2009年12月(第111回)...絢香“I
believe”より
アルバム『First Message』収録...2006年作
【コメント】
バセドウ病の治療に専念するため、今年の12月31日をもって事実上の引退となる女性シンガー/ソングライター、絢香が2006年にリリースしたデビュー・シングルで、同年秋にリリースされたデビュー・アルバム『Fisrt
Message』にも収録されてる曲。
世間的には絢香といえば、水嶋ヒロの妻...もとい、“三日月”のひとというイメージが強いだろうけど、私は断然この曲支持です。MR.
BIGのエリック・マーティンに影響を受けたというソウルフルな歌唱を堪能するには、この曲が一番と思うから。
ヒットを記録してる曲だけあって、すでにこの曲は多くのアーティストにカヴァーされてます。ヘイリー、エリック・マーティン、NICOTINE...特に、NICOTINEのカヴァーは大爆笑モノなので、興味あるひとは是非聴いてみて下さい(笑)。
2009年11月(第110回)...ゲディ・リー“スティル”(“Still”)より
アルバム『マイ・フェイヴァリット・ヘッドエイク』(『My Favorite
Headache』)収録...2000年作
【コメント】
RUSHのヴォーカリスト兼ベーシストのゲディ・リーが2000年にリリースした唯一のソロ・アルバム『マイ・フェイヴァリット・ヘッドエイク』に収録されてる曲。
1997年にドラマー、ニール・パートを次々と襲った悲劇...娘さんの交通事故死と奥さんの癌死...により、長期活動停止を余儀なくされたRUSH。その活動停止期に、ゲディが旧知の仲であるベン・ミンク(元・FM)と組んで制作したのがこのソロ・アルバム。ヴォーカルが一緒なので(苦笑)、基本的にRUSHと同じように聴こえます。RUSHの曲は、基本的に全曲作詞はニールが手掛けてて、ヴォーカリストであるゲディが自ら歌う歌詞を書くことは稀ですが、このソロ・アルバムでは(当然のことながら)全曲作詞を手掛けてます。そのせいか、RUSHよりエモーショルな曲が多いかも。そんなソロ・アルバムのなかで、群を抜いてのんびりほのぼのとした曲が、コレ。個人的には、このアルバムのなかでは(“Runaway
Train”と並んで)一番気に入ってます。
2009年10月(第109回)...ボニー・タイラー“愛のかげり”(“A
Total Eclipse Of The Heart”)より
アルバム『スピード・オヴ・ナイト』(『Faster Than The Speed Of
Night』)収録...1983年作
【コメント】
英国の女性シンガー、ボニー・タイラーが1983年に放ったビッグ・ヒット。1983年春に全英No.1、半年遅れて'83年秋には全米でもNo.1を獲得。
この曲がヒットするまで、ボニー・タイラーの日本における知名度はは低く、『女ロッド・スチュワート』との異名を取ったハスキー・ヴォイスで一部洋楽ファンにのみ知られる存在(?)だった。この曲のヒットと、翌'84年の映画『フットルース』に提供した“Holding
Out For A
Hero”(邦題は、“ヒーロー”)のスマッシュ・ヒットで日本における知名度は一気に上昇。しかし、チャートNo.1に輝くほどの欧米での熱狂ぶりに比べ、この曲の日本でのチャート・アクションは地味だった記憶があります。この曲を書いているのが、世界的に大ヒットを記録したものの日本ではサッパリだったミートローフの『地獄のロックライダー』の全楽曲を提供しているジム・スタインマンで、彼の手掛けた楽曲共通の持ち味である(ある意味オペラにも通じる)仰々しさが、日本人の耳には鬱陶しく響いたからでしょうか?(苦笑)
2009年9月(第108回)...ドン・ヘンリー“ボーイズ・オブ・サマー”(“The
Boys Of Summer”)より
アルバム『ビルディング・ザ・パーフェクト・ビースト』(『Building The
Perfect Beast』)収録...1984年作
【コメント】
イーグルスの主要メンバーであり、ドラマー兼ヴォーカリストのドン・ヘンリーが、イーグルス解散後の1984年にリリースした2ndソロ・アルバム『ビルディング・ザ・パーフェクト・ビースト』に収録されてる曲で、このアルバムからの第1弾シングルとして発表され、1984年の年末から年明けにかけて、大ヒットを記録しました。年齢的にイーグルスに思い入れのない私にとって、ドン・ヘンリーとはイーグルスのリーダーではなく、「“ボーイズ・オブ・サマー”のひと」です(苦笑)。アタリスがカヴァーしたことで、最近のロック・キッズにも知られるこの曲、夏の終わりの寂しさを上手く描写した名曲だと思ってます。いつも夏の終わりになるとこの曲が無性に聴きたくなります。
ところで、夏の終わりはいつも寂しい気持ちになるのは、いったい何でだろう?
2009年8月(第107回)...モデスト・マウス“ザ・グッド・タイムズ・アー・キリング・ミー”(“The
Good Times Are Killing Me”)より
アルバム『バッド・ニュースを好む人へのグッド・ニュース』(『Good News
For People Who Love Bad News』)収録...2004年作
【コメント】
現在のU.S.オルタナ・シーンの重要バンドのひとつ、モデスト・マウスが2004年にリリースしたアルバム『バッド・ニュースを好む人へのグッド・ニュース』のアルバムのラストに収められている曲。このアルバムは全米アルバム・チャート(『Billboard
』)で最高位18位を記録し、全米で150万枚を売り上げる大ヒットアルバムとなった。
『バッド・ニュースを好む人へのグッド・ニュース』というアルバム・タイトルといい、“ザ・グッド・タイムズ・アー・キリング・ミー”という曲名といい、他に何も言うことがありません(爆笑〜!!!) 最高! このタイトルにウケてしまう私も、「バッド・ニュースを好む人」のうちの一人なんでしょうね、きっと(笑)。
2009年7月(第106回)...コールドプレイ“ロウ”(“Low”)より
アルバム『X&Y』収録...2005年作
【コメント】
コールドプレイが2005年にリリースした3rdアルバム『X&Y』に収録されてる曲。
このアルバムのアートワークは、国際テレックス網の標準文字コードであるボーコードで「X&Y」を表記したもの。世の中にはイロイロなことを考えて実践するひとたちが居るもので、アルバム・リリース直後には英数字を入力するだけで『X&Y』のジャケットふうのボーコードに置き換えるサイト「X&Y
Artwork Generator」(コールドプレイのトリビュート・バンド『Coldplace』が運営してるらしい...苦笑)が話題になりました。私も音楽雑誌『rockin'
on』2005年8月号の記事でこのサイトのことを知り、このホームページのロゴ『SPILL
THE
BEANS!』を作って来ました(笑)。それ以来、ず〜〜〜っと寝かせてた(笑)。
私にとって、コールドプレイといえば1stなんですが、3rdのなかで一番好きな曲を挙げると、この曲になります。
2009年6月(第105回)...ブルース・スプリングスティーン“アイム・オン・ファイア”(“I'm
On Fire”)より
アルバム『Born In The U. S. A.』収録...1984年作
【コメント】
'80年代を代表するモンスター・ヒット・アルバム『Born In The U. S.
A.』(1984年発表)に収録されてるナンバーで、“Dancing In The
Dark”、“Cover Me”、“Born In The U. S.
A.”に続き、同アルバムから4番目にシングル・カットされ、『Billboard HOT
100』で最高6位のヒットを記録。
『Born In The U. S.
A.』シングル・カットされた7曲(前述以外の残り3曲は“Glory Days”、“I'm
Goin' Down”、“My Hometown”)のほとんどはロック然とした曲。“My
Hometown”はカントリー臭いバラード。この“I'm On
Fire”だけはロック調でもなく、カントリーっぽくもなく、陽炎が揺らめくような不思議な感覚に襲われる静かで短い曲。アルバムを通しても「異色作」といえる曲なんだけど、実は、このアルバムのなかで一番気に入ってる曲かもしれません。
この曲にまつわる想い出といえば、(私が生まれて初めて観たライヴであり、今まで観たライヴのなかで一番良かったライヴでもある)1996年5月12日に名古屋CLUB
QUATTROで行われたヘザー・ノヴァのライヴで、カヴァー曲として(しかも、観客からのリクエストで)演奏されたことでしょう。ヘザー・ノヴァのシングル“Truth
&
Bone”にもライヴでのカヴァー・ヴァージョンがカップリングとして収められています。
そんな大好きな曲&想い出の曲であるこの曲の歌詞を、今回このコーナーで取り上げるにあたって初めて確認したんだけど、セクハラ・オヤジかどこぞの酔っ払いかが女のコにからんでるかのような内容に、愕然としたのでした。嗚呼...。
2009年5月(第104回)...ガービッジ“ホエン・アイ・グロー・アップ”(“When
I Grow Up”)より
アルバム『ヴァージョン2.0』(『Version 2.0』)収録...1998年作
【コメント】
世界的大ヒットを記録したデビュー・アルバム『G』に続いて、1998年に発表されたガービッジの2ndアルバム『ヴァージョン2.0』に収録されてる曲。
ガービッジは元々、ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』をプロデュースしたことで一躍売れっ子プロデューサーになったブッチ・ヴィグが新たに始めたバンドとしてのみ語られていたが、地道なツアーのお蔭で『G』がヒットした後は、女性ヴォーカリストのシャーリィ・マンソンとバックの男3人...とみられるようになった(苦笑)。それほどシャーリィのキャラクターにポップ・アイコンとしてうってつけもモノがあったワケ。私も『G』がヒットし、初来日公演もあった1996年から、映画『ロミオ+ジュリエット』に提供した“#1
Crush”がヒットした1997年にかけて、彼らの音楽に夢中でした。そんななかにリリースされた『ヴァージョン2.0』への期待はもの凄いモノがあって、リリース直後と、8月の『FUJI
ROCK FESTIVAL '98 in
TOKYO』出演までは何度も聴き狂ってましたが、何故か、その後彼らへの熱が徐々に醒めていった...(苦笑)。その理由は自分でもよく分かってません。
この曲は、そんな『ヴァージョン2.0』のなかでも私が一番好きな曲。「あたしが大人になったら、あなたを嵌めるために戻ってくる」なんて歌詞、素晴らし過ぎるじゃないか!(笑)
2009年4月(第103回)...ジェリーフィッシュ“ファンクラブに入るなら”(“Joining
A Fan Club”)より
アルバム『こぼれたミルクに泣かないで』(『Spilt
Milk』)収録...1993年作
【コメント】
『'70年代ポップおたく』などと呼ばれるなど、'70年代クィーンを再現したかのようなヴォーカル・ハーモニーや『XTCの後継者』とすら呼ばれたその(ひねくれつつも)卓越したポップ・センスでシーンの注目を集めていたジェリーフィッシュの2ndアルバム収録曲。1st『ベリィバトゥン』では一部好事家のみにウケていた彼らが、一般ロック・ファンにその名を轟かせることとなった名盤の収録曲のなかでも、代表曲と看做されることが多い。
この2ndのヒットにより、来日公演も実現し、TVのバラエティー番組に出演してピンク・レディーの“S.O.S.”のカヴァーを披露するなど、音楽好きの間のみならず一般のお茶の間にまで浸透し始めたクラゲたち。このままの勢いでアルバムを出す度にビッグになっていくんだろうな...という予測は大きく外れ、突如解散! ロック・ファンは'90年代にカート・コバーンの自殺やジェフ・バックリィの水死などでたくさんの才能を失ってますが、「ジェリーフイッシュの解散」というのも「'90年代に失われた才能」のひとつだと思ってます。
2009年3月(第102回)...サラ・ブライトマン“エデン”(“Eden”)より
アルバム『エデン』(『Eden』)収録...1999年作
【コメント】
現代の『ディーヴァ』と称され、朝の情報TV番組『とくダネ!』の『オヅラ』こと小倉智昭も愛聴してるというサラ・ブライトマンの1999年発表のアルバム『エデン』のタイトル・トラック。
今でこそ、音楽はロック/オルタナティヴしか聴かなくなった私ですが、1999年頃はクラシック畑のサラ・ブライトマンも聴いたりしてたもんです。今とは違って、洋楽全般を扱うような総合洋楽誌や、音楽を幅広く取り扱う『FM雑誌』などが(風前の灯火状態ではあったもののかろうじて)まだ存在してたから、これらを通じて接点があったワケです。ところが、これらのメディアが絶滅し、『rockin'
on』や『CROSSBEAT』、『BURRN!』しか買わなくなってから音楽の趣味が一気に狭くなってしまいました。そーゆー具合だから、サラの作品も、この次の『ラ・ルーナ』、そのまた次の『ハーレム』までは聴いてましたが、その後はリリース状況の把握すら困難になってしまい、最近の新作は聴いていない体たらく。もし、今、このアルバムが出ても、買うことはまず無いでしょう。昔の総合音楽雑誌はジャンル分けが今ほど細分化されておらず、音楽の幅を広げるためにはよかった...ということを今さらながら思うのでした。
2009年2月(第101回)...ヴェルーカ・ソルト“気まぐれヴォルケーノ・ガール”(“Volcano
Girls”)より
アルバム『エイト・アームズ・トゥ・ホールド・ユー』(『Eight Arms To Hold
You』)収録...1997年作
【コメント】
ルイーズ・ポストとニナ・ゴードンの2人の女性ヴォーカリスト(兼ギタリスト)をフロントに立てた4人組ロック・バンド、ヴェルーカ・ソルトの2ndアルバム『エイト・アームズ・トゥ・ホールド・ユー』からの第1弾シングルとしてスマッシュ・ヒットを記録した曲。
ヴェルーカ・ソルトのデビュー・アルバム『アメリカン・サイズ』では、米国版ラッシュ(LUSH)と言われるほど英国のインディー・ロックからの影響が窺えたけど、メタリカやモトリー・クルーのプロデュースで名を売ったボブ・ロックを起用した2ndアルバムではサウンドの軸を大衆的なポップ・ロックに移行。このアルバムを当時聴いた時、文化系少女が体育会系ネーチャンになってしまった...とビックリしたものだ。この大衆化路線は、少なくとも日本では奏を功し、『アメリカン・サイズ』リリース時には出来なかった(予定はあったものの、キャンセルした)ジャパン・ツアーも出来た(ちなみに、この時のドラマーは、後にアメリカン・ハイファイを結成するステイシー・ジョーンズ)。私もこの時の来日公演を観に行ったけど、意外なほど女性ファンが多かったです。このように日本で人気が出たのは、この“気まぐれヴォルケーノ・カール”というアホウな邦題もちょっとは貢献してた?(苦笑)
盛況だった日本公演を受けて、このまま順調に彼女たちは活動を続けて行けるかと思った束の間、2枚看板のうちニナ・ゴードンがバンドを脱退→ソロに転向。残されたルイーズは「ヴェルーカ・ソルト」のバンド名のまま活動を続けてますが、サウンドを大幅にオルタナ寄りに変えてしまったため、大幅にファンを減らしてしまいました...。
2009年1月(第100回)...シンプル・マインズ“アライヴ・アンド・キッキング”(“Alive
And Kicking”)より
アルバム『ワンス・アポン・ア・タイム』(『Once Upon A
Time』)収録...1985年作
【コメント】
ジム・カー率いる英国はスコットランドの5人組、シンプル・マインズが1985年にリリースしたアルバム『ワンス・アポン・ア・タイム』からの先行シングルとして英米でヒットを記録した曲。
当時のシンプル・マインズは、映画『ブレックファスト・クラブ』のサントラに収録されてる『ドント・ユー』が全米チャート(『Billboard
Hot
100』)でNo.1を獲得するなど飛ぶ鳥を落とす勢いがあり、次に何を出してもヒットするという状況でした。そんななかリリースされたこの曲は全米チャート(『Billboard
Hot
100』)で3位まで上昇。映画がらみで名前を売ったばかりで大ヒットしたという部分はあるかもしれないけど、北国出身らしい気高さ、劇的な曲構成などヒットしても当然とも考えられる要素もあります。
私事でひじょーに恐縮ですが、この曲には、富山ローカルのAMラジオ番組『KNBポップス』で、ペンネーム(今で言うところのラジオネーム)を「鋲騎野拡勲(びょーきのヒロくん)」から「ハードボイルドのヒーローくん」に変更した時(1986年1月)に番組にリクエストした...という想い出があります。当時オン・エアされた私のリクエスト・ハガキが読まれる部分は今もカセット・テープに録って保存してあります(苦笑)。