JASRACがうるさいので、歌詞と訳詞は省略させていただきます。

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2001年12月(第15回)...NAHT“either way you want”より
アルバム『the spelling of my solution』収録...2000年作
【コメント】
 日本を代表するエモコア・バンド、NAHTの2000年リリースのメジャー・デビュー盤『the spelling of my solution』に収録されている曲。NAHTっていうバンド名は、手術用語の「縫合」という意味。2000年の全国ツアーで配ってたチラシには、NAHTのリーダー、SEIKI が前に居たバンド、ヴォリューム・ディーラーズから追い出された時に受けた傷跡を『縫合』するために組んだバンドだ...って意味合いの文章が載ってたけど、雑誌に載ってるSEIKI のインタヴュー読む限り、今ではそんなに傷とは思ってないようですね。今だからこそか...?
 SEIKI がNAHTを始めてた'95年から幾度となくメンバー・チェンジを経て、今ではヴァイオリストのYASUKOを含めた4人編成にNAHTはなっております。ヴァイオリン入りの独特のエモコア。


2001年11月(第14回)...RUSH“コールド・ファイヤー”(“Cold Fire”)より
アルバム『カウンターパーツ』(『Counterparts』)収録...1993年作
【コメント】
 '93年11月10日に日本盤がリリースされたRUSHのアルバム『カウンターパーツ』に収録されてる曲。このアルバムについては作詞した
ニール・パート自身が『BURRN!』 1994年1月号掲載のインタヴューで詳しい解説をしてます。その解説によると、こういうことだそうです。

 ─“Cold Fire”では“何がそれ(註・「愛」のことだと思う...by ヒロくん)を変えてしまうのか”の例を挙げている。“Cold Fire”は一組の男女の会話で、男は愛の感傷的で俗受けする面に対する現実の面をよく判っていない。女はこの鈍い男にそこのところを説明しているんだ(笑)。彼女は「私の愛はとどまるところを知らないけれど、あなたがあんまり私をガッカリさせたり、ひどい扱いをしたりしたら、いなくなる」と説明している。言っておくけど、この会話は全部架空で、人物も私が生み出したもので、私自身に起こったことではないよ(笑)。男の方は、例えば彼女がなぜラヴ・ソングが好きなのかも判らなくて、女はそれに対して「ラヴ・ソングはただのラヴ・ソング。だけどこれはラヴ・ソングでもファンタジーでもなくて、私達の関係なの。あなたが自分でも言うように、私があなたらしいと思うように振る舞う限りは、私の愛は強くなる」と説明する。もし相手の目から見て、自分らしくない振る舞いをし始めているように見えたら、もう愛されなくなるものなんだよ。

 ええっと...この歌でニールが何を言いたいのか、この説明だけでは全然解りません(笑)。私もこの曲に登場する『この鈍い男』並にニブいようです(爆笑〜!)。誰か、私にこの歌で歌われてるテーマのホントの意味を教えてくれませんか?(大爆笑〜!!!)


2001年10月(第13回)...ザ・シャーラタンズ“フラワー”(“Flower”)より
アルバム『サム・フレンドリー』(『Some Friendly』)収録...1990年作
【コメント】
 私の行きつけのレコ屋は、私の家から歩いて60分、自転車で20分の遠いところにあります。近所にもっと品揃えの豊富な店があるというのに、その店を行きつけにしてた理由はというと、私が富山に戻って来た1995年にはその店しか私の趣味の音楽の輸入盤を扱ってるところが無かった...というのがあります。その店のサービスカードも貯まっていったし、その後、近所にもっと品揃えのいい店が出来ても、なかなか乗り換えることができませんでした。そして、同じ店に通ってるうちにそこの店員さんと仲良くなって、ますます他の店に乗り換えにくくなったりしてさ。1997年、そのレコ屋に、『I』さんという女性の店員サンが居ました。彼女とは音楽の趣味も似てて、全く知らなかったけ
'96年のクーラ・シェイカーの名古屋公演にも偶然居合わせたくらい(単に同じ会場で観たってだけのハナシ...笑)。何かとハナシが合うものだから、すっかり仲良くなったんだよね。さらに、その『I』さんの兄貴が、大学時代の私のバイト仲間だった...という恐ろしいほどの偶然も発覚! ますます『I』さんに親近感感じて、「レコ屋に行く」ってよりも、「『I』さんに会いに行く」って感じでそのレコ屋に通いつめるようになりました。ところが、 '97年の9月中旬を境にして、そのレコ屋から『I』さんの姿が突然消えました。そのレコ屋の男性店員に「『I』さん、どうしたの? 最近見ないけど...」と訊いたところ、「よその街に引っ越しして、異動しました」との、しょーげき的な返事...。まったくの寝耳に水!!! 『I』さんはそんな話、おくびにも出してなかったし...。
 『I』さんが居なくなっても、それまでずっとそのレコ屋に入り浸ってたからサービスカードもたまってる。よその店に乗り換えることも出来ずに、その後もそのレコ屋に入り浸ってたら、男性店員さんとも仲良くなった。それが
『きのっぴー』(笑)。その後、別の女性店員『しーちゃん』とも仲良くなったので、ず〜っとそのレコ屋に入り浸ってたんだけど、今年の3月で『きのっぴー』は他店に異動し、8月で『しーちゃん』も店を辞めた。『しーちゃん』が辞めてから一度もそのレコ屋に行ってないです...。
 そもそもこの店に入り浸るキッカケだった『I』さんとの最後の会話は...そうだな、「
シャーラタンズのライヴ観に行って来たよ!」「ええっ! うらやましい〜」だったかな(笑)。ってことで、それ以来、シャーラタンズのこの曲にはそーゆー思い出がまとわりつくようになりました(笑)。


2001年9月(第12回)...RUSH“サブディビジョンズ”(“Subdivisions”)より
アルバム『シグナルズ』(『Signals』)収録...1982年作
【コメント】
 RUSHが1982年9月(日本では10月)にリリースした通算11作目の
アルバム『シグナルズ』は、従来の彼らが演ってたいわゆるプログレ・ハード的ハード・ドライヴィンなギター・サウンドを引っ込め、当時のミュージック・シーンを席巻してたニュー・ウェイヴやテクノからのエッセンスをカッパラって、キーボード主体の近未来ふうに味付けしたサウンドへと突如移行した問題作(だったハズ)。暗くもなく明るくもない独特の雰囲気を持つ『シグナルズ』は18年前の『キッドA』か『アムニージアック』???(笑) そのアルバム『シグナルズ』の1曲目に収められた“Subdivisions”は私のだぁ〜い好きな曲。1日1回は必ず歌ってます(笑)。私がRUSHにハマったのはポップなアルバム『パワー・ウィンドウズ』(1985年の13作目)からだったから、最初はこの独特の近未来的作風が好きじゃなかったんだよね。だけど、大学留年したあたりからこの曲が大好きになりました。ははは〜!!!
 オレは、夢を売るのも、罠に捕わるのもイヤだね(笑)。


2001年8月(第11回)...マシュー・スウィート“碧い瞳の悪魔”(“Devil With The Green Eyes”)より
アルバム『オルタード・ビースト』(『Altered Beast』)収録...1993年作
【コメント】
 1993年の夏というと、気象庁が梅雨明けを特定できないくらい、雨ばかり降って気温の低い冴えない夏でした。この冷夏のお蔭で、この年の秋には前代未聞の米泥棒騒動などが起こったりしたんだけど(笑)、まるでこの冷夏に合わせるかが如く、1993年夏にはどこか冴えないアルバムがリリースされてました。U2の『ZOOROPA』とか(笑)。'91年リリースのアルバム『ガールフレンド』のお蔭で一躍話題アーティストになったマシュー・スウィートがこの年にリリースした『オルタード・ビースト』もあまり良い評判聞かないアルバムです。が、どこか冴えない内容があの'93年の夏にピッタリとリンクしていて、このアルバム聴くと'93年の夏のエピソード...『ザやまなし』(笑)とか、大沢親分率いる日本ハムファイターズが1位になったこととか、個人的なハナシを言うと針ノ木雪渓を登ったこととか...を思い出します。“碧い瞳の悪魔”はこのアルバムの2曲目に収録されてる曲で、私的にはマシューの曲のフェイヴァリットなんですけど、こう言うと決まって他のマシュー・ファンから「変わってるう〜」って、ゆわれます(笑)。
 ところで、今夏の『SUMMER SONIC 2001』に、マシューが出演します。'92年の来日以来の日本でのライヴ。日本のアニメの大ファンのマシュー、前回来日した時、プロモーターやレコード会社の担当者を引き連れアニメ・ショップをはしごしまくるという顰蹙買う行動に出たせいで、ず〜っと日本に呼ばれなかったとのハナシですが(笑)、今回もアニメ・ショップをはしごしまくるんでしょうか?(笑) 少なくとも、宮崎駿のアニメ映画『千と千尋の神隠し』は観て帰っていきそうな予感はしますね(笑)。


2001年7月(第10回)...ガービッジ“オンリー・ハッピー”(“Only Happy When It Rains”)より
アルバム『G』(『Garbage』)収録...1995年作
【コメント】
 ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』やスマッシング・パンプキンズの『サイアミーズ・ドリーム』、ソニック・ユースの『ダーティ』など、1990年代を代表するアルバムを手掛け、'90年代の売れっ子プロデューサーになったブッチ・ヴィグ先生が、自分の昔のバンド仲間の中年オヤジ2人と結成バンドしたバンドがガービッジ。MTV観て気に入ったイギリスのポスト・ポジパン・バンド、エンジェルフィッシュの女性ヴォーカル、シャーリィ・マンソンをスカウトしてきて4人組になった彼らが1995年に放ったデビュー作『G』からの2ndシングルがこの曲“Only Happy When It Rains”。
 このガービッジというバンドを始めるに当たって、ブッチ先生が目指したのは「誰もが口ずさめるようなポップ・ソングに、口に出すのもはばかれるような陰鬱な歌詞を乗せる」ってモノだったんだけど、この曲はまさにその目論見が見事にハマった典型例(笑)。
 この“Only Happy When It Rains”、私はコミックソングだと思ってるんだけど(笑)。私はこれでも一応正常な感覚の持ち主なので(笑)、やっぱり雨が降るとunhappyな気持ちになるけど、この曲が見事にハマったのが
1998年の『FUJI ROCK FESTIVAL in TOKYO』。ガービッジが出演した第2回目の『フジ・ロック』は、台風に吹き飛ばされた第1回目『フジ・ロック』とは違い、太陽に照りつけられてメチャクチャ暑かった。ガービッジがこの“Only Happy When It Rains”を演奏するのを観ながら「ホントに雨降ってくんないかなァ〜...」と思ったモンなあ...(笑)。
 で、今年の『フジ・ロック』の天気は果たして...???


2001年6月(第9回)...ローン・ジャスティス“ソープ、スープ&サルヴェイション”(“Soap, Soup And Salvation”)より
アルバム『ローン・ジャスティス』(『Lone Justice』)収録...1985年作
【コメント】
 1985年の春っていうと、女性ヴォーカルを前面に立てたバンドが多数デビューして、シーンをにぎわせました。“Voices Carry”(邦題は“愛のVoices”)でデビューした、エイミー・マン率いるティル・チューズデイ、“Walking On Sunshine”がヒットした、カトリーナ・レスカニッチ嬢率いるカトリーナ&ザ・ウエイヴス、そして、今回取り上げるマリア・マッキー率いるローン・ジャスティス。
 このローン・ジャスティスこそ、当時音楽メディアから一番高く評価されてたバンド。なにしろ彼女たちのカントリー・ミュージックをルーツにしたアーシーなロックは、ボブ・ディランやトム・ペティ、ドン・ヘンリーあたりの大物アーティストに大いに絶賛され、その後押しを受けて鳴り物入りでの颯爽たるデビューでしたから。幼い時から教会で歌い、そのあまりのヴォーカルの素晴らしさから神父さんから「あなたは将来歌手になりなさい」って言われてたという紅一点のマリア・マッキーのヴォーカルは、とても当時弱冠21歳のモノとは思えない素晴らしさ。声域、声量も抜群で、表現力も豊かでした。この素晴らしいマリアの歌が堪能出来るローン・ジャスティスのデビュー作、評論家筋の評判とは裏腹にあまりセールスが伸びず、この後ローン・ジャスティスはマリア以外のメンバーを総入れ替えし、『マリアを売り出すためのプロジェクト』に化すのでした...。そして『永遠のロック姐ちゃん』マリア・マッキーの苦難の歴史が始まった...。
 この曲“ソープ、スープ&サルヴェイション”は、ローン・ジャスティスのデビュー作に収録されてる曲で、アルバムのなかで私のいちばんのお気に入り。この時点ではまだ、彼女たちの音楽には『売るためのギョーカイの論理』が介入しておらず、『正義』が宿ってた...。


2001年5月(第8回)...へザー・ノヴァ“ダブル・アップ”(“Doubled Up”)より
アルバム『オイスター』(『Oyster』)収録...1995年作
【コメント】
 英領バミューダ諸島海域を漂うボートハウスのうえで幼少期から思春期を過ごしたという異色の経歴を持つ女性シンガー、ヘザー・ノヴァ。彼女がワールドワイドでデビューを果たしたアルバム『オイスター』のラストに収録されてる穏やかな曲がこの“Doubled Up”。
 ヘザーのメジャー・デビュー盤が日本でリリースされたのは'95年の秋のことだったけど、私がCD買って聴いたのは12月になってから。だけど、すぐにヘザーの魅力にすっかりハマり、その月末に選んだ『'95年アルバム・ベスト10』の3位に入れたくらい。年が明けて'96年になるとさらにヘザーへの熱がますます高まっていった。高校時代の'86年からRUSHを神と崇める熱心なRUSHファンだった私は、ずっと「RUSHのライヴを観るまで誰のライヴも観ない」という掟を自らに課してきた。
RUSHは1984年の『GRACE UNDER PRESSURE』ツアーでの初めて日本の地を踏んで以来、一度も来日してないので、26歳になった'96年の春の時点でもこの掟のお蔭で誰のライヴも観ないままで居た。ところがヘザーの音楽があまりにも美しいものだから、どうしてもヘザーのライヴが観たくて仕方なくなった私は、とうとう'86年から守り通してきた掟を破った! チケットも持たずに、ヘザーのジャパン・ツアーが行われる名古屋クラブクアトロに押し掛けたのが1996年5月12日のこと。ナマで観たヘザーのパフォーマンスはホントに夢のようだった。未だに「今まで観たどのライヴよりも一番よかった」と思ってます。この夢のようなライヴ・パフォーマンスを観た日から、ライヴを観るという行為にすっかり病み付きになった私は『ライヴおたく』に身を沈めてしまったのでした...。もし、ヘザーの音楽との出会いが無かったら、未だに私は「RUSHのライヴを観るまで誰のライヴも観ない」という掟をとおしてると思います(笑)。
 『ライヴおたく』に身を沈めてたおかげで山のような量のライヴ・リポートを書き上げた私、「どうせならみんなにコレを見てもらいたい!」...ということで、ホームページを開設したワケです。もしヘザー・ノヴァとの出会いが無かったら、このホームページは存在しなかったと断言しましょう!(笑)
 そんなにヘザーのライヴよかったかって?...「
説明なんてさせないで」(爆笑〜!!!)


2001年4月(第7回)...カーズ“ホワイ・キャント・アイ・ハヴ・ユー”(“Why Can't I Have You”)より
アルバム『ハートビート・シティ』(『Heartbeat City』)収録...1984年作
【コメント】
  '70年代後半から'80年代中頃にかけて一世を風靡したアメリカ・ボストン出身のエレポップ・バンド、カーズの最大のヒット作『ハートビート・シティ』収録の曲。本国アメリカではこのアルバムからの5枚目のシングルとして1985年の年明けにカットされ、『Billboard』のチャートでは3月頃に最高位33位に到達した。ということで'85年春のヒット曲のイメージが強いです。
 '85年の春といえば、私は高校受験の時期に相当したんだけど、この“Why Can't I Have You”はその高校受験の想い出の曲ですね。
 高校受験。私の第一志望校は
富山高校だったんですけど、私は担任教師から「オマエの内申の持ち点では富山高校合格は無理だ」って言われてました。当時、富山高校に合格するには内申書の持ち点が100点以上無いとダメって言われてましたからね。それなのに私は内申書の持ち点はフタ桁しかなかったから。私の内申持ち点では『富山南高校相当』だということで執拗に志望校変更をうながされてた(笑)。でも、どうしても私ァ〜、富山高校に行きたくてね。というのは、当時好きだった女のコが富山高校受けると思ってたから。彼女と同じガッコに行きたかった(笑)。だから担任教師の反対押し切って富山高校受験しましたよ。その代わり必死で勉強してさ。必死の勉強の甲斐あって、私ァ〜、みごとに富山高校に合格しましたよ。でも...。彼女のほうが受験校を『格落ち』させててさ...富山南高校行っちゃった...。私の『情報仕入れ不足』が招いた悲喜劇だったんだけど...。彼女、クラスの副級長するほどアタマ良かったから富山高校受けると信じて疑いすらしなかったんだよねェ〜(笑)。富山高校に合格して私はとっても嬉しかったけど、ちょっとホロ苦い気分もしました。そのホロ苦い気分がこのラヴ・ソングに見事マッチしてさあ(笑)。この曲聴く度にこの『15の春』を思い出しますね。
 中学校を卒業してから一度も彼女には会ってないなァ〜。そして、中学校を卒業してからあの時ほど必死で勉強したこともありません!(笑) って、そんなことでどうする? 会社から通信教育の教材が届いたことだし、勉強がんばりますか?(笑)


2001年3月(第6回)...サラ・マクラクラン“スイート・サレンダー”(“Sweet Surrender”)
アルバム『サーフィシング』(『Surfacing』)収録...1997年作

【コメント】
 本国・カナダとアメリカで絶大なる人気を誇る女性シンガー、サラ・マクラクランが1997年にリリースした4th『サーフィシング』収録の曲で、シングル・ヒットも記録した。アルバム『サーフィシング』のなかで私の一番のお気に入り。楽曲じたいも好きだけど、スタジオ・ヴァージョンではサラの旦那でもあるアシュウィン・ソードのドラムのハイハットを入れるタイミングが面白く、それが耳に残って繰り返し聴いてた。ところが、ライヴ・アルバムの『ミラーボール』収録ヴァージョン聴くと、アシュウィンのドラムは勿論のこと、日系人ベーシスト、ブライアン・ミナトの演奏も凄まじく、まったく別の曲みたいに肉感的な曲に生まれ変わってるものだから、ますますこの曲が好きになりました。ライヴ・ヴァージョン聴くと、つまんなくてもうスタジオ・ヴァージョンは聴けませんね(笑)。
 サラ・マクラクランといえば、北米では数千人、数万人を相手にライヴ演るというのに、大阪で定員400人の会場で観ました。忘れもしない1998年2月7日のこと。サラのパフォーマンスのあまりの美しさにすっかりメロメロにされてしまった私、その後数ヶ月、その後遺症に悩みました(笑)。完全降伏です(笑)。勿論、この“Sweet Surrender”も演ってくれましたよ!
 この曲、大好きなものだからよく歌ったりするんだけど、サラの声とはキィが合わないので、キャミール・ヘンダーソン(バック・コーラスのネェチャン)の声に合わせて♪スィイィイィイィイィイィイィイィイィイィイィイィサレンダー〜と歌ってますよ、私(笑)。


2001年2月(第5回)...マニック・ストリート・プリーチャーズ“リトル・ベイビー・ナッシング”(“Little Baby Nothing”)
アルバム『ジェネレーション・テロリスト』(『Generation Terrorists』)収録...1992年作
【コメント】
  「世界じゅうのヒットチャートでNo.1を獲る大ヒット・デビュー・アルバムを出して、その1枚きりで解散する。No.1を獲れなくても解散だ!!! とにかく1枚限りでおしまいさ!」という前代未聞の『解散宣言』と共に現われたマニック・ストリート・プリーチャーズのデビュー・アルバム『ジェネレーション・テロリスト』が世に出たのが1992年の2月。日本のレコード会社も『破滅のデビュー・アルバム(中略)2月14日に生まれて死ぬ』って彼らのデビューと解散を煽った。おかげで、ここ日本では人気大沸騰〜!!! 「潔く散る」...武士道につながる日本古来の美学に致ったからだろうか??? ところが、彼らの目標の 「世界じゅうのヒットチャートでNo.1を獲得」が叶わないばかりか、解散さえせず、裏切り者呼ばわりする罵声(特に、ここ日本で大きかった)が浴びせられるなか、3rdアルバムをリリースした後の'95年の(これまた)2月、歌詞によってバンドの方向性をすべて方向付けていた男、リッチー・ジェイムズ(エドワーズ)が突如、失踪〜。彼の居場所は6年経った今も誰も知らない...。残された3人のメンバーで活動を再開した途端、念願だったチャートNo.1も獲得した。だけど、この大成功にも、彼ら3人と古くからのファンにとっては『彼の不在』が常に陰を落とし、素直に喜べないでいる。彼らがこれから先、どんなに大成功を収めようとも、心底喜べるような日は来ないだろう...。
 この“リトル・ベイビー・ナッシング”は問題のデビュー作に収録されている曲で、伝説的ポルノ女優のトレイシー・ローズとのデュエットになっている。トレイシー・ローズを引っ張ってくるあたり、いかにも反社会的というか、ロック・バンド的というか、パンク的なんだよなァ〜...。ちなみに私が初めて観たAVはトレイシー・ローズ出演作品でした(笑)。


2001年1月(第4回)...レディオヘッド“ストリート・スピリット”(“Street Spirit (Fade Out)”)
アルバム『ザ・ベンズ』(『The Bends』)収録...1995年作

【コメント】
 '97年リリースのアルバム『OKコンピューター』で誰もが絶賛する大物バンドになったレディオヘッドが翌'98年1月にジャパン・ツアーを行った。東京・名古屋・大阪...といった大都市は勿論のこと、仙台や新潟など地方都市も廻る大掛かりな全国ツアー。この一環として、1月15日に彼らは松本で演奏した。この日の松本は観測史上まれにみる大雪に見舞われ、松本への鉄道の便はほぼストップ。道路状況も悪く、大雪のお蔭で松本は『陸の孤島』状態になった。この日のレディオヘッド松本公演は、チケットがソールド・アウトになっていた東京・名古屋・大阪...といった大都市公演の『敗者復活戦』の意味合いも兼ねていて、各地からレディオヘッド観るためにファンが松本に集まってくるハズだった。が、大雪のため、彼らのほとんどは松本にたどり着けなかったという...。私は元・松本市民だったから気圧配置みて大雪を察知し、「これはヤバい!」と午前中に松本入りしてたから、ちゃんとレディオヘッド観れたけど...。
 1月になると、あの日の松本の大雪とレディオヘッドを思い出す...。
 この“Street Spirit (Fade Out)”は、'95年の2nd『ザ・ベンズ』に入ってる曲で、私のお気に入り。当日も演奏されました。私にとってレディオヘッドはこの2ndなんだけどネ。“My Iron Lung”、“Fake Plastic Trees”...などなど名曲揃い。

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