逝ってしまった爆裂ドラマー〜チャイナさんの急逝によせて
11月8日、私が『CMJ』のホームページで実に衝撃的なニュースを発見したのは、このホームページの更新作業を終え、寝る前にイロイロと音楽サイト(『CD Journal』など)を覗き廻ってた時のことだった。
2004年限りで少年ナイフのサポート・ドラマーの座を離れたチャイナさんがDMBQに加入してたのは知ってたから、このニュースのヘッドラインを見て、「まさか、チャイナさんが!?」と思い、クリックしてみた。間違いであったら...という思いも空しく、そこにあったのはあまりにも悲しすぎる現実だった...。
DMBQ Drummer
Killed In Accident Mana "China"
Nishiura, drummer for DMBQ and former drummer for Shonen
Knife, passed away on November 4 when DMBQ's van was clipped
by another vehicle and rolled over on I-95, near the
Delaware Memorial Bridge. The band was on tour with An
Albatross, and were on their way to the first of two shows
they were to play in Brooklyn over the weekend. Todd
Patrick, the promotor for both shows, wrote on his site that
other members of the band and their tour manager, Michelle
Cable, were still recovering: "Michelle Cable is conscious
following surgery for a head injury. Shinji Masuko is still
in the hospital but is expected to be released soon. Toru
Matsui and Ryuichi Watanabe have been released from the
hospital." He also wrote on November 6 that Cable, who is
also editor of San Francisco noise zine Panache, will need
extensive surgery for brain and spinal injuries. http://www.cmj.com/articles/display_article.php?id=6047439より
Nov 07, 2005
Nishiura, a native of Hiroshima, Japan, also played drums
for Rashinban, Jesus Fever, Teem, Music Start Against Young
Assault and Cel. She played her first live show with Shonen
Knife in 2001, and left the band in 2004. Genghis Tron-run
record label Lovepump United have set up a fund to help the
band and Cable pay for their medical expenses.
(以下、略)
女性ドラマーのなかじゃあ、最高峰に位置する...と個人的には思ってたチャイナさんがこんなに早く逝ってしまうなんて、信じられない!
羅針盤やDMBQのドラマーとしても有名だけど、私がチャイナさんのことを知ったのは、御多分に漏れず、少年ナイフのサポート・ドラマーとしてだった。ベース・プレイヤーだった中谷美智枝さんが少年ナイフを脱退した1999年を境に、ドラマーだった山野敦子さんがベースに転向。レコーディング作品はリリースしても、ライヴは(ベースに廻った敦子さんの上達を待ってたせい?)2001年までお預けとなっていた。2001年から始まった『712
day party』から本格的にライヴ活動を本格的に再開した少年ナイフのサポート・ドラマーが、チャイナさんだった。結成以来の「なおこ・あつこ・みちえ」のトライアングルの一角が崩れ、さらに敦子さんはベースに転向したばかり。多くのファンが『新生ナイフ』に不安を抱きつつ会場に足を運んだだろうけど、パワフルでいて手数の多いドラミングを披露し、ファンたちが抱くそんな不安を一掃してみせたチャイナさん。美智枝さんの不在を悲しく思う声がいくらかあってもおかしくないのに、そんな声がほとんど聴こえないくらい存在感があった。チャイナさんのドラミングにすっかり魅せられ大ファンになった私、美智枝さん在籍時にはナイフのライヴは1回しか観てないのに、チャイナさん在籍時には6回もナイフのライヴを観てる(苦笑)。
過去のライヴ・リポートでも書いたけど、チャイナさんは「観せること」にこだわったドラマーだと思う。今どき殆どのドラマーがマッチド・グリップ(左右ともドラム・スティックの握りが一緒)で叩くなか、トラディショナル・フォームで叩くだけでも目立つが、それだけではない。当時のライヴ・リポートから引用すると...。
「今回再びチャイナさんを目撃して、どうしてチャイナさんは凄いのか...その秘密の一部(笑)が解った。勿論ドラム叩く技術も優れてるんだけど、彼女、もともとイスを高くセッティングしてる。スネアの位置、メチャクチャ高いモン(笑)。普通のドラマーは膝を90゜くらいに曲げて叩いてると思うけど、チャイナさんはペダルをキックするのに必要最小限の角度しか付けてないんじゃないかな? つまり、イスに座る...というより『腰掛ける』感じで叩いてる。殆どのドラマーがドラムセットに埋もれながら(笑)ドラム叩いてるのに、イスが高いと上身があらわになるからパッと見た感じ目立ちます。」(少年ナイフ live @名古屋・藤ヶ丘MUSIC FARM、01.12.24 リポートより)
勿論、技術的に優れてただけでなく、愛すべきキャラクターの持ち主でもあったチャイナさん。2001年に2回観たライヴで、山野姉妹と一緒にフリ付きで楽しそうに踊ってた“Chinese Disco”、クリスマスの時期に行われた『Wonder World 2001』ツアーで、ステージからクリスマス・プレゼントのお菓子を投げた時、ステージ前のほうに居るファンだけでなく少しでも多くのファンに行き渡らせるため「後ろのひと〜!」ってフロアの後ろのほうに投げようとしたチャイナさん、2002年の『712 day party』の後、ナイフの2人と即席のサイン会をやってくれ、物販で「招運カエル絵ハガキ」を売ってたチャイナさん(苦笑)。どれもイイ思い出だ。
2002年『712 day party』時に物販で売ってた「招運カエル絵ハガキ」
右下隅に『China』のサインが入ってる。
「ライヴ終了後、TシャツやCDの物販コーナーに行くと、NANANINEのメンバーたちが売り子やってた(笑)。やがて、少年ナイフのみなさんも物販コーナーに登場〜!!! 即、サイン会&握手会会場に様変わり(笑)。私もチャイナさん直筆の「招運カエル絵ハガキ」とTシャツを購入。Tシャツのほうに3人のサインを入れて戴いたうえ、握手してもらいました。んで、この時、チャイナさんの左手を見たら、テーピングでぐるぐる巻きになってる上に血がにじんでた...(汗)。皮膚が裂けて血がにじむほど激しくドラム叩いてるのか、アナタは! それとも、こんな手の状態であれだけのプレイが出来ることを誉め称えればいいのでしょーか? いずれにせよ、チャイナさんはそーとーな「ドラム馬鹿」(苦笑)。」(少年ナイフ live @心斎橋クラブクアトロ、02.7.12 リポートより)
この後に行われた『FUJI
ROCK FESTIVAL
2002』でのライヴでも左手はテーピングぐるぐる巻き。さらには『FUJI ROCK
FESTIVAL
2002』での演奏後、あまりの暑さにブッ倒れた...と逸話もあり、チャイナさんがどれだけドラム演奏に入れ込んでたかがよく分かる。
少年ナイフが前座を務めたスリーター・キニーの2002年大阪公演では、チャイナさん以上の爆裂ドラマー(苦笑)ジャネット・ワイスの演奏を、ステージ袖からタオル首に巻いてビール缶持ったままじーーーっと観察。少しでもジャネットからテクニックを盗もうと観察してる姿が微笑ましかった。
...というふうに、チャイナさんのライヴでの思い出話ばかりしてしまったけど、少年ナイフで演奏する姿を観てチャイナさんのファンになったひとにとってこれはアタリマエの行為だろう。何故なら、レコーディングでは敦子さんがドラムとベース共に担当しており、CDでチャイナさんのドラムを聴ける曲のは、『Strawberry
Sound』の“Mosquitoes”とE.P.“オレンジの太陽”のカップリング曲“Top
Of The
World”くらいなもんである。多くのナイフ・ファンにとって「チャイナさんの想い出」イコール「ライヴの想い出」なのである。
私がチャイナさんの姿を最後に観たのは約1年前の名古屋・得三でのライヴ。この時のツアーを最後にチャイナさんは少年ナイフのサポートを降りてしまうんだけど(DMBQへ加入のため)、この時はまさかチャイナさんがナイフのサポートを降りるとは夢にも思ってなかったし、当然の如く、これがチャイナさんとの「今生のお別れ」とは思ってもみなかった。チャイナさんがナイフを離れたのを知ったのは今年の7月で、その時はその時でショックだったけど、いずれナイフのサポートに復帰すると信じて疑わなかった。それだけに今回の事故はとてもとても残念だ。
多くのナイフ・ファンに愛されたチャイナさんだけど、彼女がかかわったナイフの音源があまりにも少ない。追悼盤として、チャイナさんのプレイを収めたライヴ・アルバムなんか出ないものか...と思ってしまう。
最後に、いつも素晴らしいドラミングで魅せてくれたチャイナさんへ。今から思うととてもとても短い間だったけど、今までどうもありがとう。あなたのパワフルで手数の多いドラミングは決して忘れないよ。さよなら...。
(2005.11.9/12.1)