天野月子のライヴを観に名古屋まで出たついで...と言ってはなんだけど、中央アルプスの支稜上にある南木曽岳に登って来た。
11月1日の天野月子の名古屋でのライヴが終わった後、国道19号線をクルマで移動。途中の路側帯で仮眠をとり、翌11月2日にさらに国道19号線を北上して、信州・南木曽町の桃介橋北の駐車帯にクルマを入れる。桃介橋は「電力王」と呼ばれた福沢桃介が架けたつり橋で、文化遺産にもなっている。駐車帯にクルマを置いて、JR南木曽駅へ向けて出発。南木曽岳には、1992年に一度登頂したことがあって、この時には、上の原コースから登って蘭(あららぎ)コースを下りた。今回も同じように上の原コースを登るつもりだったけど、駅のきっぷ売り場に置いてある交通新聞社の『時刻表』で帰りのバスダイヤを調べるために、JR南木曽駅にちょっと寄ってみた。駅に着いたのが8:15、そして駅備え付けの交通新聞社の『時刻表』みたら、南木曽岳蘭コースの登山口の尾越へ向かうJR南木曽駅発保神ゆきのバスの発車が8:15。上手い具合にドンピシャ! そうだ、保神ゆきのバスに乗ろう!...と慌てて駅横のバス乗り場に移動したら、バスはまだ発車前。このバスに乗り込み、15分ほどのバスに揺られて、尾越で降りた。...という経緯で、当初の予定と全く逆の、蘭コース→頂上→上の原コースを歩くことに...(苦笑)。
尾越バス停から南木曽岳に向けて歩き出す。国道256号線を横断し、蘭キャンプ場のほうへ向かって林道を歩く。蘭コースはクルマで奥まで入れるため、多くの登山者のクルマが脇を通り過ぎてゆく。尾越から30分あまりの歩きで、蘭キャンプ場の管理棟や山荘あらゝぎの横を過ぎ、さらに10分ほど歩くと、駐車場と南木曽岳山麓避難小屋が現れる。世間がオウムで揺れていた1995年にこの避難小屋にクルマで乗り付けて避難小屋のなかで寝てたら、夜中にパトロールのお巡りさんに叩き起こされたことがある。「遭難者を出さないためのパトロール」とお巡りさんは話してたが、オウムの手配犯が潜伏してないかどうかの確かめるためのパトロールとしか思えなかった(苦笑)。そんな想い出深い(爆笑〜!!!)南木曽岳山麓避難小屋の脇には、クルマ止めがあり、さらに南木曽岳への近道となる自然観察のための遊歩道が分岐。こちらの遊歩道に入ると、すぐに
あずまや
が現れる。遊歩道は林道のカーブ部分をショートカットする役割に過ぎず、結局はまた林道に出てそのまま川沿いの林道を行くと、『蘭1時間┬南木曽岳1時間50分』なる標識が現れた。この標識の裏側を覗き込むと踏み跡があったからこちらの道に入ると、すぐに朽ちかけた木橋で沢を渡る。ここで尾越から1時間経ったから、休憩。ここの流れで水筒を満たすとなおも踏み跡の続きを往く。この踏み跡、林道が奥まで伸びる前までの南木曽岳登山道の遺構に違いない!と踏んで歩いてたんだけど、奥に進むにつれ踏み跡が分からなくなった。辺りでは他の登山者が何回も「オーーーイ!」と、誰かを呼んでいる。自分の仲間に対しての呼び声だと思うけど、まさか私に対しての「何でオマエはそんなとこ、歩いてんの?」って呼び掛け...ってことは...ないよね???(苦笑)。
「迷った時には、位置の分かる場所まで戻れ!」という登山の鉄則に則って元の『蘭1時間┬南木曽岳1時間50分』の標識まで戻る。昔の踏み跡へ入ったばっかりに約20分のタイム・ロス。『蘭1時間┬南木曽岳1時間50分』標識から林道を往くと、立派な看板のある南木曽岳登山口に到着。最初から素直に林道往ってりゃあいいものを...(苦笑)。
南木曽岳の蘭コースは、途中から道が二手に分かれ、片方は上り専用、もう片方は下り専用...と、一方通行規制が敷かれてる。ま、見張りが居るわけじゃないので、一方通行が徹底されてるワケではなく、現に私が上りコース歩いてたら、下って来たオバサン登山者が居たケド(苦笑)。下り用ルートの分岐を過ぎ、なおも登山道を往く。沢型地形のなかの道だから意外にルートファインディングに神経を使う。喉ノ滝を過ぎると、道はどんどん沢を離れ、傾斜を増してゆく。途中で一旦休憩した後、なおも登り続けると、鎖場に到着。中高年パーティーのオバサンたちが恐がりながらこの鎖場を通過してたけど、この鎖場には仰々しいまでに立派な作りの木の階段による迂回路がある。オバサンたち、何も無理して鎖場に挑戦する必要、無かったのになぁ〜(苦笑)。私はもちろん、迂回路使わずに鎖場を通りましたが。南木曽岳登山道に唯一の難関?の鎖場から20分ほど登ると、登山者たちの話し声や「ヤッホー!」という叫び声などが聞こえ始め、やがて標高1,679
m
の南木曽岳の頂上にひょっこり出た。南木曽岳の頂上は木々に囲まれた展望のないところで、休む登山者も、稀。何故なら、もっと展望のよい場所があるからだ。後から何パーティーかが頂上まで登ってきたけど、みんなもっと展望のよい場所を求めて移動してった(笑)。誰も休憩してくれない...という、なんとも不遇極まりない頂上...(苦笑)。
この不人気な頂上でパイン缶空けたりして15分休憩してから、展望地へ向けて移動。2分で南木曽嶽大明神の石碑に到着。木曽川方面が開けたこちらで休憩する登山者が数名。さらに道を進む。南木曽岳の頂上は起伏が少なく、道が入り組んでおり、さらにはササ原なので、ガスに巻かれたら方向を見失いそうだ。やがて頂上避難小屋に到着。1992年に来た時は、小屋の中は土間だったんだけど、今はしっかりとした木張りの床になっている。11年前はこの避難小屋、まだ建築途中だったのか??? この避難小屋から目と鼻の先に多くの登山者が集う展望地がある。この展望地からは中央アルプスがよく見えた。主峰の木曽駒ヶ岳や宝剣岳には、まだ雪が見えない。
下りは上の原コースに入る。頂上...じゃなくて(笑)、展望地には多くの登山者でにぎわっていたというのに、上の原コースに入った途端、静かな山歩きに。歩くひとが少な過ぎるせいで、笹ヤブがうるさい。ヒザまで、場所によっては腰まで笹が伸びてる。この笹ヤブをかき分けて、登山道を捜しながらの下り。時折、倒木とかが笹ヤブに隠れてたりして歩きにくい。こんな道でも登りに使うひとが居るみたいで(って、オマエもそのつもりだったんじゃねぇか!...って言われそうだ...笑)、数パーティーとすれ違って、ビックリ!!! でも、歩くひとは蘭コースの10分ノ1以下だろう。笹ヤブの道を延々と下ると、やがて広葉樹帯に入る。紅葉が目に鮮やかだ。鉄塔のそばを2回過ぎると麓は近く、下の(2本目の)鉄塔の脇を過ぎてから10分ほどで上の原コースの登山口に出た。フツウの民家の庭先を通るので、ここを歩く登山者はみんな番犬に吠えられること必至(苦笑)。登山口からは、南木曽駅のほうへ向かって歩く。読書(よみかき)小学校の石段の前を過ぎて中央線の踏み切りを渡り、国道19号線のほうへ下りていくと、そこは桃介橋とクルマ置いてる駐車帯の中間地点。自分のクルマに戻り、あとは富山に戻るだけ。だけど、この日の国道41号線は高山市内から富山県細入村楡原南までもの凄い渋滞が起こってて、みごとにこの渋滞にハマってしまった...。
最後の楡原南の信号機が原因の渋滞を除いては(苦笑)順調で、ラクに歩けた山旅でした。
【行動記録】2003年11月1日(土)〜11月2日(日) 前夜発、日帰り
11月2日(土)
国道19号線桃介橋北駐車帯807─815南木曽駅815=832尾越バス停836─
―南木曽蘭キャンプ場管理棟908─山荘あらゝぎ910─南木曽岳麓避難小屋927―
―あずまや932―旧登山道入口938─939//949─951//957─引き返し決断1000─
─旧登山道入口1007─登山道入口1009─下山道合流点1025─喉ノ滝1038─1050//1100─
─鎖場1118―1145南木曽岳頂上1210─南木曽嶽大明神1212─1222展望地1227─
─・966 m 1322─1328//1338─上の鉄塔1416─下の鉄塔1421─
─上の原コース登山口1433─読書小学校石段前1445─1454国道19号線桃介橋北駐車帯
【1:25,000地形図】三留野、兀岳、南木曽岳