悲劇からの復活、成功、そして反逆へ
フィーダーの通算7枚目となる新作『レネゲイズ』に伴うジャパン・ツアーを観て来た。ロック然とした新作のサウンドに忠実な、ロック・バンドとしてのフィーダーの魅力を前面に出した素晴らしい演奏だった。彼らがここまでロックしたライヴを演ったのは、私が体験したなかでは2001年の『FUJI
ROCK FESTIVAL』以来かもしれない。
私がフィーダーのことを知ったのは、『FUJI
ROCK FESTIVAL '99』に出演が決まってから。それまで、フィーダーについては全く何も知らなかったけど、『フジ・ロック』に出演するということでまずは興味を持ち、ベーシストが(私にとっては隣県に相当する)岐阜県出身の日本人で、しかも、名前が私の名前をシャッフルしたような(苦笑)タカ・ヒロセってことで、大いに関心を持った(笑)。当時の彼らは2nd『イエスタデイ・ウェント・トゥ・スーン』をリリースしたばかりで、苗場に移転して初めてとなる1999年の『フジ・ロック』では『WHITE
STAGE』に登場。(今となっては異色作になってしまう2nd『イエスタデイ・ウェント・トゥ・スーン』のサウンドに通じる)山間部の自然の空気にピッタリな清涼感あふれるパフォーマンスを披露してくれたのが記憶に残ってる。もっとも、グラント・ニコラス(vo.,
g.)によると、ローディーを連れてく予算も無く、セット・チェンジはみんな自分たちでやった散々な想い出のようだけど...(苦笑)。その時には「ライヴの予習」のため、当時の新作にあたる2ndだけではなく、デビュー作の『ポリシーン』も聴いていて、「1stと2ndではサウンドの指向が異なる」ことも、「U.S.バンドからの影響が色濃いグランヂーな1stのほうが聴いてて面白い」ことも判ってた(笑)。
2001年には、ピクシーズやフー・ファイターズの作品のプロデュースを手掛けたギル・ノートンを起用した3rd『エコー・パーク』を発表。どちらかといえば、U.S.オルタナ風味が強かった1stに近い作風で、このアルバムからは英国では“Buck
Rogers”などがヒットを記録。それまではどこかU.K.バンドでありながらU.K.ロックのメインストリームから外れてるようなマイナー臭が漂ってたけど、このアルバムの成功によってそれもある程度は払拭された。この年の夏にはまた『フジ・ロック』に参戦。『フジ・ロック』じたいが規模を拡張していく過程にあったためこの時のステージは『RED
MARQUEE』だったけど、熱心なファンを多数集めた熱いライヴだった。ここまでは、順風満帆だった。しかし...。
2002年1月7日、ドラマーのジョン・リーが突然、マイアミの自宅で自殺...。バンドにとって最大の危機が訪れた。『フジ・ロック』で自殺をテーマにした曲であるポリスの“Can't
Stand Losing
You”のカヴァーを演ってたけど、これじゃあ、まったくシャレにならない...。グラントもタカさんもバンドを続けるか辞めるか大いに悩んだようだけど、バンドを続ける決断をし、ヘルプのドラマーとして元・スカンク・アナンシーのマーク・リチャードソンを起用。ジョンの死からわずか半年でアルバム1枚を作り上げ、リリースした。それが4thの『コンフォート・イン・サウンド』。この作品は前作から一転し、ジョンの死がつきまとう哀しいサウンドのアルバムとなった。なかには“Come
Back
Around”のように困難に立ち向かうべく決意を新たに宣言するかのような曲もあったけど、かえって悲愴感を漂わせたりもした。しかし、このアルバムは、メンバーが自殺したバンドが再起をかけて活動してる...ということが現地マスコミに大きく扱われて注目を浴びたせいか、本国ではかつてないほどのセールスを記録。まるで、リッチーが失踪し、3人になったマニック・ストリート・プリーチャーズが『エヴリシング・マスト・ゴー』で一気に国民的バンドになったように...。残念ながら日本では、本来のフィーダー・サウンドと異なりセンチ過ぎるこのアルバムが、本国ほど大きくセールスを伸ばすこともなかった(“Find
The
Colour”がTVのCMで使われ、話題となることはあったが...)。翌2003年春のジャパン・ツアーもストーンズ来日の蔭でヒッソリと(苦笑)行われた(苦笑)。
マークを正式メンバーとして制作した、2005年リリースの5th『プッシング・ザ・センシズ』は、明るく、優しく、心が優しい気持ちになる暖かい作品で、ジョンの死の悲しみを払拭しつつある彼らの様子が記録された秀作。“Tumble
And
Fall”なんかは昔のフィーダーでは考えられないほどユルい曲だ。この年の夏、三たび『フジ・ロック』に参戦。この時は『WHITE
STAGE』に復帰。元気な姿をファンに見せつけた。この後、2006年リリースの『ザ・シングルズ』でこれまでのキャリアを総括。2008年リリースの6th『サイレント・クライ』は、前作、前々作と異なり、ロック魂を取り戻したかのような作品。よくよく考えてみると、『ザ・シングルズ』に収録されてた“Lost
And
Found”が軽快なロック・チューンだったので、その時点でこの作品の方向性は決まっていたのかもしれない。個人的には、フィーダーは3rd『エコー・パーク』の頃の感覚を取り戻したように聴こえたものだ。この充実した内容に、このままの調子でグラント、タカさん、マークは活動を続けていくものとファンの誰もが確信したであろうこのタイミングで、また波乱は、起こった...。
ジョンの死後、ジョンの不在による穴を埋め続けてきたドラマーのマーク・リチャードソンがスカンク・アナンシーの再結成に参加するために脱退...。さらに、デビュー時からの所属レーベル『Echo』が倒産...。グラントとタカさんにまた苦難の道のりが待っていようとは...。
グラントとタカさんは自主レーベルの『Big
Teeth』を立ち上げ、ヘルプ・ドラマーにカール・ブラジルを迎えて2010年初夏に7th『レネゲイズ』をリリース。これまでのレーベルが無くなった影響のせいか、英国のチャートにおける成績はここ数作になかったほど芳しくなかったけど、グランジ色が濃かった1st『ポリシーン』を思わせる攻撃的なロック・アルバムに、フィーダー復活の狼煙をみたファンは私だけではあるまい。『レネゲイズ』日本盤リリース前日に1日限りで行われたプレミアム・ライヴから3ヶ月しか経たないのに早くもジャパン・ツアーを敢行した彼ら。これまで私が観た彼らのライヴはいつもイロイロあって短いことが多いんだけど、今回のツアーでは長めに演ってくれて満足感が高かった。金色の髪をここ数年になく長く伸ばしてるグラント、ステージでの演奏中の姿を観てたらカート・コバーンを思い出してしまった。そしたら、ニルヴァーナのカヴァーの“Breed”を演るし....(苦笑)。たぶん、フィーダーの狙いも「そこ」にあるんだろう。サポート・ドラマーはカールからデーモンに変わってて、まだまだ3人目のメンバーに関しては流動的だろうけど、攻撃的にロックを演ってくという彼らの姿勢には変わりないだろうから...。
Feeder
Discography
※所属レーベル『Echo』の倒産により、彼らの旧譜の新品での入手は困難となってます。ポニーキャニオンから出てた日本盤も生産中止になってるようで、これまた新品での入手は困難ですが、CDの品番は手元にあるCD番号をそのまま記載しました。ちなみに、収録曲の太字は日本盤ボーナス・トラックです。
Polythene |
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(国内盤 : ポニーキャニオン
PCCY-01144) |
Yesterday Went Too Soon |
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(国内盤 : ポニーキャニオン
PCCY-01393) |
Echo Park |
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(国内盤 : ポニーキャニオン
PCCY-01498) |
Comfort In Sound |
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(国内盤 : ポニーキャニオン
PCCY-01623) |
Pushing The Sences |
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(国内盤 : ポニーキャニオン
PCCY-01724) |
The Singles |
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(国内盤 : ポニーキャニオン
PCCY-01787) |
Silent Cry |
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(国内盤 : ビクター
VICP-64173) |
Renegades |
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(国内盤 : ビクター
VICP-64844) |
(2010.9.30)