JASRACがうるさいので、歌詞と訳詞は省略させていただきます。

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2004年12月(第51回)...メタリカ“ダイ、ダイ・マイ・ダーリン”(“Die, Die My Darling”)より
アルバム『ガレージ・インク』(『Garage Inc.』)収録...1998年作
オリジナルは、ミスフィッツ
アルバム『EARTH A.D.』収録...1984年作
【コメント】
 メタリカが1998年にリリースした2枚組カヴァー・アルバム『ガレージ・インク』に収録されているミスフィッツのカヴァー。私は、このアルバムを聴くまでこの曲の存在は知らなかったし、ミスフィッツのことさえも、「ダンジクのグレン・ダンジクが昔居たバンド」という認識しかありませんでした(苦笑)。このカヴァーを聴いてようやく「“Die, Die My Darling”のミスフィッツ」という認識に変わりました。
 ということで、このメタリカの“Die, Die My Darling”、けっこう気に入ってるんだけど、熱心なメタリカ・マニアの間では、シングル・ジャケットでのメンバー白タキシード・ポーズ集合写真のせいで評判は散々...なのかな?、もしかして...(苦笑)。


2004年11月(第50回)...森高千里“見て”より
アルバム『見て』収録...1988年作
【コメント】
 11月といえば、大学の学園祭シーズンたけなわですが、私の大学時代の学園祭の想い出といえば、それは森高千里です(爆笑〜!!!)。1988年の11月に信州大学松本キャンパスで行われた『銀嶺祭』の「雪まちコンサート」に森高千里がやってきたんですねー。といっても、今も昔も女性アイドルに疎い(笑)私は森高千里が何者かも知らず、その「雪まちコンサート」の森高千里の公演も見てないんだけど、「ウチの大学の学園祭に来た森高千里とは何者ぞ?」と興味を持ってしまい、その直後にリリースされた3彼女の3rdアルバムを買ってしまいました。んで、それを聴いたら...ドハマリしてしまいました(爆笑〜!!!)。もし、'88年に森高がウチの大学に来なかったら、私は未だに森高のことを知らずに居たかもしれません!(笑)


2004年10月(第49回)...フーターズ“朝までダンス”(“And We Danced”)より
アルバム『眠れぬ夜』(『Nervous Night』)収録...1985年作
【コメント】
 フーターズというと、日本では後に日本語ヴァージョンまでリリースされ(てしまっ)た“Johnny B.”のイメージが強く、この曲が収録された2ndの『ワン・ウェイ・ホーム』が彼らの最盛期のように受け取られがちだけど、フーターズの最盛期はやっぱ1st『眠れぬ夜』でしょう。全米チャートを駆け抜けるようにランク・アップした(そして、だいたい20位くらいで失速...苦笑)この曲や“Day By Day”のチャート・アクションは、当時、全米チャート・マニアの高校1年生だった私にはとても鮮烈な印象として残ってます。特に、この“And We Danced”がだ〜〜〜い好きでした。
 フーターズは、最近めっきりニュースを聞かなくなりましたが、メイン・ソングライターだったロブ・ハイマンとエリック・バジリアンの名前はソングライター・チームとして時折出て来ます。この2人の書いた曲は過去にもこのコーナーで取り上げてますね(笑)。この2人が書いた曲で一番有名なのは、シンディ・ローパーの“Time After Time”なんだろうなぁ〜〜〜(苦笑)。


2004年9月(第48回)...フィオナ・アップル“クリミナル”(“Criminal”)より
アルバム『TIDAL』(『Tidal』)収録...1996年作
【コメント】
 フィオナ・アップルのデビュー・アルバム『TIDAL』に収録されている曲。このアルバムが出た1996年、彼女は19歳。「19歳の天才シンガー/ソングライター」という触れ込みでデビューしたフィオナだったけど、当時彼女に注目してたひとは少なかった。というのは、1995年のアラニス・モリセットの『ジャグド・リトル・ピル』の大ブレイク以降、それこそ雨後のタケノコのように次から次から女性シンガーがデビューし、殆どの聴き手が女性シンガーに食傷気味だったから(苦笑)。私はフィオナ・アップルのデビュー・アルバム『TIDAL』を日本盤リリース直後の'96年9月に購入しちゃんとチェックを入れてるので、『自腹を切ってフィオナのデビュー作を聴いた日本で最初の100人だ!』...と私は勝手に自慢してるが(笑)、そう言いたくなるほど当時の音楽メディアのフィオナの扱いは小さかった。その後フィオナが全米でブレイクしてくにつれ日本でも話題になり、2nd『真実』のリリース時(1999年)には「要注目アーティスト」として脚光を浴びるようになった。そんなフィオナも、ここ数年音沙汰が無いものだから、日本の音楽メディアにおける扱いはすっかり1996年のデビュー当時の状態に戻ってる(苦笑)。
 このデビュー・アルバム『TIDAL』で聴けるのは、とっても大人びたジャズィーなサウンド。当時は、シャーディのサウンドとよく比較したもんです(苦笑)。


2004年8月(第47回)...ブライアン・アダムス“想い出のサマー”(“Summer Of '69”)より
アルバム『レックレス』(『Reckless』)収録...1984年作
【コメント】
 1984年にリリースされたブライアン・アダムスの大ヒット・アルバム『レックレス』収録の曲。私は1969年の夏生まれなので、この曲が大好きです(笑)。
 ところで...1959年11月5日生まれのブライアン・アダムスがこの曲のタイトルにこ内容の歌詞を書くってのは...ホントはおかしくないですか? 1969年当時まだ10歳の彼がギターを弾き始めるのはともかくとして、バンド仲間の「
ジョディが結婚した」とか、初々しいラヴ・ストーリーとか、そこらへんのあたりがミョーに不自然です。どうしてでしょうねぇ...?(苦笑)


2004年7月(第46回)...ラッシュ“キッス・チェイス”(“Kiss Chase”)より
アルバム『スプリット』(『Split』)収録...1994年作
【コメント】
 1994年にリリースされたラッシュの2枚目のアルバム(編集盤『ガラ』を含むと3枚目)『スプリット』に収録されている曲。ラッシュというと、ミキちゃんとエマちゃんの2人の看板娘を擁したバンドだったけど、そんな彼女たちが『スプリット』というアルバムを出したものだから、勝手に『ストリップ』と勘違いしてウハウハしてた男性ファンが居たとか居ないとか...(苦笑)。
 この曲“キス・チェイス”は後にアコースティック・ヴァージョンがシングルBサイドとしてリリースされましたが、私はこちらのアコースティック・ヴァージョンのほうが好きかな(笑)。


2004年6月(第45回)...クィーンズライチ“夢の光線”(“I Dream In Infrared”)より
アルバム『炎の伝説』(『Rage For Order』)収録...1986年作
【コメント】
 シアトル出身のプログレッシヴ・ハードロック・バンド、クィーンズライチが1986年にリリースした2ndフル・アルバムに収録されている曲。
 私がクィーンズライチを熱心に聴いてたのは、3rdアルバム『オペレーション・マインドクライム』が「大傑作!」と話題になり、その余勢で4th『エンパイア』が大ヒットを記録した1989〜1991年のこと。そもそもクィーンズライチを聴いたのは、RUSHの『パワー・ウィンドウズ』と『ホールド・ユア・ファイアー』のプロデュースを手掛けたピーター・コリンズが『オペレーション・マインドクライム』と『エンパイア』の2枚をプロデュースしてたからだけど(笑)、過去のアルバムも遡って聴いてみたら、デビュー・ミニ・アルバム『クィーンズライチ』と1st『ザ・ウォーニング』はイマイチ印象が薄かったものの、この2nd『炎の伝説』は近未来的な味付けのサウンドが面白くて気に入った。そんな2ndを代表するバラードがこの曲。このアルバムをよく聴いてた1991年、私は「この曲の良さが分からないヤツは生きてる価値無し。人間やめてしまえ!」と思ったほど入れ込んでました(笑)。今では勿論、そこまで危険なことは決して口にはしませんよ(笑)。
 このアルバムの頃、ヴォーカルのジェフ・テイトは髪型/ルックスから「ウルトラマン」と呼ばれてました(笑)。


2004年5月(第44回)...シンディ・ローパー“グーニーズはグッド・イナフ”(“The Goonies 'R' Good Enough”)より...1985年作
【コメント】
 1984年にデビュー・アルバム『N.Y.ダンステリア』(『シーズ・ソー・アンユージュラル』)の大ヒットにより、一躍人気スターの仲間入りを果たし、その年の『グラミー賞』の最優秀新人賞も獲得したシンディ・ローパーが、その勢いをもって1985年の春にリリースしたのが、スティーヴン・スピルバーグ』監督作品の映画『グーニーズ』の主題歌“グーニーズはグッド・イナフ”。この曲は当時のシンディの勢いに乗って『Billboard』の『HOT100』で最高10位を記録。
 この曲は去年、ミサイルガールスクートがリリースしたラスト・アルバム『MISSILE GIRL SCOOT』でカヴァーされており、
彼女たちの解散ライヴでも演奏されたのが凄く印象に残ってます。♪oh, maybe you're out of place〜ってところが、特に。
 シンディにとってはこの曲は「恥部」なのか???、1994年にリリースされた『グレイテスト・ヒッツ』に何故か、未収録。シンディ主演の映画『バイブズ』のテーマ曲だった“Hole In My Heart”も未収録だし...。シンディにとっては、映画は鬼門?
 ちなみに、『The Essential Cyndi Lauper』(2003年)などの各種コンピには収録されてるので、「“グーニーズはグッド・イナフ”を聴きたい!」というかたは、それらのコンピをお買い求め下さい(笑)。


2004年4月(第43回)...R. E. M.“ルージング・マイ・レリジョン”(“Losing My Religion”)より
アルバム『アウト・オブ・タイム』(『Out Of Time』)収録...1991年作
【コメント】
 1991年の春にリリースされたR.E.M.の7枚目のアルバム『アウト・オブ・タイム』からの第1弾シングル曲。前作『グリーン』から、メジャーの『Warner Bros.』に移籍して『カレッジ・チャート村』を抜け出し、上り調子の頃のR. E. M.を象徴する頃の作品で、ようやく日本でも音楽誌の表紙を飾るようなメジャー・アーティストとして認知されるようになってきました。
 1991年といえば、ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』がリリースされ、オルタナ・エクスプロージョンの年に相当しますが、インディーで長く活動し、支持を受けていたR. E. M.のメジャー化は、その後のニルヴァーナなどが大衆の支持を獲る土台づくりになってたのかな?...と思ったりもします。
 関係ないけど、この曲のイントロと、アニメ『一休さん』のエンディング・テーマの♪母上さま〜お元気ですか〜...のところがソックリ!...と、'91年当時から話題になってました(笑)。


2004年3月(第42回)...メアリー・ルー・ロード“ヒズ・レイメスト・フレイム”(“His Lamest Flame”)より
アルバム『ノー・シャドウ』(『Got No Shadow』)収録...1998年作
【コメント】
 ギター1本をお供にし、世界各国を演奏して廻ったという経歴の持ち主の女性シンガー/ソングライター、メアリー・ルー・ロードの1998年のメジャー・リリース・アルバム『ノー・シャドウ』の1曲目に収録されている曲。
 メアリー・ルー・ロードは「故・カート・コバーンの元・恋人」としても知られてて、そういう情報をアタマに置きながらこの歌詞を改めて読むと、なかなか意味深なのに気付きます(苦笑)。そういや2004年の3月で、カートが逝って丸10年かぁ...(と、遠い目になる)。


2004年2月(第41回)...ジャーニー“セパレイト・ウェイズ”(“Separate Ways (Worlds Apart)”)より
アルバム『フロンティアーズ』)(『Frontiers』収録...1983年作
【コメント】
 1983年の初頭にリリースされたジャーニーのアルバム『フロンティアーズ』の1曲目に収められている曲で、このアルバムからの先行シングルとしても発売され、全米チャート (『Billboard HOT100』)で最高位8位の大ヒットを記録した曲。当時、まだ洋楽聴き始めて2年目だった私にとってこの曲にはイロイロ思い入れがあります。カラオケでも歌えるし(笑)。この曲よりも“Open Arms”('81年)のほうが歌うことが多いですが(爆笑〜!)。
 ジャーニーというと、渋谷陽一センセイがラジオや雑誌などで繰り返し「あんなもんはゴミですね」とコキ下ろし、『産業ロック』などという素晴らしいアダ名まで授けちゃった(?)ため、ジャーニーがシーンから消えてしまった今となっては「ジャーニーを聴いてたこと」を「恥ずかしい過去」として葬り去ってるひとが、私と同世代のロックファンのなかには多いようですが、私はジャーニーを聴いていたことを恥とは全然思っとりません!(爆笑〜!!!)


2004年1月(第40回)...ティーンエイジ・ファンクラブ“エッシャー”(“Escher”)より
アルバム『サーティーン』(『Thirteen』)収録...1993年作
【コメント】
 前作『バンドワゴネスク』のヒットで、一躍グラスゴー・シーンの顔役に躍り出たティーンエイジ・ファンクラブ(以下、TFC)が1993年にリリースした3rdアルバム『サーティーン』に収録されてる曲。
 このアルバム『サーティーン』は、ファンの間はもとより、本人たちもあまりよいこと言わないお蔭で『駄作』というイメージが拡がってるけど、私はこの作品が一番好きですね(苦笑)。
 ノーマン・ブレイク、ジェラルド・ラヴ、レイモンド・マッギンレイ...の3人のソングライター&リード・ヴォーカリストを擁するTFC、この曲はレイモンドが書いて自ら歌ってます。

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