JASRACがうるさいので、歌詞と訳詞は省略させていただきます。

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2003年12月(第39回)...リア・アンドレオーネ“Inconceivable”より
アルバム『Alchemy』収録...1998年作

【コメント】
 1997年にアルバム『ヴェイルド』でワールドワイド・デビューを果たした女性シンガー、リア・アンドレオーネが1998年にリリースした2nd『Alchemy』(日本未発売)に収録されている曲。
 リア・アンドレオーネ嬢の特徴は、一度聴いたら忘れられないような極端に甘いレインボー・ヴォイスなんだけど、この曲でのリアのヴォーカルは、元祖レインボー・ヴォイス(?)のシンディ・ローパーを思わせる部分があります。それもその筈、この曲の作詞/作曲者にはシンディーのデビュー作『N.Y.ダンステリア(シーズ・ソー・アンユージュラル)』に大いに貢献したフーターズのエリック・バジリアン&ロブ・ハイマンが名を連ねとります。名うての2人が関与してるためか、名曲に仕上がってる(...と、思う)。
 2nd『Alchemy』をリリースした後のリア嬢は...消息不明...。


2003年11月(第38回)...ヴォイヴォド“パノラマ”(“Panorama”)より
アルバム『エンジェル・ラット』(『Angel Rat』)収録...1991年作
【コメント】
 カナダのフランス語圏、ケベック州出身の昔スラッシュ・メタル、今プログレッシヴ・メタルやってるバンドが1991年にリリースしたメジャーでの2枚目(通算6枚目)のアルバム『エンジェル・ラット』に収録されている曲。
 ヴォイヴォドとは、中世のルーマニアに存在したという人喰い戦士の名前だそう。フランス語圏出身の彼らは、フランス式の発音しにくい本名を嫌い、アウェイ(ドラムス、本名 : ミッシェル・ランジュヴァン)、ピギー(ギター、本名 : デニス・ダムール)、スネイク(ヴォーカル、本名 : デニス・ベランジェ)、ブラッキー(ベース、本名 : ジャン・イヴ・テリオー)...というふうに、ニックネームを名乗ってました。
 初期は破壊的なスラッシュ・メタルを演ってた彼らは、どんどんプログレッシヴなサウンドに進化。1989年に5th『ナッシングフェイス』でメジャー・デビューを果たし、メジャー2弾アルバムの『エンジェル・ラット』では、プロデューサーとして「RUSHの4人目のメンバー」と言われたテリー・ブラウンを起用。プログレッシヴな部分を残しながらも、ポップな部分を表に出した音楽を披露してます。この“Panorama”も疾走感がたまりません。メンバーが当時インタヴューで語ったところによると、この曲は「自分以外のものがどんどん変わっていく」ということをテーマにしてるそうです。
 『エンジェル・ラット』の完成直後にベースのブラッキーが脱退したものの、1993年に『ジ・アウター・リミッツ』をリリース。しかしその後、ヴォーカルのスネイクが脱退、メジャーからドロップ、後任メンバーが交通事故で重傷を負うなど、不運続きでバンド活動が停滞してた彼らが再び脚光浴びたのが、2002年のこと。メタリカを脱退したジェイソン・ニューステッドがバンドに加入したことで、一気にメタルマニアの注目が集まった(笑)。スネイクもバンドに復帰し、かつてバンドにあった勢いが戻って来た。ヴォイヴォドに加入したジェイソンは、他のメンバーに倣って「ジェイソニック」っていうニックネームを使ってます(笑)。


2003年10月(第37回)...ダイナソーJR.“オーヴァー・マイ・ショルダー”(“Over Your Shoulder”)より
アルバム『ウィズアウト・ア・サウンド』(『Without A Sound』)収録...1994年作
【コメント】
 ダイナソーJR.の6枚目のアルバム『ウィズアウト・ア・サウンド』の最後に収録されてる曲。メジャー・デビュー前のベースのルー・バーロウの脱退に続き、ドラムのマーフまで辞めてしまい、オリジナル・メンバーはJ・マスシスだけになったアルバムだけど、その影響は全く音に出ていない(笑)。いつもながらのダイナソーJR.節が堪能出来ます(苦笑)。
 この“Over Your Shoulder”、何故か邦題は“オーヴァー・マイ・ショルダー”。どうして「your」が「マイ」になってしまったのでしょうか? 謎です(苦笑)。このアルバムがリリースされた当時の1994年に、富山ローカルの洋楽ラジオ番組『KNBポップス'94』にこの曲をリクエストしたら、番組DJの相本芳彦氏が「どうして『your』が『マイ』」になってしまったんでしょうね? 今度(日本盤出してる)ワーナーのひとに訊いてみます」って語ってたけど、ちゃんと訊いてもらえたでしょうか?(笑)


2003年9月(第36回)...RUSH“恐怖兵器”(“The Weapon”)より
アルバム『シグナルズ』(『Signals』)収録...1982年作
【コメント】
 RUSHが1982年にリリースした11th『シングナルズ』に収録されている曲で、『Fear』3部作と呼ばれる一連の曲の第2部に当たります。
 『Fear』3部作は、1981年リリースの『ムービング・ピクチャーズ』収録の“Witch Hunt”が「Part III」、この“The Weapon”が「Part II」、1984年リリースの『グレイス・アンダー・プレッシャー』収録の“The Enemy Within”が「Part I」...と、逆順の発表されてて、実にややこしい(苦笑)。
 で、『Fear』3部作は、「Part III」で完結したハズだったんだけど(だから「3部作」なのだ...苦笑)、3部作最後の“The Enemy Within”が世に出た1984年から数えること18年後の2002年にリリースされたアルバム『ヴェイパー・トレイルズ』に“Freeze”(Part IV Of Fear)が登場〜!(笑)。今では『Fear』4部作になっております。
 この“The Weapon”、ずいぶん不思議な感じのする曲で、ニール・パートのハイハットのオープン/クローズ連射と、アレックス・ライフソンの奏でる中近東っぽいギター・フレーズがとても印象に残ります。


2003年8月(第35回)...メタリカ“ヒーロー・オブ・ザ・デイ”(“Hero Of The Day”)より
アルバム『LOAD』(『Load』)収録...1996年作

【コメント】
 オルタナティヴ・ロック寄りのサウンドを導入し、昔からのファンのド肝を抜いた問題作『LOAD』に収録されている曲で、アルバムのなかでもオルタナティヴ色の濃い曲。レコーディング中には、元ハスカー・ドゥ〜シュガーのボブ・モウルドが書きそうな曲...という理由で“Mouldy”というワーキング・タイトルが付けられていたほどで、それまでのメタリカのイメージを覆す、ほのぼのと前向きな『明るいメタリカ』を提示した。なにしろ、高校野球の入場行進に使えそうなくらい健康的なんだから。それもそのはず、「
今日のヒーロー」ってタイトルの曲ですから(苦笑)。


2003年7月(第34回)...マルティカ“トイ・ソルジャー”(“Toy Soldiers”)より
アルバム『誘惑のマルティカ』(『Martika』)収録...1988年作
【コメント】
 女性ポップ・シンガーのマルティカが1989年に放った全米No. 1ヒット。この曲は日本でもヒットを記録し、マルティカは日本でTVコマーシャルに出演するほどの人気を獲得した。さらにこの人気を当て込んでか、この大ヒット曲“Toy Soldiers”の日本語ヴァージョンをレコーディングするため、全国6つのTVおよびラジオ番組を通じて日本語詩をファンから募集するという大プロジェクト(?)が行なわれた。しかし、日本のレコード会社はファンからの応募作品を使用せず、“Toy Soldiers”の日本語ヴァージョンの歌詞をプロの作詞家に依頼するという暴挙に出た! 「マルティカのために」と、みんなが一所懸命に考えた応募作品(私の応募作品も含む...笑)をみんなゴミ箱送りにした日本のレコード会社の仁義に反する行為がファンの恨みを買ったのが悪かったのかどうかは今となっては知るよしもないが、この後マルティカの人気は急激に失速していくのだった...。
 この曲には、麻薬に蝕まれていく友達たちを憂える気持ちが歌われている...いう話を聞いたことがあります。だけど、例のプロの作詞家が書いた日本語詩では、単なるラヴ・ソングになっとります...。なお、この曲にはスペイン語ヴァージョンも存在し、例の日本語ヴァージョンと共に『スペシャル・タッチ』というミニ・アルバムに収録、リリースされてました。


2003年6月(第33回)...ソフィー・セルマーニ“ユー・アンド・ヒム”(“You And Him”)より
アルバム『ソフィー・セルマーニ』(『Sophie Zelmani』)収録...1995年作
【コメント】
 日本で一番スウェーディッシュ・ポップが持て囃されてた頃の1995年にデビューを果たしたシンガー/ソングライターのソフィー・セルマーニの1stに収録されてる曲。通称『ロリコン・ジャケット』(笑)と呼ばれるこのジャケットの効果は大きく、時の日本の時流にも乗ってヒットを記録。翌1996年には初来日公演も行なうほどの人気を得た。この曲の詩について、「浮浪者にからまれた女友達の歌」と言ってしまえば身もフタもないけど(苦笑)、ストーリーテラーとしての彼女の魅力がよく出てて私は好きです(笑)。
 '95年には「永遠の少女」と思われた(笑)ソフィーも、今では母親になっております。母親になった途端、ここ日本での人気が極端に落ちたように思えるのは、私の気のせいでしょーか?(苦笑)


2003年5月(第32回)...RUSH“ビトウィン・ザ・ホイールズ”(“Between The Wheels”)より
アルバム『グレイス・アンダー・プレッシャー』(『GraceUnder Pressure』)収録...1984年作
【コメント】
 日本では1984年5月にリリースされたRUSHの通算12枚目(スタジオ録音作としては10枚目)にあたるアルバム『グレイス・アンダー・プレッシャー』の最後(旧アナログではB面ラスト)に収録されてる曲。このアルバムはRUSHが一番シンセサイザー類を取り入れた頃(いわゆる『ポリスの時代』...笑)の作品で、この曲もイントロからシンセの音色が重苦しく迫ってきます。そのワリには、サビの部分はストレートなポップ・ロックになりますが。
 この曲の歌詞をみて、私がよく思うのは「車の下のウサギがどう感じるかは、実際に車輪に踏みつぶされたことがある者じゃないと理解できない」ってこと。


2003年4月(第31回)...小谷美紗子“真 (君の真未来に捧げるうた)”より
アルバム『うた き』収録...1999年作
【コメント】
 世の中の人みんなが目を背けたり、「見なかったこと」にしようとする『現実』を目の前に突き付けるかのような厳しいうたを歌うシンガー/ソングライター/ピアニスト、小谷美紗子。その独自の「厳しさ」が頂点に達した3rdアルバム『うた き』(1999年作品)のアタマを飾る曲。
 個人的には、『うた き』というアルバムは彼女の最高傑作と捉えていて、そのためこのアルバムを聴く機会も多いんだけど、さすがに会社に出勤する時には聴けませんワ、コレ...(苦笑)。


2003年3月(第30回)...ヘヴンリー“ペット・モンキー”(“Pet Monkey”)より
アルバム『オペレーション・ヘヴンリー』(『Operation Heavenly』)収録...1996年作

【コメント】
 「パートタイム・プリティ・パンクス」ことヘヴンリーが1996年にリリースしたアルバム『オペレーション・ヘヴンリー』の最後に収録されているラヴ・ソング。『インディーの聖地』米・ワシントン州オリンピアの『K』レーベル主宰者のカルヴィン・ジョンソンもゲスト・ヴォーカルで参加してます。
 メンバー全員ちゃんとした仕事を持つがゆえ、ヘヴンリーでの音楽活動は全て「趣味」と言い切る欲の無さが、音楽演る楽しさが満ちあふれた彼女たちのポップ・ワールドの源。このアルバムで初めてヘヴンリーを聴いた私は、あまりのヘヴンリーの音の楽しさにすっかりとりこになったんだけど...。このアルバムこの作品には、アルバム・レコーディング直後に自殺したドラマー、マシュー・フレッチャーの追悼盤という意味合いが込められてまして...。これを私が知ったのは、ず〜〜〜っと後のこと。楽しい印象が一気に反転...。


2003年2月(第29回)...ポリス“アラウンド・ユア・フィンガー”(“Wrapped Around Your Finger”)より
アルバム『シンクロニシティー』(『Synchronicity』)収録...1983年作
【コメント】
 「スティングが昔やってたバンド」(苦笑)で、'70年代末から'80年代前半にかけて5枚のアルバムを残したスーパートリオ、ポリスが1983年にリリースした最後のスタジオ・アルバム『シンクロニシティー』収録曲。シングル・カットされて'84年年明けに『Billboard HOT 100 Singles』(全米チャート)のTOP10にも喰い込んだ。そのせいか、この曲には2月のイメージが付きまとう(苦笑)。この曲が全米チャートをにぎわせていた頃、私は中学2年生で、この歌詞の最後の『どんでん返し』を「面白〜い!!!」と喜んでた(笑)。「
And you'll be wrapped around my finger……」
 “Messege In The Bottle”(“孤独のメッセージ”)もそうだけど、スティングの書く歌詞は『どんでん返し』モノが多いなぁ...(苦笑)。


2003年1月(第28回)...ペイヴメント“ステレオ”(“Stereo”)より
アルバム『ブライトゥン・ザ・コーナーズ』(『Brighten The Corners』)収録...1997年作
【コメント】
 '90年代に5枚のアルバムを残し、アッケなく解散したUSローファイ・オルタナ・バンド、ペイヴメントが'97年のアタマにリリースした4th『ブライトゥン・ザ・コーナーズ』の1曲目に収録されている曲。いったい何を歌いたい曲なのかイマイチ良く分かりませんが(苦笑)、RUSHのヴォーカリスト/ベーシストのゲディ・リーの名前が出てくるので、RUSHファンとしては(たとえコケにされていようが)うれしかったです(笑)。ペイヴメントのライヴは2回観ましたが、この曲演る時、ヴォーカル/ギターのスティーヴがミョーな手ぶり入れてクネクネしながら歌ってたのがすごく印象に残ってます(笑)。

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