以上雨を止むのは待てない。沖武尊の空身ピストンも断念。雨が止むのを待って下山することにした。来た道の武尊神社からの道は傾斜が急で歩きにくい上に雨で滑り易くなってるし、林道終点までクルマで乗り付けるハイカーたちとすれ違うのもムカツくので、帰りは登山者が少ない上の原コースへと下りることにする。雨が止んだのは、7時。小屋のなかのテントを撤収し、荷物をまとめて小屋を出たのは、7:38。案の定というか、どんどん天気が回復してくる...。目にも鮮やかに映る紅葉を見ながらの下山。武尊神社からの道とは違い、上の原コースを歩くひとは稀で、すれ違った登山者はわずか3名。名倉ノオキから先の沢沿いの道は(傾斜は緩いけど)滑り易く、足を滑らせて派手にコケたお蔭で、右ひじを切って、流血。オフロード車なら走れそうなくらい道が緩く幅広くなると、やがて大幽沢分岐(洞窟分岐)を経て、9:36、上の原登山口に出た。ここからは車道歩き。武尊神社側と違い、こちらは走るクルマも少ない。シーズンオフのためゴーストタウンのような佇まいをみせる宝台樹スキー場のロッジ前で休憩。車道をぐんぐん下るとひょっこり上の原入口バス停に10:28に着いた。バス停で30分ほどの待ち時間で、水上駅経由上毛高原駅ゆきのバスが到着、これに乗る。バスの中には大きい荷物抱えたどこかの大学山岳部のパーティーが10人ほど乗ってた。尾瀬から湯ノ小屋温泉への縦走でもしたのか? もしくは、上越国境の縦走した後、宝川温泉に下りたのか? 帰りはゆびそ入口では降ずに、ちゃんと水上駅まで乗車(笑)。湯檜曾駅に行っても1時間待たないと列車が無いし...(苦笑)。
ということで、雪に降られた1995年11月に続いて、武尊山で敗退です(苦笑)。ファウンテインズ・オブ・ウェインのライヴ観に行くための時間的縛りがなかったら、ちゃんと頂上踏めたんだけどねぇ...(苦笑)。
ファウンテインズ・オブ・ウェインのライヴ観た後、急行『能登』で、翌10月6日早朝に富山に戻りました。
【行動記録】2003年10月4日(土)〜10月6日(月) 1泊2日、車内1泊
10月4日(土)
湯檜曾駅1031─1038ゆびそ入口1048=1104武尊橋1106─宝台樹キャンプ場1202─
─1206自然花苑1221─武尊神社1242─林道終点(駐車場)1307─1320剣ヶ峰コース分岐
剣ヶ峰コース分岐1350─1450//1500─上の原コース分岐1505─1511手小屋沢避難小屋
10月5日(日)
手小屋沢避難小屋738─上の原コース分岐743─名倉ノオキ805─838//848─
─大幽沢分岐(洞窟分岐)920─武尊山登山口936─上の原山荘939─948宝台樹スキー場
宝台樹スキー場958─1028上の原入口1054=1130水上駅
【1:25,000地形図】水上、藤原湖、藤原