JASRACがうるさいので、歌詞と訳詞は省略させていただきます。

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2002年12月(第27回)...オール・アバウト・イヴ“ディセンバー”(“December”)より
アルバム『スカーレット・アンド・アザー・ストーリーズ』(『Scarlet And Other Stories』)収録...1989年作
【コメント】
 歌姫ジュリアンヌ・リーガンを擁する英国のバンド、オール・アバウト・イヴ(以下、AAE)が1989年にリリースした2ndアルバム『スカーレット・アンド・アザー・ストーリーズ』に収録され、シングル・カットもされた彼女たちの代表曲。もともとミッションのウェイン・ハッセイに見初められてデビューに漕ぎ着けたバンドゆえ、ゴシック/ポジパンの人脈につながるバンドだけど、英国の伝統的トラッド音楽やフォークを取り入れたお蔭でプログレ・マニアの間で人気が高い(笑)。このアルバムを最後にギターのティム・ブリッチェノが脱退。代わりのメンバーを補充してバンドは存続するも、失速。一度は解散。近年、再結成してアコースティック・ライヴをやってるようだけど、相変わらずティムは不在。ティム抜きの今のAAEの再結成ライヴ盤聴いたけど...ダメですね(笑)。このバンドはジュリアンヌとティムが揃わないと。この“December”のエンディングのギター・ソロはいつ聴いても鳥肌モノ。シングル・エディットではこのギター・ソロがカットされてるので、必ずアルバムを捜して聴いてみてください。


2002年11月(第26回)...RUSH“ダブル・エージェント”(“Double Agant”)より
アルバム『カウンターパーツ』(『Counterparts』)収録...1993年作
【コメント】
 RUSHが(日本では)'93年11月にリリースした18thアルバム『カウンターパーツ』収録曲。当時のミュージック・シーンを席巻してたグランジ/オルタナの味付けをしたサウンドで、ファンの間でも賛否が分かれた同作を代表する???異色曲。「double agant」とは、二重スパイってことですか? この曲の詩については、作詞者のニール・パートが音楽雑誌『BURRN!』1994年1月号掲載のインタヴューでこう語っています。「眠っている時にはいかに心の動きが無意識になるかというアイディアに取り組んでいる。夢はただの幻想のように思えたり、実際に幻想に過ぎなかったりする。だけどその一方で真剣に思考が進行していることもあって、時々私は朝目が覚めると、眠っている間に何かの決断をしていたりするんだ。そんなのはごく特別だし、驚くべきことだけどね。それで、私はスパイの諜報活動のイメージと、とても視覚的なものだということで悪夢のイメージを素材にした。だけど本当は、眠りに入る間際が半ば意識がある状態と半ば無意識の状態のどちらともつながっている唯一の時だということを判ってもらいたかったんだ。それはまた、とてもクリエイティヴな時間だと思う。私もそういう眠る寸前にいいアイディアが出てきたり、はっきりと物事が考えられたりするんだよ」...うむ、深い。
 この曲が出た頃はまだインターネットはあまり普及してませんでしたけど、今、この曲の「
The known and the nameless, familiar and faceless」って部分を聴く度にネット上の人間関係を思い浮かべるんですよ、私は。よく知ってるのに、本名までは知らなかったりするし、親しく付き合ってるけど、顔は知らなかったりするしさ。


2002年10月(第25回)...ブロンディ“銀河のアトミック”(“Atomic”)より
アルバム『恋のハートビート』(『Eat To The Beat』)収録...1979年作
【コメント】
 ニューヨーク・パンク・シーンから飛び出したものの、ディスコ・サウンドと融合し、ポップ・バンドと看做されることの多いブロンディ。紅一点のデボラ・ハリーは「セックス・シンボル」ともて囃され、後のマドンナ登場なみのインパクトをシーンに与えてた(ハズ)。そのブロンディの最盛期である1980年に全英No.1を記録した彼女たちの代表曲。私が洋楽を聴き始めた1982年のミュージック・シーンにおける大事件のひとつに、「ブロンディ、決まってた来日公演を反古にし突然解散!!!」ってのがあって、かなりの騒動になってた記憶があるんだけど、この騒ぎの時に「ブロンディ」って名前をアタマん中にしっかり刷り込まれた気がする(笑)。ってことで、私はブロンディは後追いで聴いてるんだけど、「“Call Me”か、“Atomic”」ってくらい、この曲は大好きです。んで、御覧のとおり歌詞が少なく覚え易いため、愛唱歌にもなってて、この曲をふだんからよく歌ってます(笑)。♪あ〜お〜ゆあへあいずびゅーてぃふぉー〜お〜とぅなぁ〜い...(笑)。
 ...だけど、日本語に訳すとこんな意味になるとは...今回、初めて、知った...(苦笑)。


2002年9月(第24回)...RUSH“アナログ・キッド”(“ The Analog Kid”)より
アルバム『シグナルズ』(『Signals』)収録...1982年作
【コメント】
 RUSHが1982年にリリースした通算11作目『シグナルズ』に収録されている『隠れた名曲』。この『シグナルズ』というアルバムは、RUSHがそれまでのストレートなロック路線から、当時の音楽シーンを席巻してたニュー・ウェイヴからの影響を受けてディジタル化路線へ移行するターニング・ポイントとされてますが、この“アナログ・キッド”という曲はストレートなロック風に始まり、中盤からシンセ類が出てくる曲。『シグナルズ』の中で一番ロックしてます(笑)。イントロのリフがカッコイイ〜☆!!!
 この曲の最後で、「
旅立ちの時、僕は/自分で何を見つけようとしているのかを/知らない/旅立ちの時、僕は/自分が何を後に残していくのかを/知らない……」と歌われてますが、ここで「知らない」と歌われているモノを捜す旅こそ人生だ...と、私は勝手に思っとります(笑)。


2002年8月(第23回)...スマッシング・パンプキンズ“武装解除”(“ Disarm”)より
アルバム『サイアミーズ・ドリーム』(『Siamese Dream』)収録...1993年作
【コメント】
 突然の解散から早くも丸2年が経とうとしてるスマッシング・パンプキンズの2ndアルバム『サイアミーズ・ドリーム』に収められてる曲。スマッシング・パンプキンズの最高傑作は世間一般では1995年の大作『メロンコリーそして終わりのない悲しみ』ってことになるんでしょうけど、個人的にはこの『サイアミーズ・ドリーム』のほうが好きだったりします。ってのは、私がスマパン聴くようになったのはこのアルバムからだから(笑)。私は大学生やってた7年間ずーっと同じアパートに住んでましたけど、その7年間で1度だけ隣室および近所から「聴いてる音楽がうるさい! ヴォリューム絞れ!」って苦情を受けたことがあります。それが、この『サイアミーズ・ドリーム』聴いてた時でした(笑)。メタリカ聴いてても苦情出なかったのに(苦笑)。
 この“Disarm”って曲は、
2年前のさよなら公演でも演奏してた彼らの代表曲。「僕も小さな少年だった時がある/心だけは大人のつもりだったよ」ってくだりは...。
 ...実に、身に覚えがあるねぇ...(苦笑)。


2002年7月(第22回)...少年ナイフ“WATCHIN' GIRL”(“Watchin' Girl”)より
<日本語版>アルバム『BURNING FARM』収録...1983年作
<英語版>アルバム『Let's Knife』収録...1992年作
【コメント】
 『世界で一番有名な日本のバンド』と呼ばれる少年ナイフが、そのバンド初期に当たる1983年にレコーディングした曲。オリジナル8インチ・アナログの『BURNING FARM』(1983年)には収録されてなかったようだけど、現在CD化されている『BURNING FARM』にはしっかり収録。それから9年後、日米のインディー・ネットワークを通じて、アメリカでも人気が盛り上がってた1992年にリリースされたワールドワイド・メジャー・デビュー盤で、なおかつここまでのナイフのベスト盤ともいえる『Let's Knife』に英語ヴァージョンで収録された。ナイフといえば、まず、ギターの山野直子さんを思い浮かべるけど、この曲はベースの中谷美智枝さんの作詞・作曲。だけど、リード・ヴォーカルは直子さん...というややこしいことになってます。
 何故、少年ナイフの音楽が世界に通用したか? いろんな説明が出来るかと思うけど、彼女たちが自分たちの感性に正直な音楽を演っていた...このことが一番大きいと思う。ナイフの歌詞の「トホホ度」「情けなさ」については語り尽くされた(?)感があるけど、彼女たちは自分たちの詩を「トホホ」とも「情けない」とも思ってないハズだよ(笑)。そしてウケも狙ってない。この曲の歌詞がなによりもそれをハッキリと宣言してると思う。
 この曲の歌詞を書いた美智枝さんはバンドを去ったけど、「
自分の体が/全てをかんじる」という宣言は今のナイフにも受け継がれている...と、思う。


2002年6月(第21回)...ジョン・クーガー・メレンキャンプ“リアル・ライフ”(“The Real Life”)より
アルバム『ロンサム・ジュビリー』(『The Lonesome Jubilee』)収録...1987年作
【コメント】
 ジョニー・クーガーという芸名でデビューし、その後、ジョン・クーガー→ジョン・クーガー・メレンキャンプと名前が変わり、1991年からは本名のジョン・メレンキャンプで活動してる'80年代のアメリカを代表する男性シンガー/ソングライターが、1987年(ジョン・クーガー・メレンキャンプ時代)にリリースしたアルバム『ロンサム・ジュビリー』に収録されてる曲。1982年の“青春の傷あと”のヒットで一躍人気ロック・スターになったジョン・クーガーが、アーティストのジョン・メレンキャンプへと脱却する過渡期の作品だけど、このアルバム『ロンサム・ジュビリー』はファンの間でも最高傑作との呼び声が高いッス。この曲が発表された当時、すでにRUSHのファンになっていて変拍子やらリズムの引っ掛けが好きになってた私は、この曲の間奏部分のフェイント(?)に惹かれてこの曲が好きになりました(笑)。歌詞に注目したのはず〜っと後になってからのことですが、『ロック・スターのジョン・クーガー』と彼自身在りたいと願う『アーティストのジョン・メレンキャンプ』の狭間で揺れる彼の葛藤が表れてるように思います。


2002年5月(第20回)...ギャリソン・スター“スーパーヒーロー”(“Superhero”)より
アルバム『エイティーン・オーヴァー・ミー』(『Eighteen Over Me』)収録...1997年作

【コメント】
 1997年にアルバム『エイティーン・オーヴァー・ミー』でデビューしたアメリカのディープ・サウス出身の当時弱冠・22歳の女性シンガー/ソングライター...それが今回取り上げたギャリソン・スター。彼女が大手の『Geffen』からデビューしたのは、彼女が『Geffen』に送ったデモ・テープが切っ掛けなんだけど、契約の決め手になった曲こそがこの“スーパーヒーロー”。この♪I am a superhero〜...と言い切ってしまう考えようによってはアホな曲(笑)がA&Rの目に止まり、レコード・デビューを果たした彼女は、この曲を前面に出してプロモーションされていった。当時「女だらけの音楽フェス」と呼ばれた『リリス・フェア』にも出演した。...けど、売れなかったんだよなぁ...。スーパーヒーローになり損ねました(苦笑)。私は♪I am a superhero〜...と言い切ってしまうバカバカしさにウケて(笑)、彼女のことを応援してましたケド(笑)。あれから4年余を経て、この春2ndアルバム『Songs From Take-Off To Landing』をリリース。今度こそ、離陸に成功して浮上出来るかな? 
→こちらも見てね。


2002年4月(第19回)...ベリー“白金魚”(“Silverfish”)より
アルバム『キング』(『King』)収録...1995年作
【コメント】
 元・スローイング・ミュージズ〜ブリーダーズのタニヤ・ドネリーのバンド、ベリーが1995年にリリースした2ndアルバムにして最後の作品『キング』に収録されてる名バラード曲。私はベリーの曲のなかでも特にこの曲が好きなのですが、そういう贔屓目を抜きにしても、タニヤのキャリアの中でも金字塔といえるような曲ではないでしょうか!? ...っつうか、タニヤ本人もこの曲の焼き直しとも思える曲をこの後書いてるし(笑...“Mysteries Of The Explained”)。
 元々、声が高めなため、カラオケでも女性曲を歌うことが多い私・ヒロくんですが、タニヤのちょっとロリっ気が残るハイトーンはさすがに出ないため、この“Silverfish”は完璧には歌いこなせません。実は、それが私にはとても残念でくやしかったりします。この曲で歌われてる世界を表現するためなら、女に生まれてこれば良かった...と思ったことさえあります(爆笑〜!!!)。ここまで私に思わせた曲は、今のところ、この曲だけです(笑)。


2002年3月(第18回)...クリスティン・ハーシュ“ホーム”(“Home”)より
アルバム『ストレンジ・エンジェルズ』(『Strange Angels』)収録...1998年作
【コメント】
 元・スローイング・ミュージズ(以下、ミュージズ)のクリスティン・ハーシュの歌声を初めて聴いたのは、まだミュージズが存在してた頃で、ラスト・アルバムの『リンボ』で私は初めてクリスティン・ハーシュという女性ヴォーカリストを知った。が、大した印象も持てないまま私はそれを聴き流してた。音楽雑誌『rockin' on』(当時)の中本浩二がさかんに彼女のことを「キ××イ」呼ばわりしてたけど、どーして中本が彼女を「キ××イ」扱いするのかさっぱり分からなかった。私のなかでクリスティン・ハーシュというシンガーの存在がしっかりと刻み込まれたのは、車椅子のシンガーソングライター、VIC CHESNUTTへのチャリティ・アルバム『スウィート・リリーフII』を聴いてから。このアルバムのなかでクリスティンはVICの“Panic Pure”をカヴァーしてたけど、この曲がとっても恐ろしかった!!! この曲で聴けるクリスティン・ハーシュの歌声はPure過ぎてすっかりPanicった私(笑)。この直後に出たクリスティンのソロ・アルバム『ストレンジ・エンジェルズ』はアルバム全体“Panic Pure”みたいな凄まじい内容。『rockin' on』中本がクリスティンを「キ××イ」呼ばわりするわけがよ〜く分かった(爆笑〜!!!)。このアルバムが出た1998年、私は『世界一怖いシンガー』はクリスティンだと真剣に思ってたし、信じてた(笑)。その後に一般リリースされたアルバム(『スカイ・モーテル』と『サニー・ボーダー・ブルー』)では、恐ろしさが消えてフツウのシンガーになったけど...ホッとするやら、カッガリするやら、ちょっと複雑だったりする(苦笑)。


2002年2月(第17回)...クォーターフラッシュ“ファインド・アナザー・フール”(旧邦題“ミッドナイト・ラヴァー”)(“Find Another Fool”)より
アルバム『クォーターフラッシュ』(旧邦題『ミッドナイト・フラッシュ』)
(『Quarterflash』)収録...1981年作
【コメント】
 日本では1982年の年明けから春にかけて大ヒットした“ミスティ・ハート”でのみ記憶される存在がクォーターフラッシュ。クォーターフラッシュの『グレイテスト・ヒッツ』の日本盤のライナーノーツで矢口清治サンはこう書いてます。「ザ・ナックが“マイ・シャローナ”のみで、a〜haが“テイク・オン・ミー”ばかりで、カジャグーグーが“君はトゥー・シャイ”だけで語られるように、クォーターフラッシュもまた、もしかしたら“ミスティ・ハート”こそが今日も振り返られる理由なのかもしれない」...ははは。バンド名のとおり、'80年代の頭にほんの一瞬だけフラッシュしたとゆわれても仕方がない存在です(苦笑)。その大ヒットした“ミスティ・ハート”に続いてシングル・カットされたのが当時“ミッドナイト・ラヴァー”という邦題で呼ばれたこの曲。全米チャートで16位まで上昇。“ミスティ・ハート”とはうってかわってハード・ドライヴィンなこの曲、エンディングでのリード・ヴォーカル兼サックス奏者のリンディ・ロスのサックスとゲスト参加のヴァイオリンのからみが強烈です。「アンタを愛する他のバカを見つけろ!」...アンタを愛したアタシもバカだし、これからアンタを愛する誰かサンもバカ...と言い放つオンナのドロドロの情念の世界を見事に描写したこの曲の良さを理解するには、当時12歳の中坊にはムリで、6〜7年の歳月が必要でした(笑)。
→こちらも見てね。


2002年1月(第16回)...ベリンダ・カーライル“輝きのままで”(“Leave A Light On”)より
アルバム『輝きのままで』(『Runaway Horses』)収録...1989年作
【コメント】
 「ギャルバン」GO-GO'Sのリード・ヴォーカリストで、GO-GO'S解散後も順風満帆なソロ活動を続けてたベリンダ・カーライルが'89年の年末にリリースした3rdソロ・アルバム『輝きのままで』からの先行シングル。ベリンダといえば、'87年に出した2ndソロ『ヘヴン・オン・アース』から“Heaven Is A Place On Earth”が全米1位に輝くくらいの大ヒットを記録し、この時が彼女のピークと一般では看做されてますけど、その余勢を受けてリリースされたこの“Leave A Light On”はモロに“Heaven Is A Place On Earth”ソックリな曲調(笑)。手堅く2番目のドジョウを狙う作戦に出たのは良かったけど、チャート的には全米11位止まりの中ヒットにとどまりました(笑)。この“Leave A Light On”にはスライド・ギターでジョージ・ハリスンが参加してるなど、話題には事欠かなかったのになぁ...。
 この曲は、実は私・ヒロくんの『愛唱歌』でした(爆笑〜!!!)。今では声域が落ちたせいでキィが致わなくなってますケド...(苦笑)。
 ええっと...どうしてこの曲が2002年1月の詩に選ばれたかというと...アルバム『Runaway Horses』に収録されてるからです。今年の干支は『午』だし。それ以上の意味もそれ以下の意味もありません(笑)。

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